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N4書房の夏休み日記 0801-0831

0801

週一の更新は少し休むが、日記は記録しておくだけでも後から読むと面白いので、一応少し書いておくことにする。

今のコロナの感染状況は増える一方で、東京の感染者数は一日で三千や四千人になっている。これは7月半ば頃から予想されていた。死亡者数は減っているのでワクチンが効いているというのだが、40-50代の接種がまだで、自分も8月末にならないと一回目すら打てない。

相変わらず新選組や幕末に関する本を読んだり、映画を観たりしている。

 

0802

「#ベレー帽とカメラと引用」の新装版01号、02号のバラ売りを開始する。


一日遅れて聴いた「music is music」(ゲスト:浜口茂外也)が素晴らしく、「夢で逢えたら」のフルートについて、NYでの合気道の話、ちあきなおみの「待夢」、最後にご尊父の浜口庫之助について。30分が1時間に感じられるほど内容の詰まった回だった。

 

浜口倉之助は「拝啓天皇陛下様」で昭和天皇役を演じているので、あの映画をスタッフに勧めていたという牧村さんとのつながりもあるし、モデルになったという意味では手塚治虫のマンガのモデルになった牧村さんとも通じる。さらに調べると(といってもウィキペディアを読んだだけ)SSWとして「愛して愛して愛しちゃったのよ」が和田弘とマヒナスターズのヒット曲なので、小山田圭吾とも通じている。さらに作詞作曲リストを見ていると大場久美子への提供曲で「大人になれば」という曲もある。これは聴いてみても全く記憶にないし、小沢健二とも関係なさそうだが、ちょっとした話題としては面白い。「ババラビ ラバビビ ベベロボビー」という曲があり、これも気になる。

 

0803

幕末から明治維新の頃に関する文章を読んでいると、「官軍と賊軍」といったように、どちらかが「正しい」「悪い」と決めたくなってくるのだが、なかなかどちらとも決め難い。しかし、様々な立場があり、利害得失と意地と、生活と欲望、才能と運命とその他あれこれが絡み合っており、それらが立体的に少しずつ見えてくるとますます面白い。司馬遼太郎が明治維新を見たように、FGや「渋谷系」を見ることができればいいなあと思う。音楽批評や音楽ライターではなく、歴史学者や歴史ものの作家を参考にした方が得るものが大きいかもしれない。

 

0804

ワクチンを打ったとしても、デルタ型やもっと強い変異株には効かないというニュースがあった。それではどうしようもないのだが、05号の製作はコロナ禍の状況がさらに悪化する中で行うことになるのだろうか。

 

0805

中学生の頃は、過去を書いた本の面白さをほとんど理解できなかった。それは学校の歴史の先生の話が退屈だったのと、近未来や遠未来や「ありそうな可能性」について書かれたSFの方に魅力を感じていたせいだろう。しかし今になってみると、目の届かなさにおいては過去も未来も似たようなものだ。未来がはっきり見えないのと同じくらい、過去だって見ようとしなければ見えないもので、自分が経験した過去(70-90年代)についてすらあやふやで、立場や年齢によって大幅に見方が異なる。

 

0806

早川書房から宅急便が届いたので見てみると、「木曜殺人クラブ」のゲラが入っていた。先行配布して読者モニターの意見を募り、広告その他に利用させてもらいますよというキャンペーンに当選したのだった。応募したこと自体、さっぱり覚えていないがnoteで早川書房をフォローしているのでその関係らしい。当選者数が20名なので、なかなかの幸運ぶりである。500ページあるので大変だが、ちょうど読書会を休会にしてこの先は未定という状況だった(3か月分の場所代が返金になったところ)し、明治維新関連の本の合間に海外のミステリを読むのは箸休めによい。

 

◆2020年に英国で刊行以来、異例のスピードで累計100万突破のベストセラーに
◆デビュー作にして全英図書賞の年間最優秀著者賞を受賞
◆英米の主要書評誌が軒並み絶賛! 英ガーディアン、米ウォール・ストリート・ジャーナル、Amazonほか主要媒体の年間ベストミステリに選出
◆スティーヴン・スピルバーグ率いる製作会社による映画化が決定

と、すごい宣伝文句が並んでいる。これは期待してもいいかもしれない。

 

フジロックのコーネリアスはキャンセルで、メタファイブは欠席+追加メンバーでしのぐらしい。

 

0807

日記をnoteに公開しない期間は、創作論のメモを少しずつ移すことにした。一つの記事の設定金額は最低100円なので、とりあえず100円にして三十回ほど出してみる。できれば「全部を有料記事として読むと3000円かかりますが、本にしたものは一冊900円です」という風にしたい。

 

