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【短歌表現】紫陽花

秋山ゆうすけさん撮影「隙間」

「あじさい」の語源は、

■「あじ」は集(あづ)で「ものが集まる」

■「さ」は真(さ)で真実

■「い」は藍

であり、青い花が集まって咲く様子をあらわした名前ですね。

「紫陽花」の表記は、平安時代に、中国の別の花と間違って使われるようになったようです。

因みに、日本から中国に渡ったあじさいは、中国で、

「八仙花」

と呼ばれているそうです。

梅雨入り間近であり、紫陽花の美しい季節になりました。

梅雨の時期は、曇り空や雨の日等、どこか、どんよりした街の中で、鮮やかな色の紫陽花を、見かけたりしませんか?

雨に濡れている花は、風情があり、花壇で咲いている紫陽花を、立ち止まってみる人も、いたりするかもしれませんね。

また、梅雨の時期には、たくさんの紫陽花を咲かせることで、観光名所になっている場所も、下記記事の通り、全国に、たくさん存在しています。

鎌倉にある長谷寺も、紫陽花の名所のひとつでしたね。

梅雨の時期は、観光客が多く訪れるため、庭に入るのに、1時間待ちなんてこともあるそうですよ。

紫陽花の人気ぶりが、うかがえますね。

日本人に愛され、知名度も高い紫陽花だと思っていたのですが、実は、不思議な歴史を辿っている花なんですね。

調べてみたところ、日本に古くから存在する品種であり、奈良時代から記録があるにも関わらず、花としての人気が、ほとんどない時代が続きます。

今のように、広く人気が出るようになったのは、第二次世界大戦後であり、

「梅雨といえば紫陽花」

となっている今の感覚からすると、戦前は、大して人気がなかったなんて、意外であり、また、信じられないですよね。

ここで、参考までに、紫陽花のルーツと日本におけるこれまでの歴史を辿ってみると、今では考えられないような、紫陽花の存在感のなさが分かる一方、歌などに詠まれていることから、細やかながら、日本人の生活に根付いてきたことが、うかがい知れて勉強になります。

また、合わせて、人気の高い現代において、紫陽花のことを、もっとよく知れば、より興味深く花も歌も鑑賞できるのかなって、そう思いました。

そこで、日本における紫陽花の歴史について調べてみると、現代では、人々に愛されている紫陽花ですが、戦後までは、あまりクローズアップされない花だったことを知り得てたので、ちょと纏めてみました。


■奈良時代

日本において、紫陽花が書物に登場したのは、

「万葉集」

「新版 万葉集 現代語訳付き【全四巻 合本版】」(角川ソフィア文庫)

が最初だそうです。

万葉集は、奈良時代に作られた最古の詩集であり、多くの草花が詠まれていますが、紫陽花も歌の数は、わずか2首にとどまっています。

この2首の中で、紫陽花は、

「味狭藍」

「言問はぬ木すら味狭藍諸弟(もろと)ら練の村戸(むらと)にあざむかえけり」
(大伴家持)

「安治佐為」

「安治佐為の八重咲く如くやつ代にをいませわが背子見つつ思はむ(しのはむ)」
(橘諸兄)

と記述されており、まだ、表記が統一されていなかったことが分かります。

■平安~鎌倉時代

平安時代に編纂された漢字辞典「新撰字鏡」には、

「安治左井」

と記されています。

また、平安中期に作成された辞書「倭名類聚抄」には、

「安豆佐為」

との記述があります。

このことから、当時も、

「アジサイ」

または

「アズサイ」と呼ばれていたと思われます。

現在、語源として有力なのが、「集真藍」(アズサアイ)がなまったとされる説です。

前述の通り、「あず」は、ものが集まることを意味しています。

青い花が、集まって咲く様を言い表した名前と言えますね。

しかし、紫陽花の人気の低さは、この時代も、あまり変わりませんでした。

平安時代を代表する書物、

「源氏物語」

「源氏物語絵巻―伝・藤原伊房・寂蓮・飛鳥井雅経筆」(日本名筆選)

「源氏物語 物語空間を読む」三田村雅子(著)(ちくま新書)

「枕草子」

「枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」(角川文庫ソフィア)清少納言(著)

「古今和歌集」から「新古今和歌集」迄の八代集

「古今和歌集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」(角川ソフィア文庫)中島輝賢(著, 編集)

「新古今和歌集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」(角川ソフィア文庫)小林大輔(編)

等には、一切、紫陽花の記述がないようです。

方や、歌には、しばし、詠まれることがあったようです。

但し、それは、紫陽花の美しさ等を詠うというより、言葉かけとして、使われていたケースもあったそうです。

例えば、平安時代に編纂された

「古今和歌六帖」

「和歌文学大系45 古今和歌六帖(上)」久保田淳(監修)室城秀之(著)

「和歌文学大系45 古今和歌六帖(下) 」久保田淳(監修)室城秀之(著)

には、このような歌が載っています。

「あかねさす昼はこちたしあぢさゐの花のよひらに蓬ひ見てしがな」
(穂積皇子)

