玄関先でもやもやした日々/学校をつくろうに至るまで⑧
息子のSOSを受け止められず、背中を見送った日。
「もういいよ、いかなくていいよ。」
その一言が出るまでにここまで時間がかかってしまったけれど、私はようやく言いました。
「学校、行きたくなかったらいいよ。無理に行かなくていいよ。」
次の日から息子は学校を休むようになりました。
電話や家庭訪問が続く日々
休み始めると、次に待っていたのが先生からの電話や家庭訪問でした。
学校と自宅の距離がとても近かったこともあり、とてもまめに、宿題のプリントや手紙を持って、先生が直々に届けにきてくれました。
先生が持ってきてくれてるし、受け取りな、と言って玄関に一緒に行かせていた私。
息子も、先生に会うことはいやがりません。
というのも、話し出すと止まらない息子は、自分の話を一対一で聞いてくれる大人には、延々と興味ある分野の話をし続けます。
切り上げ時を逃した先生が1時間以上も玄関先にいることも。
息子が意欲的に話す姿と、先生の都合は大丈夫なのか?という気持ちや、いやいやこれは流石に長いわ、と思う自分の感情。気分良く話してるのを途中で打ち切るとパニックしだす息子の特徴。なんだかもう、私の感情はぐちゃぐちゃでした。
「学校は楽しいよ!」
先生は、ひたすら息子を褒めながら話を聞いてくださるものの、つながる先は、「学校にきたら楽しいよ」というところ。
「すごいね!そんなことまでわかるんだ!先生より賢いじゃん!それ、クラスのみんなにも教えてあげてよ!」
「明日はパソコンの授業があるんだよ!タイピングできるなら、君がいてくれると先生助かるなあ」
などなどの言葉。
帰り際には「明日待ってるからね⭐︎」と念を押し。
息子の中で、いま何が起こっていて、なぜ学校を休んでいるのか。つらい、くるしい、という学校を休んでいるその理由には触れることはありません。
そんな、先生と息子が話している時間を、もやもやしながらただただ玄関先で見ていた私。
訪問も断って、ちょっと何日間かほっといてくださいと、言うことができませんでした。
世界がちがう
学校という場は楽しくて、クラスのみんなが待っていて、そこに行くことが何よりも素晴らしい、という世界と
学校という枠組みの中で苦しさを感じていた息子の世界。
私は、それぞれ見ている世界がそもそもちがうということがわからず、なんで息子が「辛い」って言ってるのに、その部分に寄り添ってくれないんだろう?ともんもんとしていました。
今思えば、息子を学校に誘うことが、先生が見ている世界でのベストな解決策で。
私だってこちらの世界を押し付けようとしていたから、先生からも押しつけられているように感じたんだろうな。お互い様だ。
不登校の問題や学校との対応って、親の在り方やものの捉え方がものすごく大きく関わっているんだなと、痛感する日々。
わたし、息子のおかげでどれだけ人生の階段を登っているだろう。(今も登り続けている笑)
息子に感謝の一方で、目の前のしんどさに疲弊していきました。
数日が経った頃、息子は再び学校に行くことになりました。
学校は嘘つきだ!/学校をつくろうに至るまで⑨につづく
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