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ショートショート 詐称

「こんにちは。予約していたものです」
「ああ、こんにちは。さあどうぞこちらに」男はその女に椅子を勧めた。女はゆっくり腰を下ろす。 
殺風景な一室に、白衣姿の若い男と女が向かい合った。女の顔は青白く、痩せ過ぎのせいか目が窪んで見える。
「辛い記憶を消せるって本当ですか」
女は伏し目がちに聞いた。
「ええ、本当です」
男のメガネの奥にある目は、嘘をついているようには見えない。
「でも、具体的にどうやって」
「これですよ」
男は立ち上がると、背後にある薄ピンクのカーテンを開けた。そこには大きな椅子があった。
「まるでパーマネントを当てるみたいですね」
女が上部にとりつけられた傘のような物を見て言う。
「私『世にも奇っ怪な物語』で似たような装置を見たことがあります。確か記憶を売る男の話でした」
「それは奇遇ですね」
男が深く頷いた。
「僕も見ましたよ。再放送でしたが。それを見てこの装置を思いつきました。あなたの記憶も消すだけでなく、売ることができます」
「ええ、この辛い記憶を?」
女は再び男に顔を向けた。
「ええ、種類にもよりますが、辛ければ辛い程、高額で売れます」
「あの、そんな辛い記憶、一体、誰がほしがるんですか?」
女には全く理解出来ない。何故辛く忌まわしい記憶をわざわざ欲しがるのか。
「有名人です」
「有名人が?」
「あなたも聞きませんか?成功した芸能人や著名人ほど、何かの節に突然語りだしますよね。『幼い頃、両親が離婚した』『実はいじめを受けていた』『過去に精神を患ったことがある』など。そのとき、どうしてもリアリティーにかける人がいます」
「かけるというのは?」
「詐称する人です。今成功している人ほど、辛い過去は必要です。今、華やかな人ほど、虐げられていた過去を語る必要があるのです。でも実際は違う、ないのに詐称して語るから、言葉にリアリティーが伴わず、すぐに嘘だとバレ叩かれる。それでリアルな辛い記憶を欲しがるんです」
「なるほど。私の辛い過去がそんな形で役立つなんて」
「ただ…」 
男か言い淀んだ。
「内容が気になりますね。具体的にはどんなものですか?」
「ええ、まず家が貧乏で、カバンも買えず、手縫いの手提げ袋で学校にいったら、クソガキに『ビンボービンボー』と罵られ、その袋を沼に捨てられました」
「はい」
「で…あと…ということがあり、それで19で結婚させられた男は酒乱で暴力がひどく離婚、子どを連れて職を転々とし…それから…」
声を詰まらせながら語る女の話を、男は最後まで聞くと、小さくため息をつき口を開いた。
「…よくわかりました。しかし残念ながら、その記憶は買えません」
「え、結構悲惨だと思いますが」
「その辛い過去は既に使い古されました。あなたも聞いたことありませんか?○▲会社社長は、自伝にビンボーでいじめられた過去を披露してますし、こないだ当選した議員の一人はシングルマザーで同じこと言ってましたよ。旦那が給料すべてを酒に使ったと」
「そう言われてみれば、確かに」
脳裏に、選挙ポスターでみた女の顔がちらつく。まだ40代ぐらいだったと思われる。
「今人気があるのはSNS関連の被害です」「SNS…ああ、ラインとか聞いたことありますが。その類でしょうか」
男は頷きながら、机上のバインダーを手に取り開いた。
「私も何年か前に遭いまして、それもまあまあ特殊でかなりな規模の。それで最近その辛さを売りました。誰かは言えませんが、そのアイドルは『ストップ!SNSいじめ撲滅キャンペーン』に自分の経験として語っていたようです。まあ、私の記憶は既にないので、カルテをみて確認したことですが」
「…そうですか。残念です。お役に立てず。それに残りの人生も、私は辛い記憶を背負って生きなければなんですね」
女は再び目を伏せ、手の甲の皺を見つめた。
「大丈夫です。ここでお話出来たじゃないですか。話せたことで、あなたは辛さを手放せたようなものです」
男の眼差しは優しかった。
「そうでしょうか。言われてみればそんな気もしますが」
「人生いつだってこれから。あなたの最高の瞬間もまだこれからです」
「まだ、これから…ですか」

女は部屋を出た。顔に少しだけ生気が宿ったように見える。杖をつかずとも、一歩踏み出すことが出来た。



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