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【宿題帳(自習用)】国語の時間:ことば遊びの楽しみ

[テキスト]
「ことば遊びの楽しみ」(岩波新書)阿刀田高(著)

[ 内容 ]
「竹やぶ焼けた」「貴社の記者、汽車で帰社した」「世の中は澄むと濁るの違いにて、刷毛に毛があり禿に毛がなし」。
日本語ほど盛んにことば遊びが楽しまれてきた言語はあるまい。
幼い頃からその多彩な遊びを愛してきた作家が、古今の傑作や自らの創作をまじえて、駄じゃれ、いろは歌、回文、アナグラムなどの豊かな世界へと案内する。

[ 目次 ]
第1章 日本語とことば遊び―少ない音、おおらかな耳
第2章 文芸のなかのしゃれ・比喩―古典に現代小説に、息づく遊び心
第3章 若い脳みその中へ―私のことば遊び遍歴
第4章 漢字の感じを忘れるな―単純な遊び、高度な遊び
第5章 なぞの構造―二段なぞから無理問答まで
第6章 回文という怪文―アナグラムは発展途上?
第7章 いろは歌は文化遺産だ―七五調のリズムに乗せて
第8章 舌を走らせ早口ことば―落語・歌舞伎に『マザー・グース』に
第9章 ユーモア辞典のすすめ―目から鱗の“天使の辞典”を
第10章 落ち穂拾いから―折り句、記憶術、替え歌…

[ 発見(気づき) ]
例えば、、楠見朋彦さんの『神庭の瀧』の夢をテーマにした十首一組のアクロスティック作品「夢の波」を読んでみると・・・

「はるかなる唐土(「もろこし)までも行くものは秋の寝覚(ねざめ)の心なりけり」
(大弐三位「千載集302」より)

原歌「もろこしも 夢に見しかば 近かりき 思はぬなかぞ はるけかりける」
(兼芸法師「古今和歌集」より)

「秋風にはるかなる もろこしはゆめの外」

「あはれとも言ふことなしに百日紅一樹が隔ちたる夢のほか」

「究極を問ひしことあり禁色の湖面をすべりゆくあまたの帆」

「烏丸の地下ゆくときの共鳴よ愁ひにおほはれむうつしみの」

「絶唱と聞きまがふことまれにあり白鳥はおもき首をたわめ」

「ニュートリノ奔る気ままさもて晩夏全身を貫いて去れる喩」

「ハバネラは墓石の間にさんざめく眠りを分たざりき我らは」

「涙淵の一語見出しざわざわと夢幻の崖つ淵に立つわたくし」

「からころもポリエステルに塗れつつ秋風を取り逃がす手底」

「なだらかに現の線がブレてゆくゆめの白波よせかへすころ」

「瑠璃鳥の影ぞよぎれるわがそらの空木は幹に時を満たすも」


塚本邦雄『水葬物語』/「椿事」

ダンドリヨン・リヨン ・ たんぽぽと獅子

ポワソン・コリマソン ・ おさかなと蝸牛

ファソン・ギャルソン ・ えんりよ・少年

アルム・ヴアキヤルム ・ 武器・大さわぎ


短歌は、読者に、

「あるある」

「共感されることをいう場」

でもなく、

「深刻ぶって社会を憂う場」

でもないとの見解もあり、短歌は、

「ことばで遊ぶ」

「ことばと遊ぶ」

遊びの場ではあるが、遊びの常として、そこは、

「真剣勝負の場」

だという考え方は重要である。

そう、日本語は、美しい、とよく言われる。

それを、守れとも言われる。

しかし、

「美しいから守る」

だけでは、どうにも、

「美しすぎる」

と感じる。

要するに、うそ臭い。

空虚に聞こえる。

この本は、「楽しみ」の本である。

日本語の持つ要素を、フルに生かした、ダジャレ、言葉遊び、いろは歌、漢字の覚え方、かるた・・・などなど、「ことば遊び」を紹介し、読むだけで笑わせてくれる本である。

[ 教訓 ]
そして、著者の言う「庶民のメンタリティー」たる、ことば遊びの視点から、日本語を考えるおもしろ本である。

「産地」と「山地」「海」と「膿」など、同音異義語を瞬時に聞き分けられるだけでなく、「教養」と「今日よ」が、「火が強かった」と「四月八日」が同じように聞こえてしまうのが、日本語の面白さ。

日本語の音数が少ないので、かなり幅広く聞き取れるのだ、と。

これが、言葉遊びを生む基本要素。

「○○とかけて△△ととく、そのこころは・・・」というのも、フルに駆使している。

「お食事券」と「汚職事件」なんてとんでもない結びつきも、同じ音なのだからしょうがない。

大いなる笑いのネタである。

これを笑えるのは、日本人の特性と言ってもいいであろう。

アメリカンジョークは、論理的なジョークなので、日本人には分かりにくいのであるが、日本人のしゃれは、同音異義語やら抽象的な音の違いなので、外国人には、もっと分かりにくい。

質的に違うというか。

それにしても、日本語を守れという声は、あらゆるところから聞こえてくる。

しかしそれは、「祖国とは国語」など、

保守的な思想の方向から(つまり、民族とか国民とかの政治的次元から)呼びかけられるものが多く、彼らと政治思想を異にすればはねつけてられてしまうような弱点も秘めているものであった。

「日本民族を守るために国語を大切にすべきである」では、「日本民族」なんて時代じゃない(思えば「日本民族」という言葉も政治的です)と考えている人にとっては、ちっとも守るべきものではないように思われてしまう。

しかし、この方向なら、「庶民のメンタリティー」に訴えかける面白さなら、誰もそれを奪おうとは思わないはず。

[ 一言 ]
ラテン語は一語一語に意味のたっぷりつまった言語、フランス語は明晰の代名詞の言語、英語は超アバウトな言語と、言語にそれぞれ個性がある。

その個性を生かすことは、ナショナリスティックな狂信ではないはず。

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【参考記事】

文部科学省で定められている基本の教科は、以下の10教科です。
■国語
■社会
■算数
■理科
■生活
■音楽
■図画工作
■家庭
■体育
■外国語活動(英語)
外国語活動は、2020年に改訂された学習指導要領から必修になりました。
小学3・4年生では、「外国語活動」、5・6年生では、「英語」の教科として含まれます。
その他の教科・活動として、小学校の授業では、上記の10教科の他に、以下の2種類を編成できるそうです。
■道徳
■特別活動
■総合的な学習の時間

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