0808

「スペクテイター」の赤田氏がコメントを発表した。当時はいじめに対する白々しい、空疎な意見が多かったという点は今ではかなり伝わりにくいだろうなと感じる。実態のはっきりしない、漠然とした「ネットの総意」を想定していちいち相手にしていたら議論ができない。

 

 FGと同じ時期にコシミハルの「パスピエ」「父とピストル」を聴いていたっけなと思い出した。「父とピストル」は91年2月1日の発売だった。当時のライブのメンバーを見たらパーカッションで「浜口茂外也」とあり、これは驚き。

 


 0809

「一票の格差」という言葉を見るたびに、国別の代表選手が争う形式の大会の方がよほどおかしいと感じる。人口が10億人の国の代表と、1000万人ほど(か、それ以下)の国の代表とではかなり条件が異なるではないか。スケボーやサーフィンは国別という発想が希薄で、あくまでも個人の目標達成のためという意識で参加しているそうで、これはオリンピック関連で唯一、喜ばしいニュースだった。

“大会で、ある選手が大技に挑んだ。失敗して滑走を終えると、他の選手たちが「もう1度」とばかりにボードを慣らす。観客も呼応して歓声をあげる。再度大技に挑戦して失敗、さらにもう1度…。5度目くらいで成功すると、優勝者以上の拍手と歓声が起きる。もちろん、競技は中断したままだが、オフィシャルもやめさせようとはしない。不思議そうに見ている記者に「これ、普通ですよ」と関係者が耳打ちしてくれた。”

 

3巻くらいまで読んでそのままにしてあった「チェンソーマン」を最初から読み直して、8巻まで読む。8巻のような、途轍もなくレベルの違う存在が出てくるとゾクゾクする。頭ではなく皮膚や肉や骨までゾクゾクする。

 

0810

mixiにフリッパーズ・ギターのコミュニティがあり、副管理人が不在だったので立候補してみたら承認されていた。しかしコミュニティの書き込みはほとんどないので、ネット上の廃墟のようになっている。

「チェンソーマン」最後まで読む。

 

0811

「木曜殺人クラブ」にコーネリアスという人物が出てきた。しかし、発売前の小説で、登場人物表にもないほどの脇役なので、これほど小さなコーネリアス豆知識は他にないだろう。

 

0812

「木曜殺人クラブ」は200ページくらいまで読んだが、都合よく誰それさんの会社の財務状況がわかる資料が入手できるものなのか、都合よく目撃者が出てくるものか、その辺でちょっと引っかかる。もう20人近く登場人物が出てきており、この中に犯人がいてもいなくても、さほど面白くはならなそう。

 

0813

「木曜殺人クラブ」はやっと半分辺りまで。ようやく第一章が終わり、怪しい人物が殺されて「えっ!」という驚きが一応あり、話としては盛り上がる。

 

0814

ある所で大瀧詠一の貴重な映像を見せてもらって、オーラを感じる。しばしば歌詞を間違えたり、ごまかしたりもする。もはや当時の本人よりも正確に歌詞が頭の中に入っているファンの方がずっと多いという、一種の栄誉。

 

富裕層セットを閲覧する人が相変わらず多い。単にネーミングのせいで気になっているのか、それとも商品を買いたいと思ってみているのか。どちらか不明ながらネクタイを追加生産しようかなと考える。

 

 「木曜殺人クラブ」読了。冗長な説明や描写を読むのが面倒で、短歌や俳句を読みたくなった。残念ながら、not for me.としか言いようがない。主人公を含めてお年寄りが多いので、そういう年齢層を意識して宣伝するとよいと思う。若者をターゲットにしたアニメも、お年寄り向けミステリも、どちらも楽しめる作品は楽しめるのだが、これはそうではなかった。説明を説明と感じさせないような、ハインラインやディケンズや山本周五郎や宮部みゆきを読みたくなった。

 

0815

グレアム・グリーンの「ブライトン・ロック」を読むことにする。タイトルの「ブライトン・ロック」とは棒状の飴だという。しかしイメージがわかない。アメリカでいうとソルト・ウォーター・タフィだというが「ソフト・ロック名盤百選」的なリストに載っている方しか頭に浮かばない。画像検索してみたらよくわかった。

 

牧村さんがツイッターで推薦されていたのでNHKの武満徹に関する番組を待っていたら、21:00~の予定が翌日0:10~に変更になっていた。うまい具合に空いた時間を縫って映画「否定と肯定」を観る。無料配信だが10分おきにCMが入る。しかし昔のテレビの映画のようなもので、慣れてしまうと苦にならない。

 

