良い授業は子どもの目が輝いている、その一方で・・・

先日、算数の授業を2本参観する機会があったので、そこでの学びを振り返りたいと思います。

これが大学院最後の研修にもなります。

 

最初の授業は「2年生 かけ算」です。

 

1 子どもの考えにどこまで乗っかるか問題

教師が考えさせたいことと、子どもが考えたいことは必ずしもイコールではありません。

本時の授業で、6+5+3+6と立式する場面がありました。

その後、教師としては次の問題に移りたいところですが、子どもたちは「計算の工夫」を考える気満々です。

その思いを無下にするわけにもいかず、見ている側としても乗っかるしかないと感じたところです。

結果的に前段その計算の工夫を取り扱ったこともあり、5+5+5+5の式が分かりやすいと子どもが感じる展開になりました。

後半再び、子どもたちが「計算の工夫」に目を向けた場面がありましたが、ここで教師は深追いをしませんでした。

授業時間から考えても、懸命な判断だったと思うと同時に、教師は即時的な判断を常に求められていると思いました。

その拠り所となるのが、本時や単元レベルのねらいを教師がどこまで持てているかになるのではないでしょうか。

 

2 子どもから出ることが良いことなのか

授業者の主張の中に「比較、分類する」という言葉がありました。

この「比較、分類する」のは誰しょうか?教師でしょうか、子どもでしょうか?

最終的には子ども自身ができるようになることが必要ですが、2年生という発達段階を踏まえると丸投げするのは現実的ではありません。

「1台目の数」「台数」「いくつ分」などといった、かけ算の授業で大切になる言葉を子どもがいうことはあるのでしょうか。

子どもが言う可能性もあると思いますが、教師が言うことも時には必要です。

今回の授業では、それに近い言葉を子どもが言った後、教師が算数の言葉に置き換える場面がありました。

単元を通して子どもが使っていけるようにするためには、今回のように単元の冒頭で押さえることが大切だと思いました。

 

 

次の授業は「6年生 図形の面積」です。

授業も協議会も、終始モヤモヤを拭い去ることができませんでした。

そのモヤモヤしたことを書き出してみます。

 

・「今ので伝わった?」と問いかけ続ける、結局伝わらないことが多かった

・授業者が1つの発表に寄り添うことができていない

・困っている人は友達の見に行ってもいいと言うが、大人数に見られていることを考えると立ち歩くことは容易でない

・立場表明の挙手が多い、グー・チョキ・パーが何か伝わりにくい

・困ったらペアトーク、活発ではないペアトーク

・形成的評価ならペアトークは見とらなくていいのか、ペアトーク自体を見とることは不可能であるため、表現したものを見とることになる

・子どもの一挙手一投足に価値付けることはテンポが悪くなる

・子どもが武器を持たないまま、ペアトーク・ノートへの記述は無理

 

授業者は「子どもに委ねる」という言葉使っていましたが、私は教師が放任しているようにしか見えませんでした。

教師が困っているから子どもにペアトークをさせるものの、それ以上に子どもが困っているためただの時間稼ぎにしかなっていませんでした。

また、質疑応答や主張を聞いている限り、言い訳が多く、子どものせいにしているように聞こえてきました。

そうなってしまうと、授業者としての成長は見込めないと考えます。

そもそも、何も子どもに与えないのに、委ねようとしていることが間違いなのではないでしょうか。

子どもに何を委ねるのか、ある程度の枠組みがないと何をしていいか分からなくなるものです。

今回の授業は発展的な内容を取り扱っていましたが、闇雲に発展させることは必ずしも良いことではありません。

・発展の方向性を見せる

・途中まで足場をかけ、その後発展させることを委ねる

こういった学習を繰り返すことで、子どもたちに「発展させようとする態度」が身につくのではないでしょうか。

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