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やさぐれエンジェルと天国の七階:第一話

あらすじ

俺は治安を守る「偽」天使部隊の一員だ。心がやさぐれるにつれて薄汚れた翼を、ぜんまい仕掛けの翼と交換してせいせいした。怪しげな商人によると、この翼で神の御許まで昇っていけるとか。もちろんそんな言いぐさは信じていない。
しかしある時、勤務中に俺のせいで同僚が死んでしまい、俺は彼を蘇らせるために本当に天国まで飛ぶことを思いたつ。
だけど到着した天国は単なる役所みたいだし、地上の人々の運命はあらかじめ定められているとか。俺は神に会って直訴するため、天国の七階を目指すことにした。

本編


落ちていく、落ちていく。
蝋燭で固めた羽根がボタボタと溶け、木枠の欠けらと一緒に遥か下の地上めがけて落下していく。俺の体もあてどなく落下していく。
風は耳元でごうごう泣いていた。落ちていく蝋は存外に優雅に、ゆったりした舞いを踊っている。雪片のワルツみたいだ。
――何故こんなことになったんだっけか。
    
*

 そうそう、すべてはあいつが取引を持ちかけてきたせいだ。
 あの原油のように真っ黒な目をした商人。
 カラスのくちばしが付いたフードを深くかぶり、息には唐辛子が発酵するみたいな臭いが混じっていた。
 やけに心地よい甘い声でそいつは誘った。
「どうだい、この羽根と汝の翼を交換してあげようじゃないか」
「交換だって?」
 道端で煙草を吸っていた俺はいきなりの申し出にとまどった。
「そうだ、悩める者よ」
「俺がそんなに悩んでるように見えるかよ」
 商人はふふっと喉の奥で笑う。
「沼に沈んでいく蝋燭の火のように頼りなげとお見受けした」
「やれやれ」
 図星を突かれた。商人は人心の掌握にすぐれているのか。
「当てて見せましょうぞ、あなたは今の自分の立場に満足していない」
「そうかい」
 そんなの、大抵のやつに当てはまるんじゃないか。
「どうしても振り向いてもらえない女がいる、そんなところか」カラスのくちばしの下でにやりと笑う唇が見える。
 また図星だったが、俺は動揺を隠した。
「どうかな。もしそうだったとして、どうなんだ」
「私は、解決方法を知っているんだ。お前さんを苦境から救うことのできる素晴らしい方法をね」
 カラス頭は、含み笑いを顔中、いや全身に広げて言った。
「我々の翼を交換するのさ。お前さんは自分の翼にもう飽き飽きしてるんだろう、お見通しだ」
 俺は頭を掻いた。

 確かに、俺の翼は薄汚れていた。
 俺たち偽天使は、生まれた時に背中に人工培養の羽根の苗を植え付けられる。それは成長と共に育って、悪漢を捕えるために空中を自在に飛び回れるようになるのだ。
 最初にそのテクノロジーを使い始めたのは犯罪組織の側だという。取り締まる側も遅れてそれを取り入れるようになった。
 本物の天使にはもちろんなれないけど、そうやって俺たちは治安を維持し、神の秩序を守ってるんだ。そのことを思うといつだって誇りが胸にこみ上げてくる。

「偽天使」という呼称だって、時折地上にも具現する本物の天使を尊敬し、自らを低くする名称だから自負があるし、大きな船の姿をあしらった偽天使団の徽章を腕につけて歩くのだって誇らしい。

 しかし、俺は現状すべてに吐き気を催していた。
 もしや、この商人は組織犯罪の一味か? 
 俺の羽根をだまし取ろうと? 
 そんな疑問も浮かびはしたが、それでも構わない投げやりな気持ちだったんだ。
 幼少の頃、俺の翼はコンテストで賞をとれるほどフワフワで純白さで、ことあるごとに褒められた。青年になり治安学校に入ってからも、同期には憧れのまなざしを向けられていた。
 だがここ最近、すっかりくすんじまった。
 都市の煤煙の中を飛んでいるせいなのか、俺の心持ちが薄汚れてしまい、それを反映しているのかは定かではない。
 家畜小屋みたいな、ニワトリの餌とフンのような生臭さが出てきたのも気にくわなかった。

