発達親子の生活(不登校の歴史・1)

どうも。アラフィフおばちゃんです。
息子の不登校について書こうと思ったら、始まりは幼稚園の年少さん(3歳)から高校卒業(18歳)までと、それはそれは長い話になってしまうので少しずつ書いていこうと思います。
※大学時代も若干の不登校傾向はあったものの、途中からオンラインになったので高校卒業までとします。

最初の難関

幼稚園、それはほぼ遊びに行くようなもの・・・と思ってました。我が子が入園するまでは。
まず、幼稚園選び。
私立で少人数、そして障害児を受け入れた経験があるところを探すところから始まりました。
当時は転勤族だったので、ママ友などもおらず同じマンションの子どもたちは徒歩圏内にあるマンモス幼稚園へ通っている子がほとんどでした。
そんな中みつけた幼稚園は本当に小規模で、プールすらないところでした。しかし、障害のある子を過去に何人も受け入れた経験があり実際に園長先生とも話をさせていただいて、その幼稚園に決めました。
 
幼稚園のバスも近くまで来るのですが、これは頑なに拒否。ママと一緒に車の中で歌いながら幼稚園に行き、帰りもママのお迎えで帰る・・・まずこれが基本形。
幼稚園は教会系だったので、日曜礼拝がありましたが基本は週5日。
だいたい頻度としては、週に一度はお休みしてましたね。

私自身も「行きたくない〜!」と泣く息子を無理に連れて行く気もなかったので、休みたい時は休ませていました。
少しだけ工夫したのは、園の行事のお手伝いに私が率先して参加することで「今日、ママはみんなの身長測るから一緒に行こう!」みたいな感じで誘うと登園してましたね。

あと、幼稚園をお休みするとやることがなくて暇だったので、お花見に行ったり公園に水遊びしに行ったりしてました。
「幼稚園休んで何やってるんだ!」って声が聞こえてきそうですが、とにかくいろんなことに過敏だった息子には出来るだけ発散できる何かが必要だと思ってのことでした。

しかし、子どもって無邪気だからこそ残酷・・・お迎えに行ったときに「なんで○○くん(息子)は粘土に棒刺してるだけなの〜?」←触覚過敏で油粘土が触れなかった。
と聞かれたり、「なんでお弁当がいつもロールパンなの〜?」←超偏食期。
子どもから見れば単純な疑問がグサグサと刺さる時もありましたが、いつからか「まぁ、他人の子供の言うことなんて気にしても仕方ないか」と思うようになり(サイテーな人間ですみません^^;)
「○○くんは、それ苦手だからだよ〜」とか「気分じゃなかったんじゃない?」とかテキトーに答えてました。

そんなこんなで、「行きたくない時は休む」を貫いた幼稚園時代でした。
本当にしんどいのは、小学校に入学してからなのでそれはまた次回に・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?