#今日の学び No.19「教えるということ#後編」
はいどうも!明日試験があってやばい!てなっているAnbyです!それでもこのnoteは更新します…というわけでですね、一昨日、昨日と引き続き「教えるということ#後編」ということで第3弾ですね。今試験期間でちょっと書く時間があまりないので3つに分散させて書くことにしたのです。
今回で「教えるということ」は最終回になりますね。昨日書いた「教えてて気づいたことに対してどう対処するか」について考えていることを書けたらいいなと思っています!では、今日も参りましょう!
1.実験の結果
本題に入る前に昨日のおさらいを軽くしようと思います。
私はバイトで塾講師をやらせてもらっているのですが、生徒に対してある質問をしています。それは「どうして塾に入ろうと思ったの?」というものです。単純に私の興味本位な質問ですが…これに対する返答が中々興味深かったので記事にしようと思ったんです。
そして、教えてて気づいたことが主に2つありました。
①勉強・学習する理由を持っていない子が多い
②考える癖がついていない
というものです。
これに関して、私は少し実験を試みました(本当はだめなんでしょうけど笑)。それは、同じ集団に対して、ある日は「大事なところはしっかり強調するからしっかり話を聞いて、メモったりノートに取ったりしてね」と前置きして板書をほとんどしません。また別の日は「大事なところは話すし板書するからノートに写してね」と前置きした後に、板書しながら授業をしました。
皆さん、結果はどうだったと思いますか?
前者の板書をほとんどしなかった日は、大事なところはメモしたりノートを取ってねと前置きしましたが、実際にメモしたりノートに書いていたりした人はほとんどいませんでした。授業自体は40分程度でしたので、学校の授業よりも短いです。それでも「聞く」ことができた人はあまりいませんでした。そもそもペンを持ってさぁ書くぞ、という姿勢の人さえいませんでしたので、ちょっと意外でした。
後者の場合はどうだったのでしょうか。板書をたくさんしたのですが、生徒は黙々と板書を写していました。一見するととても集中できているように感じますが、いざ理解度を測るためにいくつか質問してみたら「分かりません」の嵐でした。(名称を答えるような)簡単な項目でも、探そうともせずに「分かりません」と答えるのです。こちらから、テキストのどこどこに載っているよ、とか板書を探したらあるよ、というヒントを与えると、ようやく探し始める感じでした。
まとめると、どちらの方法でも「聞く」姿勢をみせませんでした。前者に関しては、そもそも聞こうとした子もいなかったので少しショックでした。自分の言い方がまだまだだったのかもしれませんが…そして後者に関しては、板書を写すのに精一杯で話を聞いている余裕なんてない!といった印象でした。また、写した内容も理解しながら書いているわけでもなかったみたいなので、頭に入っていないようでしたね。
こうなった理由は、今から何を学ぼうとしているのか自分でもよく分かっていないからだと私は思います。このことは、先に挙げた①勉強・学習する理由を持っていない子が多いに通じるものです。
そして、板書はするけどただ書いているだけで内容を理解しているわけではない、ということに関しては②考える癖がついていないに通じてきますね。
2.教えるということ
では、そのような生徒に関してどのように対応したらいいのでしょうか?
もう一度挙げますね。
①勉強・学習する理由を持っていない子が多い
②考える癖がついていない
まずは①から考えていこうと思います。これに関しては割と単純な話で、実際に生徒に考えて書かせたらよいのです。
学習の進度は先生(教える側)が考えて良いでしょう。ですから、「今日はここからここまでやろうね」とその日に進む範囲を指定します。それが例えば教科書の範囲だったとしましょう。
「○○ページのところをするから、君が学びたいと思うところ、ざっと目を通して知りたいと思ったところを見つけてノートに書いてみよう」
これを言うだけでだいぶ違うと思います。実際私もこれを言って生徒に今日の目標を書かせましたが、授業終了後に何を学べた?聞くとちゃんと答えが返ってきたのです!やはり、学習する上で大切なのは「何のために学習するのか」「それがどう役立つのか」を明確に持つことだと感じました。
また、この学習法(と言っていいか分かりませんが)は塾のみならず、普段の学校の授業、あるいは一般の学習にも必ず役立つはずです。
そして、これは同時に生徒に考えさせる機会まで与えることができます。また、自分が何に興味があるのかなどなど、普段あまり考えない「じぶん」という内面まで考えることになるのです。そうでなければ、今から何を学ぶのか、に対する答えを導き出せませんからね。
個人的に最近強く思うのは、「教える」型が変化してきている、ということです。今の時代、コンピュータが最盛期を迎え、AIなども発達してきています。また、某感染症の影響でリモートワークが拡大し社会がそれに合わさざるを得なくなりました。良くも悪くも世界は大きく変革しているのです。我々はそれに合わせなくては、時代に取り残され生きづらくなっていく一方です。
今までの「教える」ことに関しては、「知っている者」が「知らない者」に対して知識や技術を与える、という構造でした。つまり、高次から低次への一方通行だったのです。「知らない者」がなぜ?どうして?という疑問を持っても、「知っている者」は「とりあえず」覚えろ、身に着けろ、でした。それ故に「知らない者」はどうして勉強しているのか理由を探す意義を失ってしまったのです。誇張かもしれませんが、「知っている者」が「知らない者」の学習能力を奪っている、ということになりますね。
思うに、これからは「教える」ことは、必ずしも高次から低次へではなく(つまりはトップダウン型)、低次から高次へ共に行く(つまりはボトムアップ型)ことへと変わっていくのです。
「知っている者」は、「知らない者」に寄り添って一緒に考えていく姿勢を取るべきなのだと、生徒に教えながら気づいたことに対して考えたことです。
3.最後に
長くなりましたね。今回も最後までお読みいただきありがとうございました!「人間は考える葦である」という言葉もあります(誰が言っていたかは忘れましたが)。あなたが人間であるという自覚があるのならば、考え続けましょう。人間は怠ける生き物なので、これが割と難しいのですが…
というわけで、次回のタネができたかもしれません笑。では、また!
第20号
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