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私って幸せ者だ~序章~

みなさんお久しぶりです。前回の投稿からなんと半年も経過!!

時間の流れが早く感じます。気づけば今年もあと2か月…………

やり残したことはないかって考えた時、心残りは正直数えきれないです。

何であの時ここで休んでしまったのか。何で手を抜いてしまったのか。

特に就活(いや、就活しかないです)

モチベーションが上がらないこと、自分の病気のこと、コロナを理由に就活から逃げてました。

「だるいなぁ、眠たいなぁ」と思ったらベッドでゴロゴロ

Youtube, Amazon Primeのカモでした。

4.5時に就寝して15時に起床とかざらにありました。まさに廃人。

学校の課題も単位もらえればいいやってのりでとりあえず課題はちゃんと出す。でも内容はうっすいうっすい。

そして1分おきにSNSを確認。友達が何かに取り組んでいる投稿を見ては「自分ってクズだな。何してんねやろ」って

思うだけで変えようともしない。負のループに自分を自分で追い込んでました。

さらにそこから何も行動しない自分にストレスを感じて高校2年生の時に発症した摂食障害悪化。

「あぁ~きっと今頃みんな頑張ってるよなぁ。私なんか……」→過食

「うわぁ~今日も過食しちゃった。もうどんだけ食べてもいいか」→過食

何か嫌なことがあると過食か過食嘔吐に走る。

自分が変えればいいだけ。そうそれだけなんだけど習慣化したことを変えるのって結構大変なんですよね。

私の摂食障害になった根本にあるのは

・自己受容ができていない→他人からの評価で自分の価値が決まる(他人軸の中で生きている)
・0か100、白か黒の考え方

痩せていないと美しくない、スキニー着れないとダメ、炭水化物少しでも食べちゃダメ、夜は18時以降何も食べちゃダメなどなど

明らかに偏った考えでおかしい課題を自分に課していました。

(今こうやって客観的に自分を観察できてることは素晴らしい一歩)

(そしてこうやって褒めてあげられているのはもっと大きな成長)

ある日摂食障害を経験したことのある方とお話しした時に

「高校生の不健康に痩せていた時って何がよかったと思う?」って聞かれました。そこで出てきた答えに自分自身びっくりしました。

細いからいろんな服が着れたこと

だけだったんです。自分ではもっとたくさんあると思ってました。

食事のたびに「この食材は糖質が多い。量が多い。なんでこんなによそうの!」って親と喧嘩

親がせっかく作ってくれた弁当は毎回トイレに流す

その罪悪感

食べないから体はダルいし集中力はなくなる、頭の回転がほんとに遅くなって受験勉強どころじゃない、大好きなハンドボールも体がついていかず休部

精神的にも不安定になる

鏡や窓に自分が映るたび太ってないか確認

圧倒的にデメリットの方が多い。

そこに気付いたときの感覚は忘れられないです。

「痩せてても楽しめてなかったらつらいじゃん。だったら今も向き合っててつらいときもあるけど美味しいものを家族や友達と一緒に食べるのってすごく幸せだよね」って

それと今向き合っている過食や過食嘔吐を病気って呼ぶことはやめることにしました。言い換えるなら人生における試練?w

字が持つインパクトってありますよね。

病気って言うとなかなか治りにくかったり深刻なイメージがあるから試練とかchallengingなことって言い換えた方が楽になるなって思いました。


はぁ私の悪い癖

話の軸がブレブレで何について話したかったのか読んでる人からしたら分かりませんよね。


私が以前より楽な考え方をできるようになったり、今の自分を少しずつ受け入れられるようになった背景にはいろんな人の支えがあります。

その中でも一番心に響いたのが大学の友達からの言葉です。

「まみたんはまみたんだし、体型が変わっても私はまみたんが好きだよ」

これを聞いた時、自分の中に溜まっていたものがこみ上げてきて溢れました。

そして泣きじゃくりながら「ありがとう」と。




別に感動的な自伝を書きたかったわけではないんです汗

この記事のタイトルを書いた時に一番の軸にしたかったことは

”今心の底からやりたいと思えることが見つかった”

きっかけを与えてくれた人について書こうと思っていたんです。

その人については次の記事で🚗

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