 0816

泉鏡花の短編に絵をつけた「絵本の春」(絵:金井田英津子)を読んでいたら、解説に「手で作った窓」に関するコメントがあり、ここまで来て急に「カメラ・トーク」における「カメラ」との共通性に思い当たった。視線に自分で枠組みを作る装置としての手窓。表紙の絵はまさしくカメラを構えるようなポーズである。本書の絵を描いた人のこれまでの仕事歴には、オザケンのお父さんとのコラボもある。

 

 0817

それにしても鏡花は数多の作家の中でも独特の風合いを持っている。「パソコンで言うとOSごと交換しなければスピノザは理解しにくい」のと同じで、前提や根底やルール自体が異なるので、OS自体を変えて解読するようなところがある。

 

「絵本の春」で好きな箇所。

「大女の小母さんは、娘の時に一度死んで、通夜の三日の真夜中に蘇生った。その時分から酒を飲んだから転寝でもした気でいたろう。力はあるし、棺桶をめりめりと鳴らした。それが高島田だったというからなお稀有である。地獄も見てきたよ――極楽は、お手のものだ、と卜筮ごときは掌である。」

「――旧藩の頃にな、あの組屋敷に、忠義がった侍が居てな、ご主人の難病は、巳巳巳巳、巳の年月の揃った若い女の生胆で治ると言って、――よくある事さ。いずれ、主人の方から、内証で入費は出たろうが、金子にあかして、その頃の事だから、人買の手から、その年月の揃ったという若い女を手に入れた。」

 

0818

表現の送り手と受け手の間に存在している根本のルールそのものが、どこか違う、ずれている、異なっていると思わせるのは高野文子の描く漫画も同様で、ちょっとルールが違うというより、その都度「書き換えられた常識」「新しい規範」で描かれているように感じられる。

 

桐山もげる氏が柴田聡子の歌詞について、noteに考察を書いていた。例として記事中に入っている動画を見てみると、確かに奇妙なほど同じフレーズを繰り返している。普通に考えると、反復によっていわば意味の空洞ができてしまい、一種のトランス状態になるのかなと思う。漢字のゲシュタルト崩壊のような。しかし、通して聴くとそれとも少し違うような独特のリフレインである。

 

別の考え方をすると、歌詞の「一番」「二番」「三番」という段階的な移行の感覚がちょっと普通とは違うようでもある。しかし、歌詞全体を読んでみると一応、きちんとしている。鏡花も「全体より細部」「細部に拘泥する」と言われているので、ピントの合わせ方に個性が出るのかもしれない。

 

0819

明治時代に関する本を読んでいて、たとえば西園寺公望の若い頃の写真を見ると加藤和彦を連想したり、キリッとした山川菊栄の写真を見てDAOKOを連想したり、変な風に頭の中で結びつきができる。フリッパーズ・ギターのフォロワーをいくつも挙げているブログを読むと、新選組の悲劇性と似たものを感じる。

 


0820

短歌誌「ねむらない樹」の葛原妙子特集号を読んでいたら「~あれば」が一首の中で二回出てくる、ちょっと変った表現の話題が出てきた。「ベレー帽とカメラと引用」でチラッと紹介した服部真里子も「~ように」を二回使っているという。前々から「子供のようにしゃべりたいのだ/静かなタンゴのように」という特殊な使い方が気になっていたので、これにはちょっと驚いた。直接の影響関係はないと思われるが、時系列的には「葛原妙子ー小沢健二ー服部真里子」の順番になる。この三人がこんな風につながるとは嬉しい。

 


いじめやパワハラの被害者や弱者に対して「とにかく逃げろ」というメッセージを伝えたがる人が多い。私も心身を病むくらいなら逃げた方がいいと考える。ところがなぜか、権力を持った強者がそのメッセージを受け止めて、何か批判されるたびに「ご指摘はあたらない」のひと言で逃げてしまう。

 

0821

貰い物の缶ビールを飲み切れないので、友人にあげることにする。代わりにビールを二本と「宝石の国」のDVDを沢山もらう。

 

〇〇に関する本を作ろうと考えて、仮にタイトルを決めて表紙だけ作ってみるとますますやる気が湧いてきた。 

 

0822

救急車を見かける、すれ違う、追い越される回数が一日に2~3回という状態に慣れつつある。ここ数日の感染者数は東京で一日五千人、埼玉で二千人ほど。


0823

明治維新に関する本を読み散らかしていて、以前読んだ「酔って候」を急に思い出した。これは幕末の藩主に関する短編集で、時代の変転の犠牲者とでもいった人々の肖像が描かれている。

当時の自分の感想を読み返してみたら「幕末から明治維新を扱った諸作はいずれも横のつながりがあって、あちこちに同じ人物がちょいちょい出てくるので読みやすい」とあった。