 それに、かつて俺に憧れるようなまなざしを注いでいたサフィアの視線も、最近は感じない。サフィアは今や、綺麗に透き通った白い羽根を持つザキルに熱っぽいまなざしを向けるようになっている。
 以前は、サフィアをそれほど気にしていなかったが、こうなった今、なぜか無性にサフィアに惹かれていて、ザキルが妬まれて仕方ない。
「しかし、あなたの背に羽根はないじゃないか」
 俺は怪訝そうに商人を見た。
「私の翼は特別製でね。折りたたむことができる」
 商人が奇妙な音で喉を鳴らし、手のひらを出して上に向けると、そこにサイコロのような真四角の物体が浮かび上がった。どの面も黒く塗りつぶされている。
 商人がさらに喉を鳴らすと、その小さな箱の上蓋が開いて、白く大きなものが飛び出てきた。俺は驚いて後ろにとびずさった。
 巨大な本のように、つややかな肉厚の翼が二枚広がっている。ゆるやかに動くだけで風圧が起こる。
「これはめったにない機会ですぞ」
 商人はくつくつと笑う。
 よく見ると、翼の根元には、ぜんまいのようなものが付いていた。
「確かに立派だな……でも、なんだかおもちゃみたいだぞ」
 商人は口元を歪めて笑った。
「ええ、とてもすぐれたおもちゃですよ。偽天使にはもったいないくらいのね。これを回して飛び立つと、発動機が作動して、筋肉を使わずとも空の高みへと飛べます」
「なんだ、そんなことか、電動自転車みたいなもんか」
「みくびっちゃいけない」
 商人は急に声を潜め、息がかかるほど近くへ寄ってきて俺の耳へ囁いた。
「これを使えば、あの大いなる高みにおわす方のお顔も拝めますよ」
「そんな馬鹿な」
 俺は一蹴した。
 この商人は、神の顔さえ見れると豪語しているのか? 詐欺師め。
「真実ですぞ」商人は自信たっぷりだ。
 そんなことは信じられない。
 神はこの地上すべてを創りたもうた、何よりも誰よりも尊い存在だ。これまでその顔を拝めたものは存在していない。
 天の高みへ舞い上がり、直接言葉をかわす栄誉に浴しようとした人々は多いが、成功した者は誰もいない。 
 飛行船は穴が開いて墜落し、戦闘機は流星となって焦げ落ちた。ましてや生身の羽根で飛んでいくなど不可能だろう。

 けれど……けれどそれだけに、もし成功すれば、それは世界の秘密を解き明かすことであり、神と直接言葉をかわした者には、燦然たる神の栄光が分け与えられるとも言われている。  
 その者は、誰からも称賛されるだろう。
 このアイデアには心を動かされたが、商人の言葉は単なる宣伝文句だとわかっていた。
 交換を決めたのは、その羽根の肉厚で立派な様子からだった。
「強化された特別な蝋でできているのです」と商人は説明した。熱に強く、美しく、何より生の羽根のような鶏小屋臭さはありません、純白が濁ることもありませんよ、と。
 自分の羽根には飽き飽きしている。
 これと取り替えれば運命が変わり、道が開けるかもしれない。俺はそう思ったんだ。あの真っ白な翼を持っていた頃のように胸を張ることができるならばそれだけで……。

 俺は風を切っていた。まだ地表に叩きつけられるまでは数分の時間が残されているらしい。真下に最初の雲のひと刷毛が見えた。
 なんで落ちたんだっけか。風はすさまじかったが、だんだん空を切っていることが爽快にも思えてきた。
 そう……それから……ザキルだ。ザキルは俺の頭の中で色々な顔をしている。こちらを得意気に見下す顔、幸福に血色良く目を潤ませる顔、不機嫌な渋面、ああ、そして最後に血を吹いて驚いていた顔……。
 そうだ、自分はザキルを殺してしまった……と俺は今更ながら驚いた。
 あんなことをするつもりはなかったのに……あの光景を追い出したくて固く目を閉じる。

 話を終えると、商人はふちのギザギザしたナイフで俺の翼を根元から切り取った。痛みはなく、翼が取れた瞬間には体が軽くなるのを感じた。
 自分の中に溜まっていた鬱陶しさのすべてが、一緒に離れてくれたようだ。
今まであんな重くむさ苦しいものを付けて、よく空を飛べていたもんだと妙に感心すらした。

 新しい機械仕掛けの羽根を背中につけて颯爽と仕事に出ると、同僚たちは奇異の視線を向けてきた。通り過ぎる時に視線が俺に次々にぶつかっては、ぼろぼろと廊下にこぼれていく。
 その日は見回り当番で、ペアの相手はそう、ザキルだった。
 ザキルは新しい俺の姿を見てあっけにとられたように黙った。だが何も触れず、いつも通りにふるまった。しかし、いつもよりぎこちなく沈黙が多かった。
 この立派な羽根に嫉妬しているのだろうよ、と俺は思った。

