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一児の母、仕事がだいすきだった。 合理主義で感情的 甘えたがりで頼られたがり 心配性…

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一児の母、仕事がだいすきだった。 合理主義で感情的 甘えたがりで頼られたがり 心配性なのに衝動的 矛盾はあっても人間おもしろいね と思うタイプです

最近の記事

読書記録①

※ネタバレあります。 うまれてはじめて手に取った育児に関する本はこの「3000万語の格差」だった。昔から学術的な読みものが好きだったのもあり、購入。 子に対して特別知的に育ってほしいという願望はないのだけど、「やれるはずだったこと」を知識不足でできなかったというのが嫌でまずは話しかけからだなと思ったのが気にいったところだった。 実は読了までに5回は後悔した。 無知な私がインプットするにはすさまじい知識の量で、読み進める手が何度も止まり、最終的にはメモをとりながら読むこと

    • 母を好きでいたかった

      母が憧れだった。 強く逞しく情緒的でどこに行っても美しいと評される母を誇りに思っていた。私が幼い頃は専業主婦だったが、中学校に上がった頃に突然「バリキャリ」になり、生き生きとしていた。孫がいる今でも趣味のスポーツをストイックに続け、異業種に転職して1年で全社表彰を受けるような人。 私のキャリア観は母の影響がかなり大きい。 それを褒められて生きてきたし、私自身が肯定されると母が肯定されているような気持ちになって嬉しかった。 でも最近、ふと気づいてしまったのである。 「母」と

      • 変化

        私には友人が少ない。 そのうえ家族とも住んでるところが遠く、 仕事もお休み中。 それでもなぜか最近の方が心穏やかで心地いい。 育児にはどしゃぶりの日もあるけど、 子供はおひさまのような存在だし、 夫は月のようなひと。 昔はもっとキレやすかった。仕事も恋愛も激情型。 社会人になってからはブラック企業に勤めていたので吐くほど働き、途中で休職もし、それでも管理職まではなれた。夫とは結婚するまで本当に結婚してくれるか疑ってたくらいゾッコンで、一時期は心療内科に通うくらい病んでいた

        • 意思決定軸

          三連休のなか日。 子供が寝静まったあとに夫とおたのしみをした 鹿児島から送られてきた鶏刺しを食べながら ぼんやり話した。 結婚する前のわたしは利己的で 「私の人生は私が決める!」 とばかりに自分の気持ちを優先して生きてきた。 意思決定の軸はいつも自分にあって、 「わたし」がどう幸せになるか 「わたし」がどう望むか が人生の命題だった。 やりたいことをやり、自由に過ごしてきた人生。 余談だけれども今も真の利他はないと思っている。 誰かのためというのは私なんかが烏滸がましいと

        読書記録①

          はじめての

          誰かに見られるためじゃなくて 自分のために記録をしたいとふと思った 社会に出て6年目 子育てをして2年目ともなると アウトプットを自分のためにすることが減る。 だれかのため、なにかのために 常に言葉を選んでる自分がいたことに気づいた 相手の求める自分に合わせてるようなそんな気分 そんな自分は嫌いじゃないけど 誰かの目があるようでない場所で たまには徒然なるままに何かを書いてもいいのかもな と思ってはじめてみました

          はじめての