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小説 ひと夏の挑戦

「右手でけん玉、左手でヨーヨーをしながら、リフティングを百回する」
一学期最後の日、夏休みの目標を提出した僕は担任の松本に殴られた。
「うっ」
目の前の大男は小さな悲鳴をあげると、その拳を反対の手で擦った。
「たーけーしー、何をいれやがったっ」
僕はこうなることを予想して粘土板を腹に入れておいた。松本は気に食わないことがあると、すぐ手を出しやがる。
「僕は本気だ。諦めずにやってみせる」
「そーかそーか、休み明けが楽しみだな」
僕の決意を前に、松本は不敵な笑みを浮かべる。その様子をクラス全員が見ていた。といっても4人しかいないけど。何たって全校生徒10人で、5年生は僕を入れてそれしかいない。
僕には勝算があった。リフティングは、ちっちゃい頃から父ちゃんに本格指導を受け、100は無理でも79回までは成功している。リフティングをしながらおにぎりを食べ、左手でペン回しすることにも成功している。ヨーヨーとけん玉ができないこと以外は、全て完璧だ。

「で、ボクを呼んだわけ?」
7月25日、夏休みが始まって初めての平日、僕達はいつもの草地、つまりは僕の家の前にいた。太陽がまだガンガンに出ている。
「太志、あの時はバカにしてごめん、俺にけん玉を教えて欲しい」
太志は「しょうがないな」と言いながら、けん玉を出した。紐の先についた赤い玉が左、右、後ろと順に着地し、最後は頭に戻った。これが「何ちゃら一周」というやつか。
「それで、私にはヨーヨーを持って来るようにいったんだ」
カヨはヨーヨーを投げた。指から垂直下に紐が降り、オレンジの楕円が空中に留まったまま、高速スピンをかけている。しばらくすると、その楕円が魔法のように掌に戻り、今度は僕の身体に向かって飛んできた。慌てて避ける。
「相変わらず小心者ね」
悪魔のような笑みを浮かべるカヨだが、このときばかりは頭を下げる。
「やっぱりカヨはすごいよ、カヨなくして僕の挑戦は成功しないよ」
「いいけど、容赦しないよ」
そういって今度は遠くに投げ、グルグル円を描いてみせる。こんな技、僕にできるだろうか。
「僕、いなくてよくない?家でドリルやんないと」
悟はそう言うと、眼鏡をずり上げた。背中には横長のリュック、すぐ側には自転車がある。今日も隣町の塾に行ったらしい。そのほっそい足で30分もよく漕げるものだ。
「悟には記録を頼む。スマフォ持ってるだろ?動画を撮ってもらいたいんだ」
「いいけど、毎日は無理だよ」
「当たり前だよ、夕方ここで練習するつもりだけど、悟は来れる時だけでいいよ」
「ちょっと待って、私だって毎日は付き合えないよ、友達と約束もあるし」
カヨが慌てて割り込む。
「ボクもだよ、収穫手伝わなきゃ」
太志が言う。太志の家は農家だ。
「僕は毎日4時にはいるから。だから助けるつもりで来て欲しい」
かくして、始業式のある8月29日に向けて特訓は始まった。

「膝だよ、膝を柔らかく曲げるんだよ」
7月26日の今日は、けん玉の特訓を受ける。けん玉は押入れから発掘した。太志は名前そのもの、太めな身体で運動神経も悪いが、けん玉に関しては名人といっていい。その名人のアドバイスにより、僕は「世界一周」を諦め、玉を大皿に乗せることに集中する。久々なのに30回も乗った。100回以上落ちたけど。コツさえ掴めば何とかなりそう。痺れる右手で差し入れのトマトを食べる。トマトは生暖かくなっていた。

28日、来てくれたカヨに、ヨーヨーを教わる。太志も一緒に教わりたいと、ヨーヨーを持ってきた。あのビュンビュン回すのをやりたいと言ったら「あんたね、基本が出来ないのに、大技やりたがんじゃないよ」と怒られた。おとなしくカヨに投げ方から教わるも、結構難しい。左手なので尚更かも。それでも何度も投げて練習するうちに、指を引いて掌に戻すタイミングもわかった。続けて10回以上、ドリブルみたいなことが出来るようになり、太志と悪魔を唸らせた。その気になれば無限に出来そう。勝利の証に、2人を縁側に呼びアイスを食べる。チョコミント、最高。

