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わからないからこそ、安心する

「あの人はどうして自分のことをわかってくれないんだろう」
「私がこう思ってることに気づいてほしい」
「もっと空気を読んで」

身近な人や友人からの悩み相談や愚痴や説教で、この言葉を聞くたびに考えることがある。

むしろ、自分の思考が他人に筒抜けだったら超怖くない?


私は幼い頃から想像することが好きだった。

電車に乗れば、流れる車窓の景色に合わせて素早く走るデカい犬を出現させる。
アリの巣の中には小人が住んでて、積乱雲の中には龍がいる。
こんなメルヘンな想像したことある人はいくらかいると思う。

そういう想像の中で、自分の思考を他の人に読み取られることに恐れを抱いていた。

別にやましいことを考えているわけではなかったけど。
情報を与えると心を読まれてしまうような気がして、感情的にならないように冷静に努めた。


あり得ない事だともちろん知っている。
そんなおかしなことを考える、おかしな人だと思われないように。
人の前では大人しい良い子でいるように心がけた。

そういう妙な感覚で生きてきた故の考えかもしれないけど。

人のことなんて理解できないし、できないからこそ安心する。


SNSや配信サービスが普及して、
誰でも気軽に「思いを伝える」ことができる時代。

文字、画像、映像。
とにかく行き交う情報が多い。

しかも伝達は双方向である必要もない。正確さも、きっと言うほど気にしてない。
この文章のようにインパクト重視の語気の強い言葉で溢れている。

けれど結局。
重要度も品質も、全て受け取り手の感受性に委ねられている。

反応があるから発信者は伝わったような気になっているだけで、
多分実際は、ほぼ真意が伝わっていないんじゃないかな。

対面コミュニケーションすら難儀なのに、画面上のやりとりでそれが簡単になるとは思えない。
この先もずっと難しいままだと思う。


そんな生活に慣れてしまった自分含めた人間たち。
「自分の思いを伝えること」自体に躍起になって、「伝えたい対象」のことを考えにくくなっているような気がする。

「わかってもらえない」ことが当たり前。
その事実が実感しづらいのかもしれない。


対人恐怖で徹底的に人との関わりを避けていた時。
突然回避不可能な新人たちの教育担当に任命された。

他人の生活に関わるんだから、やるからにはちゃんと向き合おう、と腹を括った。
絶対に理想を押し付けない。
仕事に苦しい思いを抱いて欲しくないなと思って。

その人から話を聞いて、悩んで、いろいろな本を読んで、上長にタスクの割り振りを何度も相談して。

自他共に良い方法を探し回った結果、学んだことがある。


もし他人に歩み寄る必要があって、何かしらを改善しなければならない事態にあるとき。

相手が変わること、動くこと前提で行動しない。
「わからない」感情になっている原因や要素を少しでも明確にする。
情報収集や言語化をしたり、俯瞰視点から物事を見る。
そして自分の行動を少し変えてみる。


ほぼカーネギーの受け売り。めっちゃ本読んだ。

やっぱり先人の教えは偉大で、実際に応用しながら行動すると理解できた。

わからない事」自体で頭を悩ませたり悲観的になるよりも、この考え方は建設的で、何より心身の健康を保てる。


例えば。

自分のことをわかってくれない!と思ったとき。
まず相手にその余裕があるのかを確認する。

その人の脳内が自分の心配事でいっぱいなら、他人のことまで頭が回るはずがない。
そして、相手の状態と理解度に合わせた会話を組み立てる。

無理そうなら潔く引く。
適度な距離感を保つことを優先させる。


思いに気づいてほしいとき。
比喩を交えて気持ちをさりげなく伝えて、相手の反応を見て情報を得る。

そこで思考の方向性が違うことが知れた場合は、その人の興味を引けるような作戦に組み直す。


何かをしてほしい、とか感情的に言われたとき。
一旦全部吐き出して冷静になってもらってから、その人の「主張」の定義をすり合わせる。

雰囲気で言われてもピンとこない私みたいな人間は、具体的説明さえもらえれば認識をあわせて多少の改善案を出せる場合がある。


そしてこれらは、こちらが温厚かつ冷静に、相手の話を聞くことを優先させると大抵うまくいった。

幸いなことに、幼い頃から人の顔色を伺って生きてきたので、余程合わない人ではない限り
穏やかに、理解した風な振る舞いをするのは得意だった。


会話して、考えて、計画を立て実行して。
反省と改善点をあげてまた会話。

本人のキャパと能力を把握して、希望に出来るだけ沿うようにタスクを選定し、
しっかり考える時間を取れるように余裕をもった工数設定をする。


知りたいと思ったことはなんでも聞けるように関係維持を心がけた。
良い着眼点の質問をしてくれた時は答えじゃなく、応用が効くように考え方のヒントを示してあげる。

そして長期的に技術レベルを少しずつ上げていく。


とてもとても大変だった。
PDCAは慣れてるけれど、人と関わるのは大の苦手だから、失敗経験をたくさん積んだ。
正直しんどかった。


でもある日、その取り組みが明確な結果として現れた時。
単純な嬉しさではない、なんとも言えない達成感があった。

私が考えたやり方が正しかったのかは分からない。
もっと良い方法があったと思う。だいぶ遠回りした。

でも、本人たちはできることが広がってとても喜んでくれた。
私も、どこか成長できた気がした。

謎解きみたいで面白いと思った。


分からない事は決して悪いことではない。
そこを解ろうとすれば途端に学びに変わる。
そう考えると、この種の悩みはある意味いい機会なのかも。

そんな気がする。


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