開拓と抑留。Pioneering and internment.

これは、私が今からちょうど20年前に、ある老人から聞いた話です。

私はその時、その話を老人の体験談として聞きました。しかし今となっては、2つの意味で事実とは異なるかもしれません。まず、私が聞いた時点で、老人の記憶に基づく古い話であること。次に、20年が経過しているため、私の記憶も曖昧であること。あなたもご存知のように、記憶というものは記録とは違います。記憶は、すぐにあやふやになり、ときに改編され、良くも悪くも、変化していくものです。無意識の自我というものが改編を促すのかもしれません。ですから、この物語は記憶を基にした、掌編の『小説』として読んでいただけたらと思います。

「生まれたのは田舎の農家。末っ子。三月三日生まれが嫌だった。だって『桃の節句』だろ。何だか格好悪くて。兄貴は賢くて、兵隊さんとして偉くなってった。儂は学校が好きじゃなかった。学校も儂を好きじゃなかった。だから伝手で都会に出て、奉公に行くことになってた。だけど、その前に役場の人が『開拓しろ。満州行け。天国だぞ!』って誘ってきた。兄貴に相談したら『やめとけ。天国なんかどこにもない』って。でも田舎も奉公も嫌だったから、兄貴の反対を押し切って、半島経由で満州に向かった。兄貴は餞別に小遣いと辞書をくれた。露和と和露がくっついた1冊の辞書。わけがわからんかったけど『きっと役に立つ』という言葉を信じて鞄に詰めた。満州までは暇だったから、ずっと辞書を読んだ。もちろん、つまらんかった。満州は大都会だったけど、田舎から来た儂らは、すぐに原野に連れて行かれて開拓だ。天国? じゃないよ。まともな道具なんてありゃしない。逃げ出す者もいた。儂は逃げても帰る所がない。田舎よりましだ。居場所があるし、土地もある。そのうち慣れた。若かったからな。もちろん中国とか露西亜とか、それから戦争のことは知ってた。でも負けるなんて思ってなかった。

ある日、飛行機が低く飛んできて鉄砲でババババババ。露西亜だ。殺す気はないんだ。でも、こっちはそんなこと知らないから、恐ろしくて林の奥に逃げたら、またババババババ。周りの木が、文字通り、木っ端微塵。死ぬと思った。捕まってシベリアに連れて行かれた。何だか、あっという間の出来事で。抑留された場所は、まるで芝居とか映画とかの作り物みたいな、掘っ立て小屋みたいな町だった。床屋も医者も先生も落語家も坊主も農家も兵士も大工も商人も鍛冶屋も、まあ町にいるような人間が、そのままそこにいた。儂らのやることは石炭を掘ることだ。朝、パンを1つもらって。固いよ、すごく。腹は減るわ、力は出ないわ、掘るのはきついわ。へとへと。儂は仲間内で一番若かったけど、その数年で、すごく年取った気がした。地獄? 地獄よりも地獄。夏も嫌だけど冬が厳しい。死者も増える。凍死じゃないよ、栄養失調、餓死。まともに食べられないから。だからゴミ置き場をあさる。時々、露西亜兵が食べたあとの、肉か何かの空き缶を見つけて、その中に雪を詰める。ポケットに隠していた石炭の欠片に火をつけて、マッチ? 持ってたんだろうな、雪詰めの空き缶を焙る。雪が解けてお湯になる。肉だか何かの脂が薄く浮かんだスープの出来上がり。うまい? うまかないよ。けど死ぬのは嫌だ。冬に遺体を埋めるのは大変なんだ。一度やればわかる。凍土だから浅くしか掘れない。坊主がいればお経でも、いなければ簡単に手を合わせて葬式は終わり。悲しい? 確かにね。でも明日は我が身だから。気持ちが少し麻痺してくる。そうやって3年? いや5年? 何人か亡くなって、何人かは引き揚げることができた。儂は早い方だったかな。舞鶴に着いた。

田舎に戻ると、少し前に亡くなっていた両親の墓参りをした。自分の名前も墓石に刻まれていて、すーっと力が抜けた。変な気分だった。儂は生き残っているのに、死んだことになっていた。役場で戸籍を復活してもらった。兄貴も復員していた。戦争で生き残ったけど、末期癌で痩せ細って、半年で亡くなった。最期に会えて良かった。亡くなる少し前に、擦り切れて、頁も落ちて、ボロボロの、あの辞書を兄貴に見せた。兄貴は満足そうに笑った。そうに見えただけかもな。ほんとは、儂がそう思いたいだけなんだろうけど。

露西亜の辞書は役に立ったか? 文字の意味はわかった。話す言葉も、何となくわかった気がした。だけど儂は一言も話さなかった。話せたかどうかも、今となってはわからん。ただ辞書が見つかっても没収はされなかった。不思議だった。そのお陰で生き延びたようにも思う。わからんけれども。

引き揚げてから抑留仲間に会ったか? 一度だけ。あとは特に会ってない。忘れたいわけじゃない。忘れられるものでもない。でも戦争は戦争だから。

詰まらん話を長々と、すまんね。ありがとうね。」

もしあなたが私のnoteを気に入ったら、サポートしていただけると嬉しいです。あなたの評価と応援と期待に応えるために、これからも書き続けます。そしてサポートは、リアルな作家がそうであるように、現実的な生活費として使うつもりでいます。