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#4 ローカルだから、カフェは面白い(2)

前回の記事、「ローカルだから、カフェは面白い」の続きです。

今回は、店づくりに向けたリアルな思考プロセスについて書きました。私が仕事で提供できる価値のエッセンスが詰まっています。

全国各地でまちづくりのコンサルをしていた頃から経験したことをもとに、考えに考え抜いた仮説を具象化する試みです。

書き始めると、とりとめがなく、散乱した文章となるので、仮説を要素ごとに分解してみて、まとめてみました。ぜひ、ご覧下さい。

二周回って、プロダクトアウトの時代。

ここは、富山県のなかでも超マイナーな漁師町。県外の人であれば、この町を知る由はありません。

この地で無名かつ人脈のない私が、こんな田舎の片隅からゼロスタートするのですから、あまりにも無謀かつ素敵な挑戦です。

この町の魅力は私をその気にさせました。

まるで映画のセットのような昭和レトロな町並みと、それらを構成する間口の狭い町家群が織りなす無秩序なリズム。

ことの詳細に目を移せば、ツギハギだらけのリフォーム建築のなかに、生活者の自由奔放な思いを感じることができます。

無意識にアーティスト化された住民が住む、ファンキーで、愛おしい町です。

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覚悟を決めたあとは、何の迷いもありませんでした。ここでも商売が成り立つという強い信念と、勝手に社会的責任を追ったプロジェクト。

私には感覚的な自信がありました。

15年以上、全国各地の商店街を見てきて、きっとこうすれば上手くいくはず、という具体的なクリエイティブに対する肌感覚が武器です。

その感覚が、私に「GOサイン」を出しました。

人が集まる場所に店を出せば儲かる時代は、昭和とともに終りを告げました。

かつての商店街と郊外ショッピングセンターとの構図は、リアル店舗とECサイトとの構図に置き換わり、今はさらに新しい構図が生まれています。

その構図とは、目先の経済優先と長期的な信頼獲得です。

ニーズがあるからと言って、マーケットに合わせた商売をしても、そこに待っているのは競争の連鎖です。

それよりも、自分が欲しいと思う店をつくって、それに共感するファンを増やしたり、インタラクティブな距離感が持てるサービスを続けたほうが、結果的に幸せです。

ニーズがあるから商売をするのが「マーケットイン」です。

今は、自分感覚、自分発信、身近な人から幸せにするという新解釈の「プロダクトアウト」のほうが時代感覚に合っていると思います。

店をつくる場所は、懐かしい暮らしのそばに。

地方の都市開発は郊外へ向かい、ひとり1台のクルマ社会によって商店街の存在価値が揺らぎました。

次に来たのがECサイトの普及とひとり1台のスマホ時代です。これだけ社会が変わったのですから、誰しも自らの商売の価値を問う必要があります。

今から10年前、SNSが普及しつつある状況を見ていて、経済立地調査で出店を決める時代は終わったと思いました。

店の場所選びに、革命が起きたのです。

その頃から、イケてる店は裏へ裏へ、目立たない路地裏やあえて分かりづらい場所を求めて出店する流れが生まれ、同時にそのムーブメントを楽しむ人たちが増えていきました。

これはもう、新しいカルチャーと言っても良いレベルです。

さらに、新たな方程式を見つけることもできました。かつての住宅街のように、歩いていける範囲に八百屋があったり、喫茶店があったり、文房具屋があったりするような時代を彷彿させるように、人々の暮らしの近くを狙ってくるのです。

栃木県の「日光珈琲」がそのさきがけだったと思います。その後、東京谷中の「HAGISO」など。

目立った看板もつけないまま、人々の暮らしのそばに溶け込むようにスタートする。そして、SNSでシェアされる情報によって人々に知れ渡る。

だからこそ、デジタル社会から遠ざかったシチュエーションに、肌触りを大事にしたような店があって然るべきなのです。

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HAGISOは、木造アパート「萩荘」として、東京藝術大学の学生たちのアトリエ兼シェアハウスに使われていました。
老朽化のため解体する方針となったため、お別れの企画として「ハギエンナーレ2012」を開催、3週間で1500人もの人々が訪れたそうです。この予想外の盛況により建物の価値が見直され、再利用が決定。2013年3月「最小文化複合施設」としてオープンされました。

富山県に移住して以来、ずっと候補地を探していました。

誰が見てもド田舎で、人通が少なく、暮らしのなかに今も小さな商売が入り込むスキがありそうな場所。

できれば、古民家が群を成して建ち並び、当たり前のように自然と共存し、当たり前のように1000年以上の歴史の証がすぐ近くに残っている、目指すはそのようなまちです。

探してみると、あっけないほどに沢山の魅力的なまちが見つかりました。そもそも富山県には、古い寺や神社が無数にあり、寺町や宿場町、伝統工芸の職人が集まった町が歴史的な家並みとともに群を成して点在しています。

数ある魅力的なまちの中から、射水市新湊にした決め手は、内川沿いに続く係留された漁船と、連たんする切妻屋根が織りなす独特の風景。

ここで暮らす多くの人は、親戚の誰かが漁師をしていて、魚が家と家を行きかうご近所づきあいがあります。

探し求めたのは、懐かしい暮らしの風景があるまちでしたが、漁師町という思わぬ特典が付いてきました。

内川沿いの遊歩道や細い路地がまちの空間に潤いを与え、野良猫たちが漁師町風情を盛り立てます。ここで暮らす人の日常は、都市生活者にとっての非日常であることは間違いありません。

