5月の桜
5月のよく晴れた日、父は突然旅立った。
北海道では桜がとても美しい季節である。
当時札幌に住んでいた私たち夫婦は、連休を福岡で過ごすために新千歳空港にいた。どこの屋台に行こうか、お土産は何がいいだろうとわくわくしていた矢先にケータイが鳴った。妹からだった。
父が運転する車が事故に巻き込まれ、助手席の母とともに病院に運ばれたという。
その前日、電話の向こうで母とゴルフに行くことを楽しそうに話していた父。
それが最後の親子の会話になるなんて誰が想像しただろう。
運転席目掛けて突っ込んできた車から父は母を守ろうとしたのだろうか。勤務していた総合病院に運ばれた父は意識が朦朧とするなか力の限り母の名を呼んでいたそうだ。まるで母を探すかのように、ずっと、ずっと。
結局、私たちが駆けつけたときには父は冷たくなっていた。
母は複雑骨折で済んだが長期の入院が必要だった。
毒舌だけれど、陽気で面白い父。
これもきっと悪い冗談なのだと信じたかった。
葬儀は病院関係の皆さんが大々的に執り行ってくださった。
父の友人、知人、お世話になった方々、親戚たち...車椅子に座り遠くばかり見つめている喪服姿の母に代わり私は心からお礼を述べた。
その時だった。
遠い親戚である初対面の老女からふいに言葉をぶつけられた。
「孫の顔も見せないで。なんて親不孝な娘なんだろうね。」
当時結婚して4年目だった私たち夫婦は、子どもがほしくてもなかなかできずに悩んでいた。孫の顔を見せたくなかったわけでは決してない。父の死により、ただでさえ絶望の暗闇の中にいるというのにこの言葉はかなりこたえた。
突然のことで反論すらできなかった私はただただ自分を責め、涙を流すばかりだった。
そのとき、高校時代からの友人が声をかけてくれた。
「お父さまのこととても残念だけれど、亡くなる前にきれいな花嫁姿を見せてあげられてよかったじゃない。」
彼女の優しい微笑みが涙でゆれた。
ありがとう、と言いたいのに私は泣き崩れることしかできなかった。
あれから時は流れ、私は3児の母となった。
映像や写真の中の彼らの祖父は50代のままで、年を取らない。
娘の結婚式の動画では嬉しそうに笑っている。
亡くなる前にきれいな花嫁姿を見せてあげられてよかった。
父の死という現実にもがき苦しむたびに、
いつも彼女の言葉を思い出した。
私も心からそう思う。
ネガティブな面を振り返るのではなく、
ポジティブに物事を捉えて生きるようになったのは
もしかしたら彼女のおかげかもしれない。
今日も私は、寝る前に子どもたちとその日あった「よかったこと」を10個探す。
よかったことを見つける才能は
いつか自分を、
そして周りの人をもきっと助けてくれるから。
子どもたちには
5月の桜のように美しくみずみずしい心のまま
大きく育ってほしい。
父も天国から孫たちを見守ってくれているだろう。
いただいたサポートは、入院で小さくなった胃を元のサイズに戻すために使わせていただきます。