もっと要約して言うと、この時代を描いた小説や映画はみな群像劇の一種のように感じられる。この時代を扱ったフィクションや史実・記録がなぜ面白いかといえば、それは群像劇の舞台として面白いからだ。司馬遼太郎の明治、山田風太郎の明治、誰かの日記の明治、その他あれこれの研究やフィクションが寄り添いあい、ハモりあい、カクテルになって味わいを増し、幾重にも折り重なって連関する。

 

0824

ワクチン接種の一回目に行ってきた。これでようやくひと安心といったところ。

 

0825

松岡正剛の「編集力」を読んでいて、ガブリエル・タルドの「模倣の法則」の章が面白かった。これほどはっきりと「オリジナリティ」を罵倒する文章を初めて読んだ。

「世の中で一番つまらない信仰はオリジナリティ信仰である。」

に始まって「むしろ模倣の編集方法をまねぶべきである。深層・中層・表層のどこに注目するのか、アーキタイプ(原型)・プロトタイプ(類型)・ステレオタイプ(典型)のどこを吸収するのか、模倣の目によって世界を比較するにはどうしたらいいか、そういうことをまねぶべきである。とくに模倣の奥を動かしている『連想力』や『類推力』から離脱してはいけない。」と続く。

 

模倣について書こうとすると、人類の歴史を丸ごと見直さなければいけない。自分は歴史的な流れにも興味を感じるが、個人史の方に興味がある。日本に生まれたある平均的な個人は、どのように「模倣」に関わるのだろうか。と考えると、小学校で強制的に「模倣」すべき教科と「自由」に表現すべき教科を分けてしまっている点がおかしいように思われる。

 

絵画や作文はいきなり「自由」を与えて、「自由」に表現することを求めるのに、習字は「模倣」すべきお手本通りに書くことを要求する。これは逆にしても良いはずで、絵画なら模倣7:自由3くらいの設定にしても不思議ではない。作文もある程度の「型」「構成」「正確さ」の習得を優先しても良いはずだし、名文を暗唱させる、模倣して書く、自分の書いた文章の文体を変えて書き直す、などの作業を一回でもさせれば意識が変わるはずだ。

 

生島遼一「鏡花万華鏡」を読んでいて、たまたまこの方の命日が1991年の8月23日だったと知る。ちょうど2,3日前に自宅の本棚から引っぱり出して読み始めたので、運命的な導きを感じる。ラディゲやフローベールもこの人の翻訳で読んだ。ちなみに8月25日はFGのデビューアルバムの出た日だ。

 

0826

新しい本の構想が広がり、一冊目は「青」、二冊目は「海」、三冊目は「波」として、三冊まとめて「青海波(せいがいは)」とすれば綺麗でいいなあと考える。

その後は青に対して「紅」、海に対して「山」と対応して置ける。その次は「女」とすれば「紅山女」になって、これも何となく格好がつく。


本を作る作業の前段階として、「次に作る本のそのまた次の本を考える」「新しいしおりを作る」といった作業が儀式のような、決まった手順のようになっている。まさにそのようなコースをたどって05号に着手しつつある。今日は新しいしおりを作る。これは作りすぎても自分で使うので損にはならない。出来の良いやつはN4書房のお客様用で、失敗作は自分で使う。

 

0827

商品の数が増える一方なので「合計で2000円以上のお買い上げの方は送料無料」とする。もともと定価が2000円を越えている商品は、一点だけ買っても自動的に無料になる。

 

0828

某所で岸野雄一さんのお話を聞く。世間知も学問的な知もどちらもお持ちで、発想力や実行力もある方で、赤塚不二夫の漫画に出てくるキャラクターのような存在感と非現実っぽさを感じる。

あっという間に時間が過ぎて、帰ってからスコラの「Film music」の予告、講義などをYoutubeで見つける。岸野さんが坂本龍一と浅田彰の間に座っているだけでもユーモアを感じる。こういう人が日本の総理大臣になればいいのにと思う。





0829

何かに対して〇か✕かの✕ばかりで批判する人というのは、評論家や批評家ではなくて批判家とでもいうべきで、もっと単純にいうと「不平不満家」かもしれない。

 

「黄金の七人」のDVD(ニューマスター版)がなぜか「ヘッド博士」風の背景になっている。


0830

アマゾンのサイトに入れないので、代わりにhontoに登録したり、古本をヤフオクから買ったりして、かえってその方が安くつく場合も結構あるのだと知る。使い道のないポイントやペイペイの残高を整理できた。


0831

ワクチンの二回目を少し前倒しで予約し直す。これで少し気が楽になる。夜になって、綾瀬はるかが肺炎で入院しているらしいというニュース。


*次回は9月1日~30日分となります*

 

 

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