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【雑考】対位法的思考

全く別の世界に存在すると思われていたことを結びつけることが大切です。

アーサー・ケストラーの「ホロン革命」(工作舎)は、第二部が「創造的精神」になっていて、

「科学上の発見は、無から有を生み出すものではない。

それは、もともと関連して存在していながら、別々に取り扱われてきた概念、事実、脈絡などを組合わせ、関係付け、統合するものである。

この雑種交配こそ創造性の本質なのだ。」

と述べて、エールステッドが電気と磁気の相互作用を発見した事例などを挙げています。

【参考図書①】
「ホロン革命 新装版—部分と全体のダイナミクス」ケストラー,アーサー(著)田中三彦/吉岡佳子(訳)

そして、ユーモアとウィットの創造性についても論じています。

「ベルグソンやフロイトの理論を含め、これまでの理論はユーモアを孤立した現象とみなすばかりで、喜劇と悲劇、笑いと泣き、そして芸術的インスピレーション、喜劇的創造性、科学的発見の間にある密接な結びつきに光をあてようとはしなかった」が、科学も芸術も喜劇も、その創造性においては共通の基本的パターンがあるといいます。

「これまで関連することのなかったべつべつの精神的構造を統合し、新しい統一体からインプットした以上のものをえる、それが科学的創造性である」とし、この活動をユーモアの分析から始めるています。

というのも「創造のプロセスがはっきり姿を現すのは、ユーモアとウィットである」からで、ユーモアの理論で「ズレの理論」といわれるものをバイソシエーション(bissociation=associationの“bi-”で「二つからの連想」)という概念で説明しています。

一つの思考基準(単一平面での思考)と関わるのをアソシエイト(associate)と呼び、二つの思考基準にかかわることをバイソシエイトと言います。

創造的な思考というのは、互いに相いれない二つの領域、二つの論理や基準が同一平面上で活動する精神活動です。

関連のなかった別々の精神的活動が結合して、新たなアイディアが生み出される訳です。

「巧妙なジョークの創造にも、またそれを理解する「再創造」の活動にも、ひとつの平面から他の平面へ瞬間的に飛びうつるという、愉快な心のゆらぎがある」といい、ユーモアはこの「瞬間的に飛びうつる」ことが大事だと述べています。

固定観念からの解放が大切なのだと説いています。

シュールレアリズムではデペイズマン(転置)と呼ばれる手法です。

最も有名な「解剖台の上のミシンと雨傘の偶然の出会いのように美しい」というように、事物を非日常的で偶然的なコンテクストに置くことです。

最近では、椎名林檎の「無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」などが挙げられます。

俳句では、「取り合わせ」とか「二物衝撃」とか「配合」と呼ばれる手法も同じです。

一つの素材しか使わなければ「一物仕立て」と言います。

例えば、「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」(蛇笏)は一物で、「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」(子規)などというのは二物です。

俳人の坪内稔典は、「俳句レッスン」(「國文学」2001年7月号)で「取り合わせで作る俳句は、作者の感動を表現するというよりも、作った俳句によって感動する俳句。

つまり、感動の発見装置としての俳句だと述べていました。

「小学生に、感動とか思いを五七五で表現せよ、と言えば困難を強いることになるが、取り合わせだったらとても気軽に出来る」といい、更に「取り合わせは、合理的に説明のつく場合は面白くも何もないが、子どもたちは五七五音に制約されてかなり強引に取り合わせを行う。そのためにしばしば突拍子もない取り合わせが行われ、片言的な俳句が出現する」、また、「取り合わせる両者の関係があまりに近いと平凡な作品になる。逆に遠すぎると、読者には読み取りが難しくなる」と書いています。

異質な物と物、物と人、人と人を組み合わせることによって、新しい、力強いものが生まれてくるのでしょうね。

そうすることによって、放送局と視聴者が結び付くし、視聴者は視聴者なりの視点で僕らが思いもつかない別のものとつなげて文化を考えはじめるかも知れません。

これはファンタジーでも同じですね。

ジャンニ・ロダーリは、「ファンタジーの文法 物語創作作法入門」(ちくま文庫)の中で異化効果を生み出す技術<ファンタジーの二項式>という考え方を示していました。

【参考図書②】
「ファンタジーの文法―物語創作法入門」(ちくま文庫)ロダーリ,ジャンニ(著)窪田富男(訳)

ファンタスティックな物語が始まるのは、二つのある距離をもったことばのぶつかり合いからだというのです。

例としてガラス瓶と山、で、山の中のガラス瓶、ガラス瓶でできている山、ガラス瓶のなる樹のはえている山、ガラス瓶に入った山、などなどと発想していって、その違和感のようなものから、物語を広げていくと言うような発想法です。

