バヤシ
なんにも武器を持ってない僕が、アウトドアイベントを開催するために試行錯誤し、足掻く物語です。 0から読んでください。
またイベント中止...ですがこのくらいで負けずに次回に向けて動き出しています! 先日見たR25の記事の中で世の中の自粛ムードが『善』とするなら、やりたいことを通すのは『美』と捉えていました。 僕はやりたいことを通したかった派です。 別にこんな状況以外でも、何をやるにもリスクはあると思ってます。 車に乗れば事故に遭うリスクもあるし、一歩外へでればリスクの海です。 今回はリスクの度合いが違うっていうかもしれませんがコロナの感染リスクよりリスクが高い行動もたくさんありま
会場レイアウト、地域とのコミニュケーションや信頼の獲得、関係各所(保健所、役場、消防、駐車場)への連絡、ウェブ、SNS、撮影(スチル、映像撮影から編集まで)、スタッフへの当日の行動指示、仕入れ、協賛金の営業。 今まで経験したことのない仕事をほとんど一人で行った。 看板製作や、素敵だなぁと思っていた出展者様への参加のお願いは名も無き僕では無理だったのでお願いした。手の回らないところは頼んで正解だった。 書いていて気づいたけれど、あれ?なんかめちゃくちゃ仕事を創ったな!と思
なにかをやってもらおう!と考える時には、相手の立場になる事が大事。 え?こんな状況でやってもせっかくの良いものがスベるんじゃない?という不安は取り除かないといけない。 聴く体制を頼んだ側が整えないといけないし、SNS全盛の時代にはオーディエンスのリアクションもスマートフォン越しに届くようにデザインしていないといけない。 頼む方はそこまで考えていなきゃいけないという事を教えてもらった。 別の話だがLINEは1:1では反応が取れるが、グループのように1:nでは反応が取れな
大人になれ 30代に突入するとそんな声が聞こえたりする。 もう30代だぞ!と。 ここで言う大人とは、大人なんだからもっと落ち着けだとか、大人だからしっかりしろ という意味で使われていると思う。 でもそんなこと言うってことは、あなたは大人なんだろうな。 25を過ぎたあたりからもしかしたら大多数が落ち着いた大人になろうとしているのかもしれない。 ってことは、世の中は落ち着いた大人だらけになってしまうのか? ぁあ、だからつまらないのか。 じゃぁ僕は子供のままでいい
田舎はつまらない。 都会はキラキラして、日曜日のワイドショーでは都会の美味しそうなグルメを映し出していた。 田舎は何もかもスピード感が遅く、見える景色は田んぼか、山。 娯楽はパチンコか酒がお決まりだ。 週末に息抜きし、また5回か6回働く。 そう思いながら貴重な20代前半の時間を食い潰したと思う。 最近は朝ドラを見なくなってしまったが、今回の朝ドラ『まんぷく』は時間がある時にはみるようにしていた。 モデルは日清食品の創業者。 カップヌードルを作るためにいろんな実験
2018年8月。 場の提供を断られ、場を見つけ、僕らは息抜きに越後妻有大地の芸術祭へ向かった。 その道中見ていた映画がこのタイトルにもある 『グレイテストショーマン 』 だった。 サーカスを世に広めた男の話だ。 ネタバレになってしまうため詳細は控えるが、逆境を思考の転換で乗り越える様が素晴らしかった。 僕はレティという美声を持っているが髭の生えた女性が歌う This is me という歌にとても感銘を受けた。 自分の容姿にコンプレックスがあっても、レティ
僕は写真が好きだ。 というか、編集が好きだ。 写真を撮ることはあまり好きでは無い。 毎日、編集を海外のインスタグラマーをみて勉強している。 動画も始めた。 動画編集を覚えるためにYoutubeを始めたかったからだ。 動画はテキストに比べ何倍、何百倍(もっとかな?)もの容量で伝えることができる。 低遅延で超高速なインターネットインフラ5Gが来ることを見越して。 僕はやったことのないことでワクワクする事をするのが好きだ。 オズモポケット という小さなカメラで動画を撮っ
