#166_【近代化遺産】姫神山砲台
前回、上見坂堡塁の記事を書きながら、ふと、石やレンガの建造物であったり、もやがかかっていたりすると、「ジブリっぽい」とか「天空の」という言葉が必ずついてまわるよなぁと思いました。
べつにジブリが嫌いではありませんし、竹田城跡など雲海が楽しめる観光地に行ったことなく、いつかは行きたいと思っていますので、 悪い印象は持っていませんが、あまりにあちこちでいわれるものですから、チープな印象を受けるよなぁとも感じます。
「ジブリのインフレ」とでもいうのでしょうか。
全国各地でそのように言われてる観光スポットがいくつあるのかを数え上げたら、果たしてどのぐらいになるか気になりますが、対馬にも「天空の要塞」がございますf^_^;)。
今回は、その姫神山砲台(美津島町緒方)をご紹介していきましょう。
何を目的としていたのか
久須保水道(万関運河)ができるまでは、対馬の東側から軍艦が入ってこられなかったのですが、開削により、対馬の東側から竹敷要港部に行きやすくなりました。
日本の海軍の移動が容易になりましたが、敵も行きやすくなってしまうということで、久須保水道の入口にあたる三浦湾の防御を固める必要が出てきます。
そのために造られたのが、姫神山砲台と折瀬ヶ鼻砲台です。
どのような砲台だったのか
左右に観測所があり、砲座は榴弾砲2門×3箇所の計6門という、明治期の対馬の砲台の中では最大規模になります。
なかなかの規模ですごいなぁと思っていたのですが、和歌山の友ヶ島にある第3砲台は 8門ありました…f^_^;)。
あちらのほうが状態もいいので、競うつもりなどさらさらありませんが、逆にすべてが完全な状態で残っている史跡はないので、見比べますと色々な発見があろうかと思います。
旅行先に砲台の跡がありましたら、ぜひご確認ください。
日露戦争が終わったらどうなった?
近隣にある折瀬ヶ鼻砲台も含め、除籍の記録はとくにありません。
竹敷要港部が廃止されたとはいえ、対馬を取られてしまったらお話になりませんので、やはり玄関口くらいは防御を外さないようにしよう、となったのでしょうか。
現在は どうなっている?
現在は、対馬市内にある近代化遺産の中で唯一、市の文化財に指定されています。
地元の緒方地区の方々が、定期的に草むしりや木の伐採など保全活動をまめにされていますので、この手の史跡めぐりにつきまとう、藪こぎや虫の問題はあまり気にせず見学できます。
日本の近代化遺産全体にいえる話なのですが、実はこの分野で国の史跡に指定されているものは、ほとんどありません。
近代に軍が設置した砲台に絞りますと、国内では、横須賀の猿島砲台跡、千代ヶ崎砲台跡、と奄美大島要塞跡だけです。
国の文化財に認めてもらうことが、絶対的に正しいあり方とは思いませんが(例えば、管理の制約事とコストが爆増します)、ここ数年の動きや扱われ方を見ていますと、灯台と対照的な気がします。
感情的に受け入れがたい遺物、ひとことでいえば「負の遺産」と思われているところもあろうかとは思いますが。
オススメポイント
姫神山砲台がある場所は、とにかくめちゃくちゃ景色いいです。
東海岸に面した高台に位置し、ここから先は水平線が広がっているだけですので、広い大海原を臨めます。
まとめなど
姫神山砲台は、対馬への侵入を防御するための重要な任務を担っていましたが、先に触れたとおり折瀬ヶ鼻とセットで設置されました。
なぜそのようにされたのかを含め次回は折瀬ヶ鼻砲台を紹介したいと思います。
交通アクセスなど
乗用車の場合
乗用車であれば、軍道の中腹まで車で入ることが可能です。
そこからであれば、徒歩10分前後で到達します。
ただし、道が細く離合できる場所が少ないので、不安な方は、後述の大型車の場合をご参照ください。
大型車の場合
団体など大型車で来られる場合は、緒方集落から徒歩で行きます。
徒歩で40分程度です。
ぬかるんでいると足元が滑りますが、そんなにきつい坂道はありませんので、ご安心ください。
車で、厳原から35分、雞知(対馬空港)から20分、比田勝港から90分です。
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