「犬」と「たんす」で考えれば、たんすを背負った犬がいれば面白いし、また、たんすの中に犬がいればそれもまた面白い。

何か物語が動き出す予感が生まれる。

ロダーリは、「闘争のないところに生はない」。

また、「想像力とは精神のことであり、精神が誕生するのは闘争の中であって、平穏の中ではない。」と語っていましたね。

同じようなことを、詩人のシェリーは「理性は物事の間にある差異を、そして想像力は物事の間にある類似を尊重する。」という言葉で語っていました。

「バタフライ効果」というのがカオス理論で知られています。

北京のチョウの羽による空気の動きが、めぐりめぐってニューヨークで大暴風を巻き起こすという効果です。

これくらいの意外性がほしいですね。

詩人のイェイツは、「われわれは他人と口論してレトリックを作り、自分と口論して詩を作る。」という台詞を吐いていましたが、足し算ではなくて、かけ算になるような出会いが求められます。

サイードは、「オリエンタリズム」「文化と帝国主義」で「対位法的」(contrapuntal)思考が大切だというが、二つを融合させるのではなく、互いに響き合うようにすることが大切なのだ主張していました。

【参考図書③】
「オリエンタリズム〈上〉」(平凡社ライブラリー)サイード,エドワード・W.(著)今沢紀子(訳)

「オリエンタリズム〈下〉」(平凡社ライブラリー)サイード,エドワード・W.(著)今沢紀子(訳)

「文化と帝国主義〈1〉」サイード,エドワード・W.(著)大橋洋一(訳)

「文化と帝国主義〈2〉」サイード,エドワード・W.(著)大橋洋一(訳)

つまり、バッハの『フーガの技法』

『二声と三声のインベンション』

『平均率クラヴィア曲集』

等においては、右手と左手の旋律が、それぞれ独立して旋律を奏でながら、同時に掛け合いをするように、共鳴させる点に着目しています。

「文化と帝国主義」の中でサイードは、ディッケンズ、コンラッド、ジェイン・オースティン、キップリング、カミュらの小説に「対位法的読解」(contrapuntal reading)を施し、これらの小説の時代背景である「帝国主義」(=植民地の存在)が、抜き差しがたく織り込まれているさまを、明らかにしています。

ある場合は、「帝国主義」の残忍さに異議が唱えられ、ある場合は、植民地の存在は、プロットの背景として簡単に触れられるに過ぎないが、どんな場合でも、作品と「帝国主義」の所属関係(アフィリエーション)が色濃く刻印されていると指摘しています。

「西洋/非西洋」という創られた図式、それが「文明/未開」、「正義/不道徳」といった図式に容易に変遷していくことを見抜いていました。

また、植民地が永遠に続いていくだろうという根拠も反省もない予感。

それらのものを共有する文学と「帝国主義」は、互いに滋養・強化する共犯関係を免れないことになります。

「対位法的思考」から「ポストコロニアル」(コロンブスが「インディアン」を、ではなく「インディアン」がコロンブスを発見したと考える。)の思想が生まれます。

「対位法的思考」というと、ものすごく難しく聞こえますが、日本の特に笑いの文化の基礎にあるボケとツッコミ(大夫と才蔵とも言い換えることができる。)、そう、鶴見俊輔『大夫才蔵伝-漫才をつらぬくもの』のことです。

「大夫才蔵伝-漫才をつらぬくもの」鶴見俊輔(著)

ツッコミが垂直思考で、ボケが水平思考なのだと理解できると思います。

ツッコミばかりでは何も生まれない。

うまくボケが入ることで物事が進むし、新しい観点が生まれるんですね。

シェイクスピア劇にも道化はしばしば登場します。

あんまり出しゃばりすぎて王に叱られて言う台詞が「無理が通れば道化ひっこむ」でした。

僕らは王様ではないが、せめて心に道化を「お抱え」にするゆとりが必要なんでしょうね。

確か、昔の小学校の国語の教科書に載っていたのが豊田佐吉の話でした。

イギリスの織機の展示会を何度も見に行って同じものを作り上げたという話なのですが、日本ではこうした追随ばかりが奨励されていました。

「ファースト・ペンギン」という英語があります。

最初に海に飛び込んだペンギンのように、危険をかえりみず未知の分野に挑戦した人をさすといいます。

米国のゲームソフト業界には、それにちなんで「ファースト・ペンギン賞」などというものがあります。

独創的な新機軸のソフト開発者に授与される賞です。

最初にナマコを食べた人のように、勇気のある日本人が出てこなければならないのかもしれません。

【参考図書④】
「ナマコの眼」(ちくま学芸文庫)鶴見良行(著)