 犯人を捕らえるために空を翔ける時、さっそく俺はぜんまい仕掛けの羽根の優秀さを認識した。
 ザキルがハアハア息を切らしている間に、俺は一マイルも前方を飛んで犯人に追いつき、その茶色い羽根の根元に翼錠をかけていた。
 黒い髪をふり乱し、やっと追いついてきたザキルは感心して大きく目を見開いていた。
「君の新しい翼は、ずいぶん高性能なんだな」あえぎながら言う。
「まあね」
 俺は犯人を引きずりながら、そっけなく、しかし得意気に答えた。
「こいつはずいぶん早かった」
 ザキルは犯人の方を顎で示す。ぼさぼさとよじれた赤毛で、どろんと大きな目を餅のように垂らした大男だ。むき出しになった膝下は毛むくじゃらで、ゴツゴツと筋肉質だった。茶色い翼を支える背中の筋肉は岩山のようだ。
「ここ数か月、警備団の間で評判になってたやつだよ。誰も捕まえられなかった。お手柄だな」そして、「おい、お前の名前はガラザールだろう」と犯人に問う。
 大男はちらりとザキルを見たが、すぐにまた視線を外し何も答えなかった。ザキルは俺の方に向き直る。
「その羽根はどこで手に入れたんだ。変わった代物だが」
「そうだろう、ちょっと興味深い出会いがあってね。蝋でできてるのさ」
「蝋?」
 ザキルは険しい顔になって眉をひそめる。
「蝋は危険じゃないか? 昔、蝋の羽根で太陽に向かって飛んでいき、落下したイカロスってやつがいたとか。熱せられると溶けてしまうぞ、大丈夫か?」
 俺はカチンときた。
「おいおい、そんなことは知ってるよ。これは特別に強化された蝋で作られてる。ちょっとやそっとの熱じゃ溶けない。それにダイヤモンドのように丈夫なのに、通常の羽根と同じくらいの軽さを維持してるのさ」
「そうか」
 ザキルは真面目な顔になる。
「君が騙されているのでなければいいんだが」
「俺が?」
 急にむかむかした。
「お前はものごとをいつも四角四面にとらえすぎる。自分の想像外のことは、すべて有り得ないと言いたいのかよ」
 いつも抱いていたザキルへの憤懣が、つい吹き出してきてしまった。
 この生真面目で、潔白そうな様子。自分は何の罪にも染まっていない、やましいところが一つもないとでも言いたげな様子。
 ああ、そしてやつは純白の翼を見せびらかしている。
 俺が失ったものを…サフィアの愛情を横取りしたそれを……。
「なぜそんなことを言う……。疲れてるのか。少し休みを取った方がいいんじゃないか」
 見下された気がして、俺はかっとなった。
「なんでお前はそんなに偉そうなんだよ。お前は俺の上司か何かか?」
 もう抑えられなくなり、ザキルの襟元に掴みかかった。
 ザキルは俺を押し返す。
 次の瞬間、ザキルと俺は空中で格闘していた。
 懸命にもみ合っているうち、突然、ザキルの体から力が抜けた。間髪入れずに、ザキルの首から血しぶきが噴き出す。
 なんだこれ。違う、俺がやったんじゃない!
 返り血を浴びて愕然としていると、肩に鋭い痛みを感じた。
 振り返ると、さっき捕らえた赤毛の大男の口が赤く光っていて、弾丸を吐き出すところだった。体内に弾丸を隠し持っていたのか。
 発射のさいに軌道がずれたのか男の口内の肉片と一緒に、耳元を熱のかたまりが唸りをあげて通り過ぎる。俺は危うくそれをかわし、腰の短剣を鞘から引き抜いて大男に向けて斜めに振り下ろした。
 羽根が縛られているのでかわせるはずもない。大男は首から血を吹き出して絶命した。
「そんな馬鹿な」
 二つの死体の間に浮かびつつ、心臓は早鐘を打っていた。ザキルがやられたのは俺のせいだ……。

 この一件の後、俺は褒められこそすれ、責任を問われることはなかった。
ザキルの命を直接に奪ったのは大男が発射した弾丸だった。
そしに、俺がザキルと格闘するのを見た者は犯人の大男以外にいなかったが、こいつも死んでしまってる。

