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Kapu Aloha。

日記を始めるといいながら、安定のサボり具合。コロナのせいだ、そうだ、そうだ。新年になり心機一転、また気合がある勢いでいくつか投稿したいと思っています。

コロナ禍に必要とされた忍耐もだし、ここ最近レッスンになったコンセプトがあります。それは、ハワイアンの人たちが言う"Kapu Aloha"。

"Aloha"って言葉はみなさん聞いたことありますよね。挨拶の時とか、愛なんて表現もあったりするのですが、とても深い言葉なんです。色々と説はあるのですが、僕が習ったものの一つは、"Alo"と"Ha"と言う言葉に別れると言うやつ。"Alo"は、「共有する」とか「表に出す」みたいな意味があるそうで、"Ha"は「息」「息吹」。ちなみに、"Hawaiʻi"の"Ha"もこれです。

なので"Aloha"は、「息を表に出す」「息吹を共有する」なんて表現が合うのでしょうか。ハワイアンなどポリネシアの人たちはHoniと呼ばれる挨拶をよくするのですが、おでこをくっつけあって、お互いの呼吸を確認をするのです。息を止めることは相手に対して「自分の信頼を見せない=敵意を見せる」と言うことになります。

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話はそれまくりますが、もともと外国人をさす言葉に"Haole"と言う言葉があります(最近では差別的な表現にもなっていますが。。。)"Ha"と"Aʻole"="no breath"、「息をしない人たち」、要は慣習をわかっていない人たちということで「外国人」という表現もあります。

なので"Aloha"には愛情表現の最上級というところから、挨拶であり、愛の非表現になるんですね。なので自分も"Aloha"というときは本当に心の底からいうように努めています。

"Kapu"は、よく「禁止」「禁止する」なんて訳し方をされてしまうのですが、どちらかというと「チョ〜〜〜〜大切にする」「聖域レベルあ〜〜〜っぷ」のような感じなのです。ですから"Kapu Aloha"は、"Aloha"を聖域レベルにするということがあります。"Aloha"をめちゃくちゃ大切にするにということです。

ここ数年、ハワイ島のマウナケアという山の山頂で、新たな展望台建設プロジェクトに対して、ハワイアンの人たちの反対活動(彼らからすると「保護活動」)がおこなわれ、ここ数年ハワイアンの人たちの中でこの"Kapu Aloha"という言葉がよく聞かれます。

マウナケアに学生グループを連れて行った時に、モロカイ島の知り合いのUncleがいてこの言葉の話について聞かせてもらいました。自分と意見が違う、自分の価値と合わない人たちを前にするとき、感情的になって力で相手をねじ伏せようとして長期的な解決にはならない。それを歴史から学んでいる。そこにエネルギーを注ぐのではなく、そういう時だからこそ「自分が大切にしているもの」「自分がそうしたいと思うもの」を見つめ直し、なぜそう思うのかと問い直し、自分の中にある価値観だとか思いを研ぎ澄ましていくというもの。

すごくすっとするコンセプトでした。世の中、全て意見が合う人はいません。相手のネガティブに感じる部分にフォーカスするのではなく、意見が合わない時だからこそ、自分にフォーカスを持っていくのです。目先の解決にはならないかもしれませんが、対話をしていくにあたり、自分の意志、自分の大切にしているものははっきりしてくるのです。相手と話す時も自分の気持ちを説明するにあたって理由だとか根拠ははっきりするはずです。前の投稿にも書いたAuthenticityにもつながるものかと思います。

過去にいた職場で少しパワハラっぽいことがあった時も、よく呪文のように"Kapu Aloha" "Kapu Aloha"と言い聞かせていました。相手の嫌に思う言動も、その人の環境や何か言い分があるはずだ(いらっとはしてますが。。。)。でも、そこに自分のエネルギーを向かわすのでなくて、それでも自分が大切にしてる価値観とかやってる意義、自分が信じているものを見つめ直して、それってどうプレッシャーを受けようが間違っていないと思えるのであれば通し続けるべきだと自信を与えてくれます。もちろん嫌と思う相手のことも客観的に見えるようになりました。解決には辿り着かないにしても、リアクション(反応)するのでなく、その現状にきちんとリスポンス(対応)できたと思えました。Yahoo!の奇怪なコメントに対してもよくこれを唱えています。。。笑

"Kapu Aloha" - いい言葉です。

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