セレンディピティは、古くは、「コロンブスの卵」としても知られています。

ケクレのベンゼン環の発見(ロンドンの二階建てバスに乗っていた時に、互いに尻尾をくわえた蛇の夢を見た)やウォルター・ハントの発明した先端に穴の開いたミシン針の発明(追ってきた原始人の槍の先に穴が開いていた夢!)など分かると当たり前のことに思えますがが、そうではありません。

コロンブスは、1493年に新大陸から帰国すると、バルセロナの宮廷で盛大な歓迎式典の招かれましたが、皆がみな彼を賞賛したわけではありません。

「誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。当たり前のことだ。」と言って、水を差す人が出はじめました。

この点は、現代も、さほど変わりない世の中だと思われます。

その時、コロンブスは卵を指し示し、「誰かこの卵をたてることが出来る人はいますか?」と謎をかけたのです。

何人かが挑戦してみましたが、誰もたてることは出来ず、しまいには怒り出す人が出る始末。

コロンブスは、卵を引き寄せ、テーブルで軽くたたいて卵を立てて見せたのです。

これがいわゆる「コロンブスの卵」(Columbus' Egg)といわれる出来事でしたね。

ところが、これはペンゾーニの「新世界史」(1565年)の中で紹介されている話なのですが、ヴォルテール(「習俗論」第145章)に言わせれば、コロンブスの前に、ブルネッレスキが行ったことだと言います。

ブルネッレスキ(ブルネレスキ)というのは、一点透視法(透視画法)の「発明者」と言われ、フィレンツェのドゥオーモ(クーポラ)を完成させた男です。

この難しい建築のコンクールが行われた時に「画期的アイデア」をひっさげて乗り込みました。

ところが、アイデアが盗まれるので模型は見せられない、という。

「平らな大理石に卵を立てられる者がいたら、その者の独創性を信じて任せたらいかがでしょうか」ということになり、他の応募者がことごとく失敗する中、ブルネッレスキはためらうことなく、卵の端を潰して大理石に立てた。

そんなのは誰でもできる、というのに対して、ブルネッレスキは「私が模型を見せたら、おまえたちは同じように、自分たちもそういうふうにクーポラを造るつもりだったと答えるだろう。」と笑い飛ばしたと言います。

コロンブスよりも半世紀も前のことで、ジェノヴァ生まれのコロンブスは、どこかでこの話を聞いていた可能性があります。

ちなみにブルネッレスキのアイデアというのは、クーポラの円蓋を二重にするというものでした。

厚さ4メートルの円蓋の上に屋根の部分になる厚さ80センチの外屋根を載せて、軽量でしかも大きな中空の円蓋を載せることに成功したのはお見事です。

「誤解」のところでも書いていますが「コロンブスの卵」には後日談があります。

立春に生卵が立ったという「新発見」が1947年の立春直後に話題になったことがあります。

東京、上海、ニューヨークで成功したと当時の新聞が報じました。

当時の専門家は、「寒いと中味の密度が濃くなって重心が下がるから」「中身が流動体だから倒れない」などと原理らしきことを解説するものの、根拠が弱い。

立春以外はどうなのかもあいまいだったようです。

それを物理学者の中谷宇吉郎が冷静な目で分析して実験を試みました。

【参考図書⑤】
「中谷宇吉郎随筆集」(岩波文庫)中谷宇吉郎(著)樋口敬二(編)

結論は、いつでもちゃんと立つのです。

「コロンブスの卵」のように底を割らなくても、底には、三脚や五徳のような微小の突起があり、狭い範囲で根気良く中心を探せばいいわけだったんですね。

「何百年の間、卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたから。」

「人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。」

この知見は、物事を判断する際、現代でも十分役に立つ視点です。

常識を疑ってみる。

前提条件を疑ってみる。

気になることは自分で確かめる。

大量の情報があふれる現代こそ、その姿勢が生きてくると考えています。

もう一つ、大切なことは、卵が立つということを知っていて立たせるのは容易だということです。

「立つ」という仮説さえあれば、後は簡単なんですね。

ちなみにルネサンスは、イスラム経由でギリシャ・ローマの古典知識が西欧に注入されたのであって、必ずしも内在的な要因で生まれたのではない点を理解しておくべきです。

外からの目がルネサンスを生んだのです。

要は、自分だけでは満足な理解はできため、必要なのは、客観的に間違いを指摘してくれたり、助言をくれる良き友(理解者)を持つことです。

また、1492年はコロンブスのアメリカ到達の年ですが、この年は、また、西欧からイスラム勢力が追い落とされた年でもあります。

スペイン最後のイスラム拠点だったグラナダが落ち、イサベル女王の財布に冒険航海支援の余裕が生まれたから、コロンブスの発見が生まれたことは皮肉なことですね。

【関連記事】
【雑考】垂直思考と水平思考
https://note.com/bax36410/n/nc041319885eb

【雑考】複雑系思考法
https://note.com/bax36410/n/neaab25206650

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