2018年。 僕の人生において激動の一年だった。 町役場や市役所、大手企業に掛け合い、場の提供を求めた。 作ったことのないウェブサイトをつくった。 たくさんの本を読んだ。 成功するためのアイデアをメモしまくった。 キャンプはあまりできなかった。 そして ムスメが産まれた。 今まで感じたことのない感情も生まれた。 結局、場所を確定できたのは2019年の3月。 ついさっきである。 つまり、当初予定していた2018.11.03にイベントは開催することができなか
2017年の12月。 僕は地元の友人の結婚式のお祝いムービーを作るために、諏訪湖へ向かっていた。 その中の友人の1人が、僕のインスタグラムの活動を褒めてくれた。 イベントをやってみたいと宣言する3ヶ月前のことだった。 すごく嬉しかった。 その中で、僕にノートを勧めてくれた。だが僕はこのアプリの存在がよくわからなかった。自分の書いたものに価値が出る? 僕はそんなこと考えられなかった。 その友人はいつも夢を内に秘め、あまり語ろうとはしないタイプの人間に見えていた。
2018年2月、僕は友人とマイナス8度の中、雪中キャンプしていた。 はたから見ると完全に遭難である。 そのメンバーというのが、僕に富山でいろんな景色を見せてくれた2人だ。 この人たちがいなかったら今の僕は存在していない。 そんな2人はいろんなイベントを企画して、楽しげに生活している。いつもとても充実した顔をしている。 僕は意を決して、 あの、僕もやってみたいんですよね。地元で。 と言ってみた。 そしたら やろう! と言ってくれた。 死ぬほど緊張した。
僕はキャンプに出会い、ダサくて滑舌と頭が悪いのにイベントを企画してしまった。 こんなに痛いヤツはなかなかいないだろうと自負している。 ただ、痛いと思われる=人とは違うということであって、コレからの時代において痛いヤツの方が有利に働いていくんじゃないかと思っている。 それはなぜか? 高度経済成長期が終わり経済が成熟したのに、まだ近代的な考え方が蔓延しているからである。 今までは、生産すればそれに伴って経済が成長していった。経済が成長すると、おのずと給料があがる。 だ
自分以外の他人は、自分が思っているより自分のことを見ていない。 昨日遊んでいた友達はどんなズボンを履いていたか思い出せるだろうか? 前に書いたと思うが、多分僕は毎日一枚の写真を上げていく過程でもしかしたらたくさんの人に笑われていたのかもしれない。ニヤニヤしてバカにされていたのかもしれない。 でも、そんなこと面と向かって言ってくるやつは1人だけだった。そもそもその1人はバカにしていっていたのか、いじってただけなのか。今となっちゃそれすらもどうでもよくなった(笑) まてよ
2015年、キャンプの情報を収集するのに1番使ったSNSがインスタグラムだった インスタグラムの中には、未知のキャンプの世界が広がっていた。 その頃はインスタ映えという言葉はなかった。 2014年までのインスタグラムは、お洒落な服のコーディネートをアップする人が沢山いた。 それがキラキラして見えたが、僕は残念ながらお洒落ではなかったため指をくわえてスマホを眺めていた。 当時僕の周りにはキャンプの写真をアップしている人が、キャンプを始めるきっかけとなってくれた友人しか
2015年3月、トヨタへ車を買いに行った。 車種は2014年8月に販売されて、一年間限定生産のランドクルーザー70ピックアップ。 ベージュの色とトラックみたいなレトロな形がミーハーな僕の心にグサリと刺さった。 納車までの3ヶ月がとても長かった。 僕は毎日いつ来るのか、いつ来るのかと心待ちにしていた。 そして、2015年5月、ランドクルーザー70ピックアップになにか載せたい!と思い、ラジオフライヤーというワゴンを買った。 何かを載せるための車のために、何かを載せるため
僕がキャンプを始めた理由は、車を買ったからだとか、色々言っているんだけれども実はちょっと違う。 僕のことを少し話そうと思う。 生まれてからこのかた富山から出たことがなく、(もちろん旅行や出張はあるけども。富山県の片田舎以外で住んだことがないという意味。) 小中高と大して上手くもないのに野球することしか頭になく、思考して生活をしてこなかった。 なんとなく既存のコミュニティに属し、なんとなく近くの高校へ進学し、それこそ今までこの地域に住む方の多くが過去に通ってきたであろうレ