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偏愛.1 adidas SUPER STAR

初めて購入したものと同モデル
PROMODEL
初期型

こんにちは。
来年、生誕50周年を迎える男が愛した偏った洋服遍歴です。

「adidas SUPER STAR との出会い」

1982年、私は小学生。
4つ上の兄がバスケ部に入部し、「月刊バスケットボール」を購読。
広告ページにあった、adidasの広告に掲載されていたのが、所謂、金ベロの「adidas SUPER STAR 」と出会う。
「かっこいい!」
その衝撃が40年後も続いて行くとは、露知らず…

街履きスニーカーといえば、ナイロンのジョギングシューズかキャンバスのシューズが一般的で、私もアシックスのスニーカーを愛用していた。

当時は今と違い、バスケットボール競技用、テニス競技用などとしてリリースされていたので、高価であったから、新品を街で履くなんて発想はなかったように思う。

今や大人気のSUPARSTARもNIKE AIR JORHODAN1なんかも街で履いている人は皆無でしたね。(今では有り得ないですが、大学時代、オリジナルNIKE AIR JORHODAN1を体育で履いている友達がいました!ブルズカラーのオリジナルですよ。)

なにせ、普通のスニーカーが5,000円もしない時代に20,000円近いプライスでしたから。。部活の現役の三年間で1足か2足購入できたら御の字でしょう。部活で使用後はミンクオイルとボロ布で磨いていた様な。

部活を引退後にバッシュを街履きしている兄を見て「かっこいいな〜」と思っていたのです。(兄はNIKE ブレイザーを履いていました。)

自分もレザーのバッシュを履きたいなと思うようになりました。
もちろん、adidas SUPARSTAR一択でした。
兄に「レザーのバッシュが欲しい」「街で履く」
と言うと「生意気だ」と一蹴された。

それでも、寝ても醒めても、スーパースターが欲しくなり、親に頼んでみたけれど…バスケ部でもないし…そんな高価なスニーカーは買って貰えるはずもなく…。
予算内で買ってもらえたのはadidasの韓国製、合皮のテニスシューズ。
そいつで一瞬だけ気持ちを紛らわせました。。だが、しかし、自分の本心を偽れないのです。似た子ではダメなのです!


人生で最初に買ったスーパースター

中学生になってからで、1986〜87年くらいだったか。
ゲームセンター通いと買い食い、漫画の購読をやめ、毎月1,500円の小遣いとお年玉を貯め、1年近い貯金を敢行し、貯金が貯まったところで、
予算ギリギリの現金を握りしめて下北沢へGO!
(当時は消費税なし)

下北沢BIG BEN のスポーツショップだったか…
ワンダーランドのスポーツショップだったか…
どっちだか忘れたけれど。
舶来品という下げ札と当時20,000円近い驚愕の高価格…
MADE IN FRANCE という響きに、気持ちが舞い上がりました。
多分、その当時、人生で一番高い買い物だったと思う。

本当は白×黒が欲しかったんだけど、在庫切れで赤×白かナチュラル×白しか選択肢がなくナチュラルを選択…所謂、妥協なんですが…
その時の達成感は格別でしたよ。
(その後、志望校を含め、諸々、第二希望を選ぶ事が多くなるが、結果、第二希望で良かったことに気づくのです。)

今の経済力で例えるならば、車やバイクを買うのと同様の大きな買い物。
学生服にこのスーパースターを履いて登校した日の誇らしさといったら…

フランスの終焉

その後、ハイテクのバッシュが台頭し、人気が下がると、5,000円程度で当時、原宿駅前にあったOSHMANSやデイスカウント店でワゴン売りされます。

フランス工場が閉鎖され、93年頃にmede in china に切り替わり、
木型が変わり、ディテール及び、フォルムが一変します。
その後何度と何度となく復刻されますが、MADE IN FRANCE時代の佇まいは取り戻せないんですね。。(最近出た82 SUPERSTARは、なかなか良い出来ですが)

その後、オリジナル、デッドストック、復刻、PROMODEL、中古を含め30足以上は買ったと思います。
あれから、40年経った、今でも一番好きなスニーカーである事に変わりはありません。