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恋歌のディスクール(Vol.1):映画『言の葉の庭』

みんなの俳句大会(白熊杯)で、偶然にも、いろんな恋歌(元歌や返歌)があることを教えてもらって。

自分の知らない(の中の辞書には無い)言の葉で詠まれた元歌や返歌は、とても新鮮でした(^^)

どんな気持ちで、その短歌を詠んでいるのだろう?とか(@@)

時には、解っているつもりになって、頷いてみたり(^^)

時には、このシチュエーション、俺には、無理と独りごちたり^^;

「言の葉」とは「言葉」のこと。

大昔では「和歌」を表していたそうです。

文章を書くのとは違って。

言葉(和歌)とは。

心を種にして、葉が茂るように広がってゆくものなのかなって。

そう感じる今日此の頃ですかね(^^)

そんな時、ふっと、ある映画の事を思い出したんです、ね。

何故・・・・・・

この映画を観ようとしたのか、もう、覚えていません。

何時、観たのかも定かでありません^^;

ただ、「言の葉の庭」のタイトルが鮮明に残っていたのか?

記憶には、湿度があって。

雨の日の記憶は、濃いいとも言うから。

もしかしたら、男女の恋、雨、そして雨宿りの映画である事がフックとなって。

思い出せたのかも知れません(^^)

鑑賞された方もいらっしゃるのではないでしょうか?



映画『言の葉の庭』予告編映像

瑞々しくも哀切な人間ドラマ。

愛に至る以前の孤独 ——、 孤悲(こい) の物語。

でも、梅雨の時期の雨のうっとうしさを爽快な気分に変えてくれる、心洗われる恋の物語。

あらすじ:

靴職人を目指している高校生の孝雄と、謎めいた心に影のある年上の女性教師の雪野。

孝雄は、雨の日の午前は学校に行かずに、公園で雨宿りがてら靴のデザインを考えていた。

そして、ある雨の日、庭園で出会った二人、それから、雨の日のたびに二人は庭園で交流を重ねていった。



舞台となっている庭園は、東京の新宿にある新宿御苑です。

二人が会った際、別れ際に、雪野が、孝雄に向けて歌を詠みます。

その歌が、万葉集の「鳴る神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ(雷が少し鳴り響いて、空が曇り、雨が降ってくれないだろうか。(雨が降れば)あなたをこの場所に引き留められるのに。)」です。

男女が一夜を共にし、男性が帰っていくときに、雷が鳴り、空に雲が広がる。

ああ、雨が降ってくれたら、雨宿りのために、もう少しだけ一緒にいられるのに、という恋心を詠んだ歌。

映画『言の葉の庭』は、「雨」が一つの鍵となっています。

たぶん、この歌を詠む以前から、雨が降れば。

雨にけぶる景色の向こうに、あの日の思い出が視える。

大切な人の姿が視えていたのかも知れません。

そして、雨の日に現れる人は、きっと、とても大切な人だったのかも知れませんね。

そう想うのは、そこに、待ちわびる辛さがあって。

辛かったはずの記憶も。

思い出したくないはずの記憶も。

雨の湿度に包まれて、記憶は少しだけ、やさしく、やわらかになっていく。

大切な人との幸せな記憶であれば、なおさら。

こういった心情は、現代の感覚でも、すっと沁み入るものがあるのではないでしょうか?

そのときは、この歌の意味がわからなかった孝雄。

私も、この記事を書くに際して、初めて、この短歌の心音は、どうなんだろうと想ってみて、ぼんやりとだけど、そう感じただけで、聞いて直ぐに解らないよね^^;

でも、雨越しの記憶に触れ。

ひとりきり邂逅を重ね。

そうして、孝雄は少しずつ大人になっていった。

そして、その後も、約束のない雨の日だけの逢瀬を続けた後。

彼女が苦悩していた事実を知った孝雄は、この短歌が、万葉集の歌であることを知ります。

雪野に、その返事の歌として、「鳴る神の 少し響みて 降らずとも 我は留まらん 妹し留めば(雷が少し鳴って雨が降らなくとも、あなたが留まってほしいと言うなら、私は留まりましょう)」を伝えます。

これは私見ですが、愛・光や闇といった姿形のないものをテーマにすると、必然的に扱う言葉もぼんやりとした印象となってしまう場合があります。

その様な表現であれば、現実でも同じで、愛は、告げれば告げるほどその儚さが強調されることになります。

つまり、それを受け取る側の感情を上滑りし、フワフワと軸がなく頼りないシナリオになってしまうことも多い様に感じます。

言葉にしたら、愛が減っていくような気さえする。

そんなとき、自分の言葉ほど情けなく感じるものない。

つたない言葉。

ありのままの愛を伝えようとして発する言葉は、どれも、フワフワした感じで、ひらひらとしているようにおもえてしまうことも、ある様に感じます。

その事を踏まえた上で、この映画を改めて鑑賞してみた個人的な印象として、詩の様にも感じられました。

そう感じたのは、とにかくリアリズムを心掛けていると感じる作風であったこと。

モノ・コトをあるがままに。

できるだけ正確に描き出す(男女の恋、雨、そして雨宿りの描写等)ために。

この万葉集に載っている雨と恋(孤悲)の歌がぴったりと馴染んでいる様に感じます。

それにプラスして、ピアノの音が最高に切なくていいので、ちょっと聴いてみてくださいね♪

Kashiwa Daisuke「88」

そうそう、ちょっと気になったので調べてみて解ったんだけど。

雷が鳴って。

空が曇り。

雨が降ったら。

もう少し一緒にいられるのに、と女性側が歌ったこの短歌に対し。

男性側は、雨など降らなくても。

あなが一緒にいたいと望むなら一緒にいるよ。

と女性の想いを優しく受け止めていますよね。

この時代、女性が引き留めようとし、その想いを振りほどくように男性側が帰っていく、というのが常の中。

こうして受け止める、という歌は珍しい形のようです。

男でも惚れそうになるくらいのイイ男だぜ、まったく(^^)

ちなみに、歌のなかに出てくる「妹」というのは、兄弟関係の「妹いもうと」ではなく。

読み方は「妹いも」で、男性が恋人や妻など女性を親しんで言う際に使用する言葉だそうです。

逆の場合、「兄せ」という言葉が使われます。

秦基博「Rain」

以下の動画は、春の綺麗な映像に合わせた音楽が展開されているので、お時間あれば、聴いてみてください♪

KASHIWA Daisuke / april.#19 (MUSIC VIDEO) "from Re:"

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