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編集長!事件です。

先日、天理教婦人会河原町支部のあゆみ会が発行しているお嫁さん応援マガジン『YOME-YOME』と天理教青年会公式LINE発のWEBマガジン『FRAGRA(フレグラ)』- お道の良い”におい”を届けたい-の記事に年甲斐も無く逆上し、罵倒してしまいましたが、やはり大人げなかったと、ちょっぴり反省しましたんどす。
そんなわけで、心静かにあらためてその件について語ってみたいと思いますどす。

さて私が激オコした事の発端は『YOME-YOME Vol.8』に掲載された天理教の奥さんの「気づき」についての文章でした。『箸休め3』でも引用しましたが、その記事には臨時収入を得た奥さんが、心優しいご主人に勧められて美容院で髪を染めることになり、その時に思ったことを綴ったものでした。
その記事を要約すると、

主人から「思い切って今できる限界の色で染めて、俺をビックリさせてほしい」とのリクエストがあり、金髪に近い明るい色に染めることになった。(アラフォーのこととて)そんな髪色に染めるのは久しぶりだったので、不安と期待でドキドキしながら美容室に行った。その時にふと思ったのが、普段、周囲の目を気にして「みんながこうだから」とか「こうあるべき」と自分で自分を枠にはめていたということだった。
独身時代に好きだったことにも興味が無くなり、自分の好みすら分からなくなるほど心に余裕が無くなっていた。「私ってこんな人間だったんだ」と落ち込みもした。主人はそんな私を見かねて背中を押してくれたのかも知れない。私のことを私以上に分かってくれている主人からのアドバイスだったのだ。
主人の望む「私」こそ、私がなりたい「私」なのかも知れない。
これまで趣味も嗜好も違う主人からの提案に反対ばかりし、自分の思いを優先してきた私は自分自身で色々な可能性を無くしていたのかも知れない。
髪を染めた後、私を見て「若返ったね!」「よく似合ってるよ」と言ってくれる周囲の反応に、主人は私以上に喜んでくれている。改めて主人のお陰を感じ、これからも主人の望む新しい「私」でありたいと思った。
『YOME-YOME』Vol.8

という内容でした。いいお話ですよ。

紳助

でも私の高性能な(因果な、ともいう)全方位四次元レーダーがあるフレーズを捕捉していたのです。

主人の望む「私」こそ、私がなりたい「私」なのかも知れない。

思わず連想しましたですよ。奥村チヨさんを。
え、ご存じない?
じゃあいいです。これ以上触れません。今日の話に全然関係ないですから奥村チヨの名曲「恋の奴隷」は。
さて問題の「主人の望む「私」こそ、私がなりたい「私」なのかも知れない」との発言ですが、はっきり言いましょう。ご本人も「なのかも知れない」と推測表現を使っておりますが、そうです、それは錯覚なんです。一時の気の迷いなのです。
多分髪を金色にし、周囲からも若返ったと褒めそやされたことによって、お花畑を夫婦でワンコのように駆け回る映像が脳内に出現したのでしょう。
仲良きことは美しきかな。ではありますが、そんなしおらしい気持ちがずっと続くもんなのかな?
ていうか、せっかく先人たちの頑張りによってジェンダー平等の世界が近づいてきたというのに。なんでご主人の望むアナタになりたいのん?
そりゃまあ勝手ですよそれぞれの。自己責任ですからね、民主主義は。
実は時を同じくして私の全方位四次元レーダーはこんなのを捕捉しておりました。天理教青年会本部の『FRAGRA(フレグラ)』です。
『YOME-YOME』の深谷編集長のインタビュー記事がそこにあったのですよ。

「頑張るお嫁さんたちを応援したい」。そんな思いから、河原町大教会につながる若いお嫁さんたちの集まり「あゆみ会」によって創刊された季刊誌『YOME-YOMEヨメヨメ』。現在、発行部数1万部を超え、教内外を問わず多くの〝若嫁〟たちに愛読されている。お道の人には〝にをい〟がある。
「FRAGRA」第3回 ありのまま、全てさらけ出して

というのが『YOME-YOME』の創刊の主旨ということでした。1万部を超える発行部数というのですから大したものですよね。
『FRAGRA』のインタビューを受けて深谷編集長はかく語りき。

