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イヌはイヌ。だけれども。

愛犬家にとって飼っている犬はペットではなく、もはや家族同然らしい。そして私はその感覚をおそらく分かってない。

20代半ばの頃、趣味を通じてある女性と知り合った。その女性は40代後半ぐらいで、髪はソバージュ、まつ毛をいつも上向きにカールしていた。関東北部に1人で住んでいて、彼女の住むアパートに遊びにいったり、車で食事に出かける事もあった。

彼女は犬を飼っていた。彼女はその犬を「ラン」「ランちゃん」と呼んでいた。雑種ではなく、見たことある種類の犬、顔だった。ビーグルに近い、てかビーグルかもしれない、しかし「ビーグル犬なの」と聞いた覚えはないので、やはりビーグルではないのかもしれない。どちらでもいいや、とにかく極端に小さくはないが、一般的にはおそらく小型犬と呼ばれる犬で、部屋に放し飼いのような状態だった。

たまに吠えていたような気もするけど「キャンキャン」とか小学生の時に学校の帰り道で聞いた、マルチーズのようなカン高い声ではなかった。

私が家に入ると、歓迎してくれたような気もするが、やはりよく覚えてない。私も「ランちゃん」と呼び「かわいいですねー」と口では言って、一度ぐらいはその背中のつやつやな毛並みを撫でたとは思うが、自ら膝に乗せたり、抱いたりした覚えはない。私には、犬と触れ合いたい願望が一切ないのだ。

彼女の部屋は、いつもとても綺麗だった。どちらかというと潔癖症で、更に風水にこだわっていて、綺麗な場所には神様が宿るとか何とかで、毎朝ぞうきんで水ぶきをしていた。

一方で「私が1日家にいないと、ランちゃんは寂しくて床におしっこばかりする」とも言ってた。汚い、嫌だとは思わないのかと不思議に思ったが追求せず、水ぶきするから良い、という解釈をした。

ランちゃんは、まあまあ高齢だった。病院にいったり治療をしたりと、中々手がかかるようで、お金がかかって大変だとも話していた。それにお金をとられるせいか、ガソリン代をいつも気にしていた。ミスドのお得なセットにも詳しかっり、おかわり自由のコーヒーは必ず3杯飲む、とも言ってた。とにかく車はあったがそれは田舎ゆえの必需品で、生活は決して楽ではなかった筈だ。

ある日、彼女が駅まで迎えに来てくれた時だと思う。いつものように助手席を促され座ったが、いつもの気配と匂いはなく、後ろを見ると姿もなかった。

「今日、犬はどうしたんですか?」

一瞬空気が止まった。ような気がした。

「……ランちゃん?今日は家に置いてきちゃった」

口ぶりはいつもとそう変わらなかったが、しばらく無言でハンドルを切っていた。

気のせいだろうか。それ以来、私に「ランちゃん」の話をあまりしなくなったような気がする。

私の、何か覚めてる感覚が伝わってしまったのだろう。

今、彼女と付き合いはないが、ニュースや新聞で、ペットロスが理解されない、災害時に犬をどうするか、避難所に連れていけなくて困るなど見聞きする度、この出来事が頭をかすめる。



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