8月5日、いつものように蝉の鳴き声をバックに、一人でリフティングを始める。ボールの中心を捉え、指の根元で軽く上げる。「32,33,34…」回転しながら落ちてくるボールを、必ず目で追う。ネイマールだってそうやってる。「62,63,64…」蝉の声が遠くなってきた。額や首から汗が流れ落ちる。伸びた草のせいで足元が見づらいが、それでも連続112回できた。
「アイス、また買ったのにな」
今日は誰も来なそうだ。目の前にでかい蚊が飛んできたので、パンッと叩く。掌を広げると、足の折れた死骸と赤い血が見えた。
リフティングは完璧なんだ。ヨーヨーだって難しいことじゃない。ただリフティングしながらだと続かない、リズムが合わないんだ。カヨは「慣れだ」と言ってたけど、リフティング全く出来ないのに、よく言えるもんだ。
今度は右手にけん玉を持ったまま、ボールを蹴る。右、左、右とリズムよく続いたところで、玉を振り上げ大皿を狙う。視界の隅で、赤い球体が上へ下へ、動いている。カツカツと縁に当たる音がやけにうるさい。
「あっ」
ボールがつま先に当たった。ボールは小さくバウンドして転がっていった。無駄に広い場所は、こういう時不便だ。 

8月8日、初めて4人揃った。
「悟は来てくれないと思ったよ」
悟が姿を見せたのは、最初にお願いした日以来だ。相変わらず白い顔に眼鏡、細っこい足をしている。
「ごめん、塾が終わるの遅くって」
「今日は休みなんだ」
「ううん、たまたま早く終わる日だったんだ」
「ふーん」
リフティングしながら悟の話を聞くのは簡単だ。
「100回出来たんだって」
「まあね」
悟は見てくれなかったけどね。8月1日、その瞬間を目にした太志とカヨは、一緒に喜んでくれた。
「同時にヨーヨーもできるよ」
リフティングしながらヨーヨーをして見せる。でも、掌に2回戻ったのを最後に、紐は垂れ下がった。先で青い楕円が回る。
「けん玉は?ヨーヨーと一緒に出来るの?」
撮影しているのか、スマフォをこちらに向けたまま、悟が聞いてくる。
「それも意外に難しくて」
先に左手のヨーヨーを始める。青い楕円と赤い玉が下に並んだタイミングで、一緒に引き上げる。やった、赤玉は皿に乗った、咄嗟に左手で掴んだヨーヨーを、また投げる、やばい、力が入ってしまった。楕円は戻らず、ブランコのように揺れ続ける。
「あのさ、何でそんな無謀なこと、やろうと思ったわけ?単純にリフティング100回を目指すで良かったじゃん」
スマフォを持った腕を下げ、悟はもっともらしいことを、もっともらしい口調で聞く。
「無謀なことを、成功させることに意味があるんだよ」
「じゃあ、成功しなければ意味ないってことでしょ」
うぅ、こいつはっ。
「あーうるさいっ。とにかく僕はあきらめないっ」
思いの他、大きな声が出てしまった。悟は「わかったよ」と言い、黙り込んだ。太志が「武史もがんばってるんだし」とフォローしてくれたが、「じゃあね」と小さく言うと、自転車に乗り帰っていった。
落ちる影が長くなってきた。悟の前では強気を見せたが、皆と別れた途端、不安になった。このままでは確かにまずい。

お盆に入り、カヨと太志も家の用事があると来れなくなった。カヨは全くだが、太志は申し訳なさそうだった。いまや無謀な挑戦も頑張ればできると思っているのは、太志だけかもしれない。
「そういや、リフティング、今日は何回できたか?」
夜、居間で扇風機に当たっていたら、父ちゃんがビール片手に聞いてきた。
「今日は125」
「さすが日本代表の子だな」
「日本代表になりたかった元サッカー少年の子でしょ」
「細かいこと言うなよー」
父ちゃんはジョッキに口をつけた。
「リフティングとけん玉とヨーヨー、同時にできる人って、いるのかな」
まるで今思いついたように聞いてみる。
「聞いたことないな。できたらギネスだな」
僕は自分の名前がギネスに載ることを想像した。そしたら、松本は僕のことを絶対に忘れないだろう。

「うーん、正直、厳しいんじゃない」
リフティングは認めてくれたものの、同時にけん玉は出来ない、簡単なはずのヨーヨーすら続かない僕を前に、悟がため息混じりに言う。太志も否定はせず。カヨなんて持って来た漫画を見ている。
僕はボールを蹴る足を止めた。
「松本を見返したいんだ。バカはバカでも本気で取り組めば違うって。学校のことだって考え直してくれるかもしれない」
「無理だよ、そんなの松本先生が何を言っても、変わらないよ」
そうだ、悟の言う通りだ、悟はいつだって正しい。わかっている、わかっているけど。
「そうだよな、その通りだよ。悟は隣町の小学校に行くしな、せいせいするよな、こんなバカな俺と別れられて」
「やめなよ、武史、いいすぎだよ」
カヨの声「そうだよ」と太志の宥めるような声が耳に入るも、僕の口は止まらない。 
「悟は先生にも気に入られて、僕みたいに殴られたこともないしな。今だって僕のこと、心の底では笑ってんだろ」
「そんなことないよ!」
珍しく強い口調で言い返してきたが、目は揺れていた。
「そんなこと、あるわけないじゃん。僕だってずっと皆と一緒にいたいよ、僕だって…」
それ以上、言葉は続かなかった。僕は悟の細い足を見続けた。

