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「頭の中の喜怒哀楽を、風呂敷に広げるてみよう🌈」自己基盤のお話。

昨夜は、とあるコミニュニティでの学びの場。

妥協や我慢、未完了といったものがテーマ。

いろいろと、チェックリストやリストアップをしていく中で、

それ自体をつけたり、書いたりすることが目標ではなく、

今、その時点の自分を眺める上としてのツールなんだなと、改めて感じる。

〜〜〜

昨夜の学びが終わり、今、そのグルグルを楽しんでいる感じなんだけど、

チェックリストやリストアップすることって、

風呂敷に、自分の手持ちの感情や気持ちを、パァーっと広げる、そんな感覚なのかなと、考える。

それを、自分の頭の中だけで、広げても、なかなかどうして堂々巡りのようになりやすい。

頭の中だけだと、一旦解決したかに見えて、それってただ、頭の中の引き出しに、いろいろなことを詰め詰めにしている可能性もある。

頭の中の引き出しにしまう際に、タグ付けみたいな感じで、

例えば、

「後悔、怒り、悲しみ、喜び、楽しさ」

それこそ、喜怒哀楽ごとに分けておくと、頭の中も、スッキリして、エネルギーも省エネで、心も身体も軽やかな状態になれるのだろうな。

〜〜〜

イメージ的に、チェックリストやリストアップすることにより、

まず、風呂敷にそれらを並べて、自分の体内から出す。

そして、それら一式を眺めてみて、実は、風呂敷に広げるだけで、解決できたり、昇華できたりするものもあるので、整理する、そんな感じ。

そして、整理した後に、

「これは、後悔なんだな。あれは、悲しみなんだな。おっ、これは喜びなんだな。」

とタグ付けをして、整頓していく。

風呂敷に広げたものは、全て一気に片付けることはできないし、ずっと持っておく必要なものもある。

そんな感覚。

そして、風呂敷に広げたものを、また、頭の中の引き出しに、位置がわかりやすいようにして、戻しておく。

そして、そして、時折、また、風呂敷に広げてみる。

〜〜〜

パソコンだって、動きが重くなったら、最適化したりするよね。

そんな感じなんだろうな。

不思議というか、風呂敷に広げる魅力として、

広げられたものを眺めていくと、結局は、それらも自分を構成している要素になるので、そこに意識が向くようになり、

つまり、そこへのレセプターが開いた状態になり、日常の中での意識も高まり、長年気にしていたことが、解決するできたり、実は、すでに解決していた、そんなことに気がつくこともできる。

解決できないものでも、たまにそうやって風呂敷に広げてみることで、

「あぁ、まだあったよね、そのこと💦」

と、最初は嫌悪感を自分が示すものでも、繰り返し、風呂敷に広げて、また頭の中に戻したり、そして、また風呂敷に広げて、、、

そのことを繰り返すことによって、

「あぁ、まだあったよね、そのこと😍」

と、徐々に愛おしくなることもある。

私自身も、昨日、久しぶりにあることを風呂敷に広げてみて、眺めてみると、

「はいはい、ありましたね😍」

となった感覚が、何か嬉しかった。

〜〜~

そう考えると、出来るだけ、身軽に省エネで動いて、軽やかな人生を送るためには、解決するできるものは、解決した方が良いけど、

物によっては、解決できないことがある。

特に、過去に起きたこと自体は変えることはできず、変えられるのは、自分の解釈なんだよね。

そうすると、自分で変えることができることに、フォーカスできるようになる。

いやぁ、自己基盤(ファウンデーション)に取り組むって、相変わらず楽しいね。

〜〜〜

、、、言語化してスッキリ☆☆

風呂敷に広げる、この感覚大事にしたいな。

何か、風呂敷に広げるあたりが日本人っぽくて良いな🤣

風呂敷って、いろいろなものをしまえて、その形や重さに合わせることができるから万能なんだよね。

自分が、どんな風呂敷を持ちたいか、そんなことを考えてみるのも良いね👍

パァーっと広げてみよう、自分の頭の中の感情や気持ち🌈

それを眺めるだけでも、人生変わるかもね✨

さぁ、本日もガンバルンバ💪

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