 俺は表彰された。後輩や同僚たちから、また憧れの目で見られるようになった。
 そうしたことを以前は望んでいたはずなのに居心地が悪い。
 自分が喧嘩を吹っ掛けなければザキルは今頃まだ生きていたはずなのに……。

 日曜日には、蝋の羽根を背中から外して磨いたが、浮かない気分だ。
 羽根を吹いたタオルを庭先で固く絞っていると、柵の向こうから誰かが呼びかける。
 よく知った声だ。
 見上げると、そこにサフィアが立っていた。以前はサフィアがまた自分に話しかけてくれる瞬間を恋焦がれていたものだが、今は無感覚だった。
「キリト」
 サフィアが俺の名前を呼んだ。甘い思いの残りがほんの少しだけ、うずく。
「あら、背中に羽根がないあなたなんて初めて見た。一般人みたい」と言ってくすりと笑う。
「そうだよ、取り外せるんだ」
「へえ、めずらしい」
 サフィアはまた微笑したけれど、目の周りは赤くただれたように腫れぼったくて、ここ一週間泣き通しだったのがわかった。
 これには俺も胸が痛んだ。
「ザキルがこれをあなたにって」サフィアは、その緑色の目をきらめかせて小さな封筒を差し出す。
「私たち実は婚約してたの」
 驚いた。
 サフィアが一方的に憧れのまなざしを向けているのだとばかり思っていたが、二人は付き合っていたのか。
「そうか、気の毒だった……。でもなんで俺に手紙を?」
「ザキルは仲間の隊員一人一人に宛てて手紙を書いてたの。真面目でしょ、おかげで私がこうして一人一人に手紙を渡してまわるはめになってる」
 サフィアが笑うと、顔にふわふわした金髪がかかって、甘い綿菓子みたいだ。
「あいつらしいね……ありがとう」
「こんな仕事だから、いつ何時命を落とすかもしれないと覚悟してたみたい。あなたも気を付けて。今回は、もしかしたらザキルじゃなくて、あなたが亡くなっていたかもしれないもの」
 また落ち着いたら話しましょう、とサフィアは言って離れていった。

 俺は、なんとなくすぐに読むのが怖い気がして手紙を玄関ポストに落とし込み、夕飯後に蝋燭の明かりの中で手のひらサイズの封筒を開いた。中には名刺大のカードが入っていて……
「キリトへ。君の白い翼には僕も憧れていた。それで僕も一生懸命羽根を磨くようにしたのさ。この前はコッペパンをくれてありがとう。じゃあな」
 一年前、胃の調子が優れずに残したパンをザキルにあげたことを思い出した。
「馬鹿だな、お前……」
 俺は思わず涙ぐんでザキルに呼びかけた。悪いやつじゃなかったさ、それは知ってる。彼はサフィアの昼間の言葉を思い出した。
「もしかしたらザキルじゃなく、あなたが亡くなっていたかもしれない」
 ああそうだ、死ぬべきはザキルではなく、この自分だった。
 俺の心は重苦しくなった。

 そのまま数か月が過ぎていったが、心は晴れなかった。
 ぜんまい仕掛けの翼は相変わらず丈夫で力強く、誰にも負けないスピードで犯人逮捕につながった。ならず者と格闘する時にも、すばやく宙で向きを変え、弱い弾や打撃なら跳ね返すことのできる盾にもなった。
 俺はますます称賛を集めたが、嬉しくない。
 鏡をのぞき込むと、くまができて肌はガサガサ、不健康そうだが、ただ翼だけが立派に輝いている。
「何もかも元に戻ればいいのに」
 そう、あのカラスの帽子をかぶった奇妙な商人と翼を取引する前に、あの家畜小屋のような匂いのする翼を持っていた頃に。
「そうか」急に俺は思い付いた。
 あの商人は言っていた。「この翼を持ってすれば、神の顔を拝める高さまで飛翔することができる」と。
 急に体は熱くなり、力がみなぎってきた。
「君をよみがえらせるぞ、ザキル」
 俺は手紙に指先を置いて言う。神に頼みに行くんだ、ザキルをよみがえらせてくれって。
 神なら、そんなことは朝飯前だろう。もし、この世とあの世の人数の勘定が合わなくなってしまうというのなら、自分が代わりに冥界に行ったっていい。
 この考えは彼の暗い心に射してきた一筋の救いの光だった。

――二話に続く――


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