編集長!事件です。
先日、天理教婦人会河原町支部のあゆみ会が発行しているお嫁さん応援マガジン『YOME-YOME』と天理教青年会公式LINE発のWEBマガジン『FRAGRA(フレグラ)』- お道の良い”におい”を届けたい-の記事に年甲斐も無く逆上し、罵倒してしまいましたが、やはり大人げなかったと、ちょっぴり反省しましたんどす。
そんなわけで、心静かにあらためてその件について語ってみたいと思いますどす。
さて私が激オコした事の発端は『YOME-YOME Vol.8』に掲載された天理教の奥さんの「気づき」についての文章でした。『箸休め3』でも引用しましたが、その記事には臨時収入を得た奥さんが、心優しいご主人に勧められて美容院で髪を染めることになり、その時に思ったことを綴ったものでした。
その記事を要約すると、
という内容でした。いいお話ですよ。
でも私の高性能な(因果な、ともいう)全方位四次元レーダーがあるフレーズを捕捉していたのです。
主人の望む「私」こそ、私がなりたい「私」なのかも知れない。
思わず連想しましたですよ。奥村チヨさんを。
え、ご存じない?
じゃあいいです。これ以上触れません。今日の話に全然関係ないですから奥村チヨの名曲「恋の奴隷」は。
さて問題の「主人の望む「私」こそ、私がなりたい「私」なのかも知れない」との発言ですが、はっきり言いましょう。ご本人も「なのかも知れない」と推測表現を使っておりますが、そうです、それは錯覚なんです。一時の気の迷いなのです。
多分髪を金色にし、周囲からも若返ったと褒めそやされたことによって、お花畑を夫婦でワンコのように駆け回る映像が脳内に出現したのでしょう。
仲良きことは美しきかな。ではありますが、そんなしおらしい気持ちがずっと続くもんなのかな?
ていうか、せっかく先人たちの頑張りによってジェンダー平等の世界が近づいてきたというのに。なんでご主人の望むアナタになりたいのん?
そりゃまあ勝手ですよそれぞれの。自己責任ですからね、民主主義は。
実は時を同じくして私の全方位四次元レーダーはこんなのを捕捉しておりました。天理教青年会本部の『FRAGRA(フレグラ)』です。
『YOME-YOME』の深谷編集長のインタビュー記事がそこにあったのですよ。
というのが『YOME-YOME』の創刊の主旨ということでした。1万部を超える発行部数というのですから大したものですよね。
『FRAGRA』のインタビューを受けて深谷編集長はかく語りき。
なるほど、この深谷イズムが「あゆみ会」に浸透しているからこその「主人の望む『私』こそ、私がなりたい『私』なのかも知れない」という発言なのですね。
深谷編集長の影響力ハンパないっすよ💦
聞くところによると、平成16年(2004年)4月19日に行われた第86回天理教婦人会総会における現真柱の、
という言葉が『YOME-YOME』創刊のきっかけになっているそうですね。
さすがに真柱のお言葉に異を唱える勇気はありません。でもここで蛮勇をふるっちまうのが私なんだよね。誰か骨は拾ってね。
ここで語られた女性の理想像は、長きに渡った家父長制の産物に過ぎないんじゃないかなあ。
つまりこの女性像なるものは、腕力も経済力も優位にあった男性への忍従が産んだ産物であって、「何を話しても怒らない」「こちらの思う通りに動いてくれる」「感情に溺れない」というものが女性の特性であるなどと断定するのは男性側の勝手な思い込みに過ぎないと私は思うのです。
「をもたりのみこと」と「くにとこたちのみこと」のおはたらきの解釈を男尊女卑にはあたらないとも仰っておられましたが、一方の性にだけ従属と忍従を強いることが「女松男松のへだてなし」の教えと果たして親和性があるのでしょうか。
「理想の女性像」という言葉自体が、暗黙の従属性という意味を含んでいるようにも思えます。甘えすぎなんじゃないですかね男が。実は自立できていないのは男性なのではないでしょうか。
國學院大學の井上順孝氏は
と述べており、また金沢大学の日比野由利助教は霊友会を例に挙げ
と述べています。興味深いのが
という記述でした。
ほぉー。他の教団では昔から戦略的にやってたんだ。なんだか嫌なものを見てしまった気持ちになりましたよ。
『FRAGRA』での深谷編集長の「『主人を大切』にすれば家庭が変わる! 世界が変わる! 運命が変わる! そんな夢のような体験、一緒にしてみませんか?」という発言がまさか戦略的なものだとは思いませんが、ある意図をもって行うという点では同じなのかも知れない。
ただ知っておいてもらいたいのは、世の中はそれほど単純にできてはいないということです。社会も家族関係も夫婦関係もね。
「お互いの事情の治め方について話し合いを重ねた結果、たどり着いた〝究極の解決方法〟は『主人を立てる』だった」ってのは、短絡的に過ぎて全然普遍性が無いと思うんだよね。
ついでにもう一つ言っときます。『YOME-YOME』で夜の夫婦生活について書かれたものがありましたね。これです。
これを読んだとき、伊集院静氏の文章を思い出しました。