始業式がこんなに憂鬱だった日はかつてない。それなのに、1番に教室に着いてしまった。広い教室に4つの机。少し埃がかったその一つにランドセルを置いた。背中がじっとり汗ばんでいる。
木枠の窓から校庭を見下ろす。校門から続く細い道、その両脇に畑があり、そのずっと先に僕の家がある。遠くに見えるは大小連なる山、山、山。
あの山を超えれば、違う世界があって違う自分になれるんだろうか。いや、どこに行っても僕は僕で、変わらずとんでもないバカな気がする。
足音で振り向くと、悟が入ってきた。
「ごめん、この間は言い過ぎたよ」
先に口を開いたのは僕だ。悟は「もう、いいよ」とランドセルを置きながら、首を横にふった。
「武史、あれから出来るようになったの?」
「なるわけないだろ」
「リフティングだけなら100回出来るんだよね」
「うん」
「僕にいい方法がある」
後ろの掲示板を見ながら悟が言った。

「武史に成果を見せてもらおうじゃないか」
始業式を終え教室に戻ると、松本が待ち構えたように言う。
どうせ出来ないと決めつけているんだろう。その鼻をへし曲げてやる。
それぞれが机を下げ、僕は靴を履き、ボールを持って松本の前に立つ。いや、近過ぎた、3歩下がる。後ろにカヨ、太志が並ぶ。
「では、始めます」
まず、僕がリフティングを始める。右、左、右、左、いい感じだ。ボールはリズム良く上がる。
カヨがヨーヨーを左手から離したようだ。シュルシュルと掌に戻る気配を感じる。コツコツとけん玉の音も聞こえてきた。
「カヨ、危ない、もう少し下がって」
松本の横に立つ悟が声を出す。
「1,2,3」
僕は蹴りながらカウントを始める。それにヨーヨー、けん玉の音が重なったり、そうでもなかったり。
「3人羽織か?いや、いくら何でも反則だろ」
松本が苦笑いしてそうだが、構うものか。
「25,26,27」
僕に代わりカウントする悟の声が室内に響く。
「55,56  あ」
ボールが足元をすり抜け小さくバウンドしたが、気にせず続ける。
「いいよ!5758,59」
悟のカウントも続く。松本が憮然とした顔をしてるだろうが、無視。
「80,81,82」
もう少し、あと少し。
「97,98,あっ」
左のつま先に当たった。まずい。ボールは悟の前に転がり、咄嗟に足が出た悟が思いっきり蹴ってきた。
バカッ
僕は後ろに下がることもできず、右足を上げ腿でトラップ、一度落として蹴り上げた。
「これで100だ!」
ボールは松本の頭上を飛び越え、後ろの壁にぶち当たった。グシャッとした音とともに、掲示物がずり落ちた。
「…100だよ、今ので100回!すごいよ、みんな、出来たよ」
悟の声で我に返る。
後ろから「やった」とはしゃいだ声が聞こえる。内腿がじんわり痛い。
「いやいや、おかしいだろ」
松本が襟足を掻きながら言う。
「でも、先生、武史の目標をよく見て下さい。主語は抜けてるし、一人でやるとも書いてません」
悟は、床に落ちた僕の『夏休みの目標』を拾うと松本の前に突き出した。
「そうです、僕は僕なりの方法でやり遂げたんです」
悟がいれば、松本の前でも強気になれるし、今なら言える。
「だから松本…先生も諦めないで欲しい。無理だって決めつけないで欲しいんだ、あのこと」
それ以上は言葉にならなかった。
本当はわかっていた。この学校は3月になくなる。僕と太志とカヨは新しくできる学校に、悟は隣町の小学校にいくんだ。松本が校長を脅しても、教育委員会に怒鳴りこんでも、僕がけん玉にヨーヨーにリフティングが同時に100回できても、できなくても、この小学校はなくなる。僕達の卒業を待たずに、廃校になるんだ。
「…ごめん。俺にできることはない。もう決まってることだ、それに」
「それに?」
悟が続きを促す。
「廃校になるのが悪いわけではない。少なくとも俺は嬉しい」
「何でですか?」
4人の声がほぼ同時に出る。
「バカを前にイライラしなくて済むからだ」
「バカって僕のことですよね?」
僕は即座に聞き返す。
「そうだ、お前みたいなバカとは別れて正解だ。だって俺は…」
「俺は何ですか?」
下を向き、言葉に詰まる松本に詰め寄る。
「俺は、お前以上にバカな奴だろ」
そういう松本の声は震えていた。目線を下に向けたまま、こちらを見ようとしない。
松本の身体が、何だか小さく見えた。



(5500字)

企画で書きました。冒頭の4行『右手でけん玉〜殴られた』までは指定です。明日までの募集です。皆さんもどうでしょうか。



  


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