3年前、「あゆみ会」に参加していたメンバーが突如、教会を飛び出して音信不通になった。その後すぐに、夫婦関係や嫁姑問題で行き詰まった〝若嫁〟たちが、深谷さんの元へ続けざまに駆け込んできた。彼女たちと寝食を共にしながら、夫・廣大さん(35歳)と共に〝心のケア〟に徹した。
「彼女たちとは、それなりに話しているつもりでした。けれど、みんな教会の嫁という立場上の義務感で会に参加していたんです。お互いに事情の悩みでどん詰まりの状態やのに、うわべだけで本音で語り合っていなかった。『あゆみ会』は〝形だけの会〟になってたんや・・・・・・って、めちゃくちゃショックでした
こうした出来事を受けて、深谷さんは同会のメンバーとより深く話し合おうと努めた。さらに、お互いの事情の治め方について話し合いを重ねた結果、たどり着いた〝究極の解決方法〟は「主人を立てる」だった。
「私をはじめ、事情を抱えている多くのお嫁さんたちは、夫婦で男女の立場が逆転していることが分かったんです。例えば、物事を判断するときに、主人から何か提案されても、嫁が『それよりもこちらがいい』と否定して主導権を握ってしまう。最近の男性は優しいから萎縮し、自信を無くす。しかも物事はうまく運ばず、結果的に嫁にとっても全然プラスじゃない。まずは主人を立てて喜ばせ、毎日を心地よく過ごしてもらうことが、ひいてはお嫁さんの幸せにつながるのでは――と思ったんです」
といはいえ、当初、「あゆみ会」のメンバーの中でも、「それは時代に沿っていないのでは」「私の方がシンドイのに、夫を立てるなんて無理」といった反応も少なくなかった。
深谷さんは、お道の「男は天、女は地」の教えを踏まえつつ、「『主人を立てたら運命が変わる』とよく聞くけど、これを騙されたと思って、みんなで本気でやってみいひん? 」と働きかけた。
各自がその実践を振り返る場として『YOME-YOME』がスタート。第一号の巻頭言で、深谷さんは文章をこう締めくくっている。
「『主人を大切』にすれば家庭が変わる! 世界が変わる! 運命が変わる! そんな夢のような体験、一緒にしてみませんか?」
「FRAGRA」第3回 ありのまま、全てさらけ出して

なるほど、この深谷イズムが「あゆみ会」に浸透しているからこその「主人の望む『私』こそ、私がなりたい『私』なのかも知れない」という発言なのですね。
深谷編集長の影響力ハンパないっすよ💦
聞くところによると、平成16年(2004年)4月19日に行われた第86回天理教婦人会総会における現真柱の、

理想的な女性像について、結論からいえば、そばにいて温かく感じ、感性は豊かで、何を話しても怒らず、こちらの思う通りに動いてくれ、しかも理性を失わず、感情に溺れず、安心して何事も任せられる人、ということになるでありましょう。
第86回天理教婦人会総会 真柱様お言葉

という言葉が『YOME-YOME』創刊のきっかけになっているそうですね。
さすがに真柱のお言葉に異を唱える勇気はありません。でもここで蛮勇をふるっちまうのが私なんだよね。誰か骨は拾ってね。
ここで語られた女性の理想像は、長きに渡った家父長制の産物に過ぎないんじゃないかなあ。
つまりこの女性像なるものは、腕力も経済力も優位にあった男性への忍従が産んだ産物であって、「何を話しても怒らない」「こちらの思う通りに動いてくれる」「感情に溺れない」というものが女性の特性であるなどと断定するのは男性側の勝手な思い込みに過ぎないと私は思うのです。
「をもたりのみこと」と「くにとこたちのみこと」のおはたらきの解釈を男尊女卑にはあたらないとも仰っておられましたが、一方の性にだけ従属と忍従を強いることが「女松男松のへだてなし」の教えと果たして親和性があるのでしょうか。
「理想の女性像」という言葉自体が、暗黙の従属性という意味を含んでいるようにも思えます。甘えすぎなんじゃないですかね男が。実は自立できていないのは男性なのではないでしょうか。

