「先送り派」か?それとも「即時派」?
アラン・ライトマンの『アインシュタインの夢』中のに以下の文章が書かれています。
「アインシュタインの夢」(ハヤカワepi文庫)アラン ライトマン(著)浅倉久志(訳)
「かりに、人間が永久に生きるとしてみよう。
ふしぎなことに、そこの住民は二派に分かれる。「先送り派」と「即時派」である。
すぐに見分けがつく。
「先送り派」は、カフェで・・・・・・飲みながら、人生の可能性を話しあう。
「即時派」は、そのカフェの持ち主であり、なにひとつ見逃すまいとして、つぎつぎに新しい人生を体験する。」
アインシュタインが特殊相対性理論を発表した1905年6月までの3カ月間、彼はこんな夢を見ていたのではないかという話を著者が勝手に想像して書いた本なんですよ(^^)
アインシュタインといえば物理学であり、著者もMITで物理学を教えているらしい。
というと、対象は理工系の学生、それも物理学科の学生だけかと思うかもしれませんが、そうでもない。
内容は、時間に関わる30個の妙な話をまとめたものです。
ありがちなタイムマシンの話ではないんですよね(^^)
個々の話は特殊相対性理論による時間の定式化・定量化に基づいています。
しかし、難しくはなくて、我々のまわりでは決してありえない妙な話の羅列です(^^)
たとえば、人間の一生が一日の昼と夜だけで終わる世界があったら、逆に人間が永遠に生きられる世界があったら、我々はどういうふうに生きるだろうか?
普段は考えたこともない、子供の頃にちょっと考えたかもしれない、そんな話ばかりです。
人が何年生きようが、寿命がいくら延びようが、その寿命がなくなろうが、根本で考えていることが、その人の人生に起きていきます。
自分のそういう根本が分かるためにも、そんなありえないだろう設定を、自分に当てはめて、自分を見つめるのは、けっこう楽しいことではないでしょうか(^^)
ありえねぇ~なんて、無粋な考え方は、ひとまず棚に上げておいてね!
思いがけないこと、今まで忘れていたことに気づかされかもしれません。
時には、大切なものが逃げていかないように、「時間が止まれば」なんて思うけど、もし、本当に止まったら・・・。
長すぎる人生をどう生きるか悩む人にとって、もし、人生が1日しかないとしたら・・・・・・
寿命がなくなる、時間を気にしなくていい、そんな世界に憧れたりもするけど、本当にそんなことになったら、人生を味わうことも出来ないんじゃないかって気がします^^;
そう、なんでもそうだけど、ありえないと決めつけるだけでは面白くないもんなぁ(^^)
これはないだろう、これはあるかもしれない、これは矛盾している、
などなど、疑問を感じながら読んでみると、それはそれで考えさせられるものがあります。
自分がその世界にいたら、自分の家族がその世界にいたら、云々。
現在、自分が生きている世界が、実は無数の偶然の上に成立しているすばらしい世界なのではないかと感じさせられることもあるんじゃないかなぁ(^^)
私自身を含め、誰もが現実に追われている昨今なのですが、たまには徹底的に空想してみるのもよいことだと思います。
昨今、頭の体操関係のゲームも流行っていますが、要は頭の柔軟体操です。
いろんな見方をすれば、いろんなものが大切に思えてくる・・・・・・かもしれませんから、ね!(^^)
最後に、同著には、こんな言葉も書いてありました。
「人生は悲しみの器だが、それを生きぬくことこそ気高いのであり、時間のないところには人生もない。」
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