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発達親子の生活(番外編・出産までの道のり)

・母の執念

どうも。アラフィフおばちゃんです。
今日は息子を妊娠してから出産するまでに起きたこと、その時に画策していたことについて書こうと思います。

妊娠に気づいたのは、不正出血がきっかけでした。もともと生理不順ではあったのですが、下腹部の痛みに対して経血の色がおかしいな・・・と感じたのです。
その時、元夫は入院していてペーパードライバーの私は運転して婦人科へ行くことも出来ませんでした。
元夫の退院日に、そのまま今度は私が婦人科へ。
医師からは「切迫流産のため絶対安静」と伝えられました。

とりあえず、当時は転勤族で助けてくれる人が周りにいない状態。不安で仕方なかったのを覚えています。
そして、同時に始まった悪阻(つわり)。これがめちゃくちゃきつかった・・・
とにかく食べたら吐く。食べなくても吐く。どんどん減っていく体重。

結局、悪阻だけで4回入院しました。

なにせ、悪阻が落ち着いたのが妊娠6ヶ月でしたので・・・
6ヶ月といえば一般的に安定期に入る頃だと思うのですが、私が医師から「安定期に入ったと思って大丈夫ですよ」と言われたのは、8ヶ月に入ってからでした。

悪阻から開放され、安定期に入ったと言われた私はご機嫌で万歩計を購入してお散歩を始めました。更にこの頃に「逆子かも」とも言われて毎日逆子体操もしていました。

結果。
逆子は直ったけど、9ヶ月で「切迫早産」と診断され再び安静生活へ。

おかしい・・・妊娠が判明してから毎月有名な育児雑誌を読み込んでるのに、私の妊娠はイレギュラーの連続だぞ・・・

安静を言い渡されて、ゴロゴロしながらいつも思っていたのは「とにかく元気に生まれてきて欲しい」その一心でした。なにせトラブルまみれだったので。
私の体はかなりボロボロだったのですが、検診のたびに「赤ちゃんは順調ですからね」と言われることだけが救いでした。

しかし、こんなに体重が減って入退院を繰り返したり逆子宣告されたりと母体はボロボロなのに、胎児だけがこんなにすくすく育つものだろうか?という疑問が。そこで私がたどり着いた答えは

きっと私の胎盤はめっちゃすごいに違いない。

というものでした。
どうしても胎盤が見たい。そのためには出産の時しかチャンスはない。
何が何でもこの目で胎盤を見てやる。
そう思いながら、予定日を待つ日々が始まるのでした。

しかし、一生に一度の私の妊娠〜出産は最後の最後まで一筋縄ではいかない。
まず、微弱陣痛が起きていつでも入院できるように準備していたら、陣痛がおさまってしまう。更に思った以上に胎児が大きくなったかもしれないので、帝王切開も視野に入れて欲しいと言われる始末。(私が痩せ型で骨盤が狭かった)
「切迫早産」と診断されて安静に過ごして迎えた臨月。

産まれる気配がない。

まさか、このまま産まれないんじゃないかとすら思い始めた頃。医師から「帝王切開のために入院準備をしてください」と言われました。
そして、予定日を11日超過した日に「おしるし」があり、陣痛がやってきました。

医師からは「陣痛が来たので一旦自然分娩に切り替えて、母体が耐えられなくなったらすぐに帝王切開に切り替えましょう」と言われました。

え?陣痛の痛みと帝王切開のダブルを経験するの???

これは、どうしても自然分娩でいきたい。なぜなら、陣痛が想像を絶する痛みだったから。
こんなに痛い状態まで我慢してから、更に切られるのは嫌だ!というその一心でした。
痛みは、鼻にスイカとか色々言いますが私の場合は

お腹の上をバッファローたちが駆け抜けていくような痛みでした。

どうにか子宮口が開いてきて、分娩室に移動。育児書によると「最初に頭部が出て、そこで一旦一呼吸置いてからもう一度いきんで出産」のはずだったのですが、どんなにいきんでも頭部が出てこない。
医師や看護師さんから「頭は見えてるからね〜」と言われるものの出ない。
だんだんと奪われていく体力。それを察した医師から「頭が恥骨にひっかかってるから、お尻側に押して一気にいっちゃいますね」との言葉が。
既に朦朧としてきていた私は、全力で頷いて同意し医師が息子の頭をむんずと掴んで若干下方向へ押し込みながら引き出しました。

すると、第一弾で頭部だけひょっこりすると思っていたのに一気に全身どぅる〜んと出てきました。
まさかの出産に胎盤まで一緒に出てしまったと思った私は思わず

「なんか出ました!」

と残っていた力で言うと、医師から冷静に「赤ちゃんですよ」と返答されました。出産て育児書通りじゃないんですね。ちなみになかなか出てこれなかったのは首にへその緒が巻き付いていたからでした。
その後、「今から胎盤取り出しますね」との声が。
チャンスは今しかない!

「取り出した胎盤見せてください!」

一瞬、分娩室の空気が凍りついた気がしたものの

「絶対、見たいんです!」と懇願したところ、看護師さんがトレイに乗せた胎盤を近くまで待ってきてくれました。それはそれは、どんな育児書で見た胎盤よりも張りがあって大きくてプリプリしておりました。
思わず心のなかで

マーベラス!

と胎盤へ賛辞をおくったところまでは覚えてるのですが、その後過呼吸を起こして酸素吸入をされて安定剤も注射されて、気づいたらきれいに洗われた息子が同部屋におりました。

その後、あんなにも立派な胎盤を持っていたにも関わらず、医師から「妊娠に適さない体質なので、もうひとり欲しい場合は最初から大きな病院へ行くか、かなり覚悟して欲しい」と実質「二人目は無理ですよ」という旨を告げられました。
そんな中で、息子を出産した私偉い!
何度もトラブルに遭いながら産まれてきてくれた息子も偉い!

そして、息子を守り続けてくれた胎盤さん、本当にありがとう。一瞬でも見れて本当に良かった。

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