たとえば夫婦ケンカをしていても、肌を合わせることによって「どうしてあんなしょーもないことで腹を立てていたんだろう?」と怒りが雲散霧消してしまったという経験は誰にもあると思うのです。
でも今回『YOME-YOME』に掲載されたものは「グループLINEとか女子会とかママ友の集まりなどでしとけよ」レベルの話しだと思うんですよね。好むと好まざるとにかかわらず、目を通して脳に入り込むテクスト媒体に掲載する場合は相応の配慮が必要じゃないですかね。
編集長には伊集院静さんの言葉を噛みしめてみてもらいたいな。
『夜のYOME-YOME』(エロ本かよっ!)を手にした方の中には夫婦生活を営むことが身体的にも精神的にも困難な方がいらっしゃるかも知れない。
あるいは教内にも存在する旦那からの性暴力やそれに伴う望まぬ多産に苦しむ奥さんたちも多く存在します。当然モラハラ亭主も。その方達がどんな気持ちになるだろうか?と想像力を働かせることができないのなら、文字媒体に関わる資質が問われるでしょう。編集長の責任は重いですぞ。
そもそも他人の性交渉に関する話など不快で聞きたくないという人は大勢います。
深谷編集長は『FRAGRA』の中で「ありのまま、全てさらけ出して」ということを強調されていましたが、事ほど左様に「ありのまま全てをさらけ出す」世界が美しいものであるなどと私には到底思えないのです。さらに言えば「ありのまま全てをさらけ出す」フリをしているだけの方は周囲にいませんか?ありのままにさらけ出してくれていると、トップだけが錯覚していことはよくある事です。
大教会の後継者夫人が「『主人を立てたら運命が変わる』とよく聞くけど、これを騙されたと思って、みんなで本気でやってみいひん? 」と問いかければ、大方のメンバーはイヤでも首を縦に振る気がしますがね。よしんば取り巻きが本気で共鳴してくれているとしても、婦人会ヒエラルキーの下位に属する方々はどう感じているのでしょう。とても興味があります。
と仰っていますね。言葉の端々から女子青年さんや若い奥さんたちへの強い愛情を感じますので、そこに潜む無自覚な「人の私物化と選民意識」についてはスルーしておきますね。惻隠の情というやつです。私も鬼じゃないですから。
「『主人を大切』にすれば家庭が変わる! 世界が変わる! 運命が変わる! そんな夢のような体験、一緒にしてみませんか?」
という編集長の志は素晴らしいと思います。でも今回取り上げた発言や発信されたものに対するTwitterでの反応を見ていると心配になるんですよ。大丈夫なのかと。最後にTwitterに溢れた声を紹介しておきます。
・これが令和の天理教女子か。悲しすぎる。
・ショックです…これが天理教の教えなのでしょうか(p_-)
・ショックですよね…教えというより夫を立てることに焦点が行き過ぎてこの考え方で家族が幸せなのか?と再考して頂けることを望みます。
・今っぽいデザインだけど中身は夫を立ててのコラム中心ですよね。
ホント昭和かよ?いや江戸?Twitterで晒したら炎上案件だよなぁと。
・「これからも主人の望む新しい私でありたい」長年夫婦をやってきてますが「夫の望む私」でいたら間違いなく家庭崩壊してましたわ。
でも、分かってもらう努力はした。ケンカもしたし子供も色々あったけど、夫婦で、お互いを、そして子供も尊重出来るよう努力した。二人で努力しないと。
・リアルで嫁って我慢する側になってるからTwitterの愚痴アカで共感されてるのにリアル場面でも反省の日々、自分の心がけが?なんてモラ夫天国にしたいんか?お互いの労わりが大事なんやろ?とツッコミどころ満載な冊子なのです。
・天理教知らないママ友に見せたところ「ないわー、ヤバいわー」の連呼でした。
・その大教会長は天理大学の現理事長です。誰も翻訳しないでしょうが、欧米の提携校に知られたらマジアウトですね。
・これ、無信仰の友人と二人で見たけど「無いわ?」の一言。
男に合わせて「自分」って、さすが天理教が出しただけあるわ。ふと、セックスは拒否るなとオブラートに包んでたどこかの教会長を思い出した。
今どんどん男女平等になって来てるのに、こんな事言うの天理教とかモラ位だと私は思う。
・冊子の名称が組織の異常性を示していますね。現在、「嫁」は社会においてマイナスイメージを持たれる言葉です。
家制度に基づいた立場の低い妻、男尊女卑を推進していることになぜ気づけないのか。それが良いとなぜ思えるのか。
と、こんな感じです。心の片隅にお留おきいただければと存じます。
あれこれとまとまりのないことを書いてきましたが、意のある所をおくみとりいだだき、教祖の教えのみならず意見の発信の仕方と先人が道を切り拓いてくださったジェンダー平等についても謙虚に学び直して独りよがりに流れないよう思案をしていただきたいと強く思うものであります。
編集長、現場からは以上です。
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