國學院大學の井上順孝氏は

新宗教には男女の関係について伝統的価値観に従う保守性があり、総じて社会構造を変革する主体となることは期待できない。
『新宗教と性差別』

と述べており、また金沢大学の日比野由利助教は霊友会を例に挙げ

霊友会では、夫が浮気をしようが酒乱であろうが、妻はそのことで夫を責めてはいけない。家庭内の問題の責任はすべて妻にあるとされる。それは、妻が生活費を稼ぐ夫に対して十分な感謝をしないことから生じている。もっとも、妻が稼ぎを得ていても、そのことで妻が自分を優位に位置づけてはならない。黙って経を唱え、懺悔することが勧められる。そして、夫に対する感謝と尊敬の念を態度によって十分に示すことが求められる。例えば、夫に対してこれまでの非礼を、土下座をして詫びる、夫が帰宅したときには三つ指ついて迎える、夫に対する挨拶を心がける、など、具体的な行為を実行するよう指導された。夫より控えめで出しゃばらないでいることは、一般に、夫に対する妻の態度として日本社会では推奨されるものであるが、霊友会の場合、はるかに誇張されている。 
「女性活躍」がうまくいかないのはなぜか

と述べています。興味深いのが

女性が、その本性上割り当てられた一段低い地位に応じたやり方、すなわち「下がる」ことによって、夫や目上をはじめとする他者に対して倫理的な優位を勝ち取り、彼らに影響を及ぼさんとすることを、ヘレン・ハーディカーは「弱者の戦略」と呼ぶ。それは、社会的に劣位にあるものが、自己に有利な状況を作り出そうとする時に用いられる方策のことである。うまくいけば、見かけ上は自分を夫や目上のものよりも低く位置づけたままで、彼らを操作する力を手に入れることもできる。
(中略)
この方法は実際のところ、かなりの成功を治めた。教団が発行する出版物には、教団の教えに従い、妻が家庭での「下がる」修行を徹底的に行うことで、夫が改心したという成功談が頻繁に掲載されている。
「女性活躍」がうまくいかないのはなぜか

という記述でした。
ほぉー。他の教団では昔から戦略的にやってたんだ。なんだか嫌なものを見てしまった気持ちになりましたよ。
『FRAGRA』での深谷編集長の『主人を大切』にすれば家庭が変わる! 世界が変わる! 運命が変わる! そんな夢のような体験、一緒にしてみませんか?」という発言がまさか戦略的なものだとは思いませんが、ある意図をもって行うという点では同じなのかも知れない。
ただ知っておいてもらいたいのは、世の中はそれほど単純にできてはいないということです。社会も家族関係も夫婦関係もね。
「お互いの事情の治め方について話し合いを重ねた結果、たどり着いた〝究極の解決方法〟は『主人を立てる』だった」ってのは、短絡的に過ぎて全然普遍性が無いと思うんだよね。

ついでにもう一つ言っときます。『YOME-YOME』で夜の夫婦生活について書かれたものがありましたね。これです。

夫婦円満の秘訣1
夫婦円満の秘訣2
夫婦円満の秘訣3
夫婦円満の秘訣4
夫婦円満の秘訣5
夫婦円満の秘訣6


これを読んだとき、伊集院静氏の文章を思い出しました。

相手が哀しみの淵に、喪に服しているのにも気付かず、礼を外す態度を取ることが人間にはある。世の中というものは不幸の底にある者と幸福の絶頂にある者が隣り合わせて路上に立つことが日常起こるものだ。
だから大人はハシャグナというのだ。夜、酔って大声で歌ったり、口笛を吹くなというのは、そういうことを戒めるために教えられてきたことなのだ。
人間の死の迎え方はさまざまであるが、尊ばれるべき立場にあるのは、その家族、近親者である。彼等に対する礼儀を外すことはやはり人間として許されるべきことではない。悔みの言葉も態度もどんなに慎重に選んでも、近しい人を失くした人にはおそらく足りないのが気遣いである。
幸せのかたちは共通点が多いが、哀しみのかたち、表情はひとつひとつが皆違っているし、他人には計れないということを承知しておくことだ。それがたしなみである。
伊集院静『続 大人の流儀』

