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「自分で在ること」が寂しい時。

こんばんは。めんだこです。
皆さんは、どうしようもなく、寂しくて、救われたくてたまらない時がありますか?
どうしてなんでしょうか。
何か大きなきっかけがあったわけではないのに、
日常の普段なら気にも留めない些細な言葉や他人の表情、景色さえもが
自分を責めているように感じる。
自分の存在が無意味なものに感じる。

今ここにいる自分がどうしようもなく、しょうもなく思えて涙が出る。

どうしてこんなに自分を嫌いにならなくちゃいけない?
自分の中に「間違い」しか見つけられない?

自分を肯定できる日なんて来るのだろうか。
自分がやってきたことは正解だったなんて思える日がくるのだろうか。

「自分で在ること」がこんなに寂しくて辛いなんて。やってらんねぇよな。
一生懸命生きてきたつもりだったのに、なんでだろう。

私は、そんな風に思っている誰かのために文章を書きたいと思った。
もしも、自分の発した言葉や想いで、この世界が少しでも明るく優しく見えるなら、届けたい。
「自分で在ること」を喜んで、楽しくて、愛おしく思ってもらえるように。
この世界に生まれてこれたことに感謝できるように。
優しさに包まれるように。

そう思っている私でも、
時にこうして、自分でいることが寂しくて、辛くて堪らない日がある。
まるで、自分は一人で生れ落ちて、一人で息をし続けたのかと錯覚するくらいに、独りなんだと思い込んでしまう日がある。
23年間生きてきて、何も築き上げられなかったような気になる。
他のみんなはもっともっと頑張っていて、自分だけ置いていかれている気がする。
笑うのが辛くて、辛くて、誰かを思いやることがとてつもなく面倒な日がある。

これだけ、愛されて育ったと思って生きている私でもね、
何をするにも寂しくて、辛い時があるんです。

それでも、
こうして一人の時間で自分と向き合って、向き直す準備をして、
自分を幸せにするためにまた頑張ろうとするの。

だから今晩は沢山泣いて、温かい紅茶を飲んで、
お湯につかって、ぼーっとする。

自分の冷えた芯を温める。心が温まるまで。
大好きな人に愛してると言えるようになるまで。

そして、この世界の寂しい自分を抱えた人が
暖まれるような言葉を、想いを贈れるように頑張ります。

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