露骨な観光地風情を持ち込まず、強すぎる経済と結びつかず、ひっそりと暮らしのそばに同居させてもらう商売とは、実は多様なマーケットに、多点的なつながりを持てます。

ストーリー性のある建物をリノベーションする。

ひっそりと暮らしのそばで同居させてもらうには、素敵な空き家を見つけて再利用するのが一番です。

古い建築をリノベーションして、用途を変えたり、利用価値を高めたりという現象は、新しいビジネスを生み、法律の緩和にまで影響を与えました。

富山に移住する以前から、お仕事として、地方の空き家、空き店舗の問題と向き合ってきました。市民の皆さんと一緒にまちづくりを考える場面で、ある方程式のようなことを発見したのがキッカケで、建物が持つストーリー性というものに着目してきました。

ある具体的な空き家に話題が移ったとき、皆さんの声が一斉に大きくなって、次から次に思い出を語り始めるというシーンに何度も遭遇しました。

逆に、誰も何も語らないケースがあって、不謹慎ながら面白い現象だと思いました。その差を分かりやすく言うと、そこに暮らしていた人たちが、そのまちでどんな近所付き合いをしていたかの違いです。

その現象を深読みした私は、まちでの暮らしが嫌いになって家を捨てた人と、ずっと住んでいたかったけど、何らかの理由で手放した人(亡くなったケースも含めて)との違いと、話題性のあるない空き家との相関関係に思いを巡らせました。

以上のことから、リノベーションして再利用する場合、話題性のある空き家を選ぶほうが良いという仮説を持っていました。

なぜなら、リノベーションしてオープンした店には、すでにファンがついていると思ったからです。その空き家の懐かしい思い出とともに、話題を広めてくれる強力な応援者が存在するということになります。

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私が経営するカフェ「uchikawa六角堂」は、もともと畳屋さんを営むご家族の住居兼店舗でした。畳屋を経営していたご主人は亡くなり、10年以上空き家になっていました。直接お話をしたのは、その息子さんたちでしたが、お二人の人柄を知れば知るほど、また亡くなったご主人の思い出話を近所の方から聞けば聞くほど、ここでの再出発に勇気をもらいました。

単に「側(ハード)」だけを譲り受け、今までのストーリーをなかったことにしてしまえば、一方的にその場所への思い出を持ってくれている潜在的なお客さんを逃してしまうことに成りかねません。

町並みに溶け込む「75%ルール」で外観デザインをする。

町並みを「全体的な雰囲気」として感じられる場所は、それだけで行ってみる価値があると思います。

それを感じるのは、歴史的な町並みだけではありません。何らかのカルチャーが根付いていれば、無意識に、自然につくられる町並みがあります。

ちなみに、カルチャーという点では、東京は素晴らしいまちです。新橋や秋葉原、上野や日暮里、それぞれに自然発生した「らしさ」があります。

都市部の場合は、資本力のある民間ディベロッパーが町並みづくりを計画することで、都会的な美しいファサードを持つビル群の景色をつくり上げます。

そういった町並みに出会うと「全体的な雰囲気」という実際には目で見えず、心で感じる不思議な存在を意識することができます。

逆に雰囲気が感じられない町並みは、無秩序に好き勝手に、色々な建築方法でつくってしまった場所です。国道沿いや郊外、駅前や新興住宅地などがそうです。

富山県の随所に残っている町家造りの通りや、アズマダチの散居村などは、現代社会の制度上、経済上の理由により、二度と造れない町並みです。

今つくれないからこそ、単なるノスタルジーで保存活用するのではなく、未来的な存在として新しさを先取りしたいのです。

店は、雰囲気をつくり上げている町並みの立派な一部として存在し、さらに雰囲気づくりに貢献する外観をまちに提供し、相互関係による魅力的な共演を果たすべきだと思います。

その意図は、そのまちで暮らす人にも、訪れる客にも伝わるはずです。

歴史的な建築物として、建築当時のデザインを再現するばかりが良いというわけでなく、オリジナルの良さを活かしつつ、時間と共に周りと同調しながら変わってきた要素も取り入れ、新たに25%くらいの異質・反対の要素を入れこむ。

それらがバシッと決まったとき、不思議な魅力を発してくれます。

周りに何もない場所や、まちに雰囲気がない場所に、超カッコいい建築の店が出来ても、店単体の集客力だけで勝負するのは本当に大変な努力を必要とします。

大自然のロケーションがあるとか、有名なシェフがいるとか、特殊なケースは別です。

町並みに溶け込む店の存在は、店に行くことと、まちに行くことの境界線を曖昧にします。

これは、東京丸の内界隈の開発が得意とするところで、まちが店を選びます。都会の一等地にあるのに、まちの雰囲気の一部になりきれない、魅力づくりに貢献できない店は、その行く末が心配です。

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自分のカフェにも「75%ルール」を適応してみました。

黒瓦はあえてそのまま、2階の壁や木建具は補修をして利用、1階は補強のための壁を増やしたり、入り口を開き戸にしたりしまたが、雰囲気は畳屋さんだった当時のままです。

看板は小さく、店の前に来ても、そこが目的のカフェかどうかもわからないかもしれません。

今回は、ここまで。引き続き、その(3)の記事を考えてみます。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。


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