たとえば夫婦ケンカをしていても、肌を合わせることによって「どうしてあんなしょーもないことで腹を立てていたんだろう?」と怒りが雲散霧消してしまったという経験は誰にもあると思うのです。
でも今回『YOME-YOME』に掲載されたものは「グループLINEとか女子会とかママ友の集まりなどでしとけよ」レベルの話しだと思うんですよね。好むと好まざるとにかかわらず、目を通して脳に入り込むテクスト媒体に掲載する場合は相応の配慮が必要じゃないですかね。
編集長には伊集院静さんの言葉を噛みしめてみてもらいたいな。
『夜のYOME-YOME』(エロ本かよっ!)を手にした方の中には夫婦生活を営むことが身体的にも精神的にも困難な方がいらっしゃるかも知れない。
あるいは教内にも存在する旦那からの性暴力やそれに伴う望まぬ多産に苦しむ奥さんたちも多く存在します。当然モラハラ亭主も。その方達がどんな気持ちになるだろうか?と想像力を働かせることができないのなら、文字媒体に関わる資質が問われるでしょう。編集長の責任は重いですぞ。
そもそも他人の性交渉に関する話など不快で聞きたくないという人は大勢います。
深谷編集長は『FRAGRA』の中で「ありのまま、全てさらけ出して」ということを強調されていましたが、事ほど左様に「ありのまま全てをさらけ出す」世界が美しいものであるなどと私には到底思えないのです。さらに言えば「ありのまま全てをさらけ出す」フリをしているだけの方は周囲にいませんか?ありのままにさらけ出してくれていると、トップだけが錯覚していことはよくある事です。
大教会の後継者夫人が「『主人を立てたら運命が変わる』とよく聞くけど、これを騙されたと思って、みんなで本気でやってみいひん? 」と問いかければ、大方のメンバーはイヤでも首を縦に振る気がしますがね。よしんば取り巻きが本気で共鳴してくれているとしても、婦人会ヒエラルキーの下位に属する方々はどう感じているのでしょう。とても興味があります。

河原町大教会を、全教で一番『お嫁にいきたい大教会』にするのが夢です。そして、嫁いだ後も『河原町に来て良かったなぁ』と思ってもらえる教会でありたい。
FRAGRA 第3回 「ありのまま、全てさらけ出して」

と仰っていますね。言葉の端々から女子青年さんや若い奥さんたちへの強い愛情を感じますので、そこに潜む無自覚な「人の私物化と選民意識」についてはスルーしておきますね。惻隠の情というやつです。私も鬼じゃないですから。

「『主人を大切』にすれば家庭が変わる! 世界が変わる! 運命が変わる! そんな夢のような体験、一緒にしてみませんか?」
という編集長の志は素晴らしいと思います。でも今回取り上げた発言や発信されたものに対するTwitterでの反応を見ていると心配になるんですよ。大丈夫なのかと。最後にTwitterに溢れた声を紹介しておきます。

・これが令和の天理教女子か。悲しすぎる。
・ショックです…これが天理教の教えなのでしょうか(p_-)
・ショックですよね…教えというより夫を立てることに焦点が行き過ぎてこの考え方で家族が幸せなのか?と再考して頂けることを望みます。
・今っぽいデザインだけど中身は夫を立ててのコラム中心ですよね。
ホント昭和かよ?いや江戸?Twitterで晒したら炎上案件だよなぁと。
・「これからも主人の望む新しい私でありたい」長年夫婦をやってきてますが「夫の望む私」でいたら間違いなく家庭崩壊してましたわ。
でも、分かってもらう努力はした。ケンカもしたし子供も色々あったけど、夫婦で、お互いを、そして子供も尊重出来るよう努力した。二人で努力しないと。
・リアルで嫁って我慢する側になってるからTwitterの愚痴アカで共感されてるのにリアル場面でも反省の日々、自分の心がけが?なんてモラ夫天国にしたいんか?お互いの労わりが大事なんやろ?とツッコミどころ満載な冊子なのです。
・天理教知らないママ友に見せたところ「ないわー、ヤバいわー」の連呼でした。
・その大教会長は天理大学の現理事長です。誰も翻訳しないでしょうが、欧米の提携校に知られたらマジアウトですね。
・これ、無信仰の友人と二人で見たけど「無いわ?」の一言。
男に合わせて「自分」って、さすが天理教が出しただけあるわ。ふと、セックスは拒否るなとオブラートに包んでたどこかの教会長を思い出した。
今どんどん男女平等になって来てるのに、こんな事言うの天理教とかモラ位だと私は思う。
・冊子の名称が組織の異常性を示していますね。現在、「嫁」は社会においてマイナスイメージを持たれる言葉です。
家制度に基づいた立場の低い妻、男尊女卑を推進していることになぜ気づけないのか。それが良いとなぜ思えるのか。

と、こんな感じです。心の片隅にお留おきいただければと存じます。
あれこれとまとまりのないことを書いてきましたが、意のある所をおくみとりいだだき、教祖の教えのみならず意見の発信の仕方と先人が道を切り拓いてくださったジェンダー平等についても謙虚に学び直して独りよがりに流れないよう思案をしていただきたいと強く思うものであります。

編集長、現場からは以上です。

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