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【メモランダム】《本音・建前》

《本音・建前》についてのメモランダムです。

本音をきいたら、その場ですぐ忘れるのがいいのですが。

本音ほど後遺症が烈しく、即座に忘れることはできないのが、人間の悲しさです。

カミシモを脱ぎ、本音で話し合う効用が酒にはあります。

だが、一時的に傷をふさぎ、問題の本質をうやむやにする一面もありますね。

「タテマエ」だけ口にして、実行は「ホンネ」を規準にして、新聞ダネにならぬように隠密のうちに実施して、成果をあげてしまえば別に問題はないらしい。

となれば、だれでも結局は、実質的には「不言実行」となってあたりまえになってしまいます。

「本音」と「建前」は、お互いに補完し合っているわけです。

「本音」は「建前」に裏打ちされて初めて「本音」になりうるのであり、「建前」も「本音」の裏打ちがあるからこそ、「建前」として存在しうる。

そういうバランスの上に人間関係は成り立っているのでしょう。

したがって、このバランスが崩れた途端に人間関係はぎくしゃくし始めると思います。

だから、人はそのバランスを崩すまいとして悩み、苦しみ、混乱し、葛藤するのでしょうね。

「事実はなぜ人の意見を変えられないのか―説得力と影響力の科学」ターリ・シャーロット(著)上原直子(訳)

例えば、ロンドン大学の認知神経科学の教授である、ターリ・シャーロット氏は「事実に、人の意見を変える力はない」と述べていました。

「人間は、情報に対して公平な対応をするようには作られていない。数字や統計は真実を明らかにするうえで必要な素晴らしい道具だが、人の信念を変えるには不十分だし、行動を促す力はほぼ皆無と言っていい。」

結局のところ、ほとんどの局面で、事実を認めるよりも、間違いを指摘されたくないとか、否定されたくないなどの欲求が勝るため、事実から「ちがう」と言わないだけで、人間関係は驚くほど円滑に回るように感じます。

しかし、そういうプロセス自身が実は、最もしっかりしたもので、生産的なのではないかと考えさせられるのが日本社会の実態なのかもしれません。

日本における意思決定は、はっきりした原則や理念(建前)に基づいて下されることはなく。

組織全体の「建前」を表面上は尊重しつつ、実際には多くの下部組織が持つ「本音」を適当に満足させるように相互に調整しつつ下されてしまう。

このため新しい方針の決定や、方向転換、組織改革などになると、意思決定が極度に遅くなり、組織全体が超保守的になってしまいます。

この状況を改めるには、結局、各個人が自分の属する集団の立場や束縛を離れて、それにしたがって行動すること以外にないのでしょうね。

【参考記事】

人は、「言ってること」ではなく、身銭を切って「何をしているか」こそ、本当の姿。

逆に、身銭を切らせれば、本音が出る。


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