ここでは、「花のよひら」が、紫陽花の花びらが4枚であることを意味しているそうです。

この「よひら」と、宵の「よひ」という言葉を、かけているのです。

紫陽花を詠ったというより、紫陽花を使った、言葉遊びの歌、と言えますね。

「『源氏物語』引歌の生成 『古今和歌六帖』との関わりを中心に」藪葉子(著)

■安土桃山時代

小さな花が集まって球状に見える、手まり咲きの紫陽花の記録があるのは、桃山時代に入ってからです。

この頃には、画家によるもっとも古い紫陽花画が登場します。

作品名は、「松と紫陽花図」です。

織田信長や豊臣秀吉にも仕えた画家、狩野永徳の作です。

現在、京都の南禅寺に所蔵されており、重要文化財に指定されています。

松と紫陽花なら、東京江東区の「清澄庭園」が、結構いいかもしれません。

■江戸時代

江戸時代になると、やはり、時代を代表する画家、尾形光琳や俵屋宗達、酒井抱一によっても、紫陽花が描かれています。

文献では、江戸時代の日本初の園芸書

「花壇網目」

「解読 花壇綱目」青木宏一郎(著)

あるいは、

「花壇地錦抄」

「花壇地錦抄 草花絵前集」(東洋文庫)三之丞伊藤伊兵衛/伊藤伊兵衛(著)加藤要(校注)

に登場します。

しかし、それでも、記述は、少なかったようです。

当時の江戸は、世界に誇れる園芸文化が根付いていました。

今では見られない品種も、開発されていたようです。

一方、紫陽花の人気は、いまいち。

むしろ、植木屋には、やや嫌がられていた存在でした。

というのも、紫陽花は、繁殖が容易な花。

折った茎を土に植えておくだけで、株がどんどん増やせます。

だれでも、簡単に植えて、花を咲かせることができるため、植木屋としては、紫陽花は、商売にはならないということだったのでしょうね。

但し、俳句や川柳には、多く取り上げられました。

松尾芭蕉も、このような句を残しています。

「紫陽花や 帷子時(かたびらとき)の 薄浅黄(うすあさぎ)」

「紫陽花や 藪を小庭の 別座舗(べつざしき)」

その他では、以下の句が有名でしょうか。

鈴木花蓑「紫陽花の浅黄のままの月夜かな」

渡辺水巴「紫陽花や白よりいでし浅みどり」

加賀千代女「紫陽花に雫あつめて朝日かな」

阿部みどり女「紫陽花の藍をとばして雨あがる」

正岡子規「紫陽花や赤に化けたる雨上り」

正岡子規「紫陽花やきのふの誠けふの嘘」

正岡子規「あぢさいや一かたまりの露の音」

原石鼎「紫陽花の白とは云へど移る色」

松本たかし「紫陽花の大きな毬(まり)の皆褪せし」

阿部みどり女「紫陽花の夕の藍に羽織りけり」

石田波郷「紫陽花や帰るさの目の通ひ妻」

久保田万太郎「あぢさゐの藍のやうやく濃かりけり」

久保田万太郎「あぢさゐのいろ濃きうすき宿世かな」

飯田蛇笏「雨に剪る紫陽花の葉の眞青かな」

初夏はちょうど紫陽花が咲く時期です。

それもあってか、芭蕉は、浅黄色と同じ色をした紫陽花が咲いた様子を詠ったとされており、その他の句達も、降る雨の成分によって色が変わる飽きさせない花を、それぞれの視点で表現していますね。

また、紫陽花は、画壇でも、しばし描かれています。

葛飾北斎も

「紫陽花に燕」

という絵を描いており、濃淡で色づけされた紫陽花が、印象的な作品です。

幕末には、紫陽花には、欠かせないエピソードが生まれます。

そう、ご存じの方も多いと思われますが、幕末、シーボルトとうドイツ人医師が、日本に滞在していた時に、お滝という日本人女性と恋仲となり、彼女を深く愛していたシーボルトは、自分の好きな花である紫陽花に、お滝さんの名前にちなんだ名をつけようとします。

その名は、「Otakusa」です。

しかし、紫陽花には、別の学術名がすでにあったため、認められることはありませんでした。

その後、シーボルトは、国籍を偽って滞在していたことが発覚。

国外退去処分となり、オランダに、1人で帰国します。

帰国後、植物学者のツッカリニと共に、

「日本植物誌」

「日本植物誌」(ちくま学芸文庫)P.F.B.フォン シーボルト(著)

を著しました。

その中で、アジサイ属の花14種を、新種として紹介しています。

■明治・大正時代

紫陽花の人気のなさは、引き続いて、明治になっても、やはり変わらなかったようです。

紫陽花は、1789には、中国に伝わっていたものが、ロンドンに送られました。

1900年代の初めには、フランスで育種がスタートし、これが、セイヨウアジサイへと発展していきます。

その後、大正時代には、西洋で改良を受けた紫陽花が、日本に入ってきます。

しかし、今日のように普及するまでには、いたりませんでした。

■戦後

月日は流れて、第二次世界大戦後、ようやく紫陽花にも、人気が出てくるようになります。

そのきっかけのひとつに、観光資源として注目されたことが、大きい関係しています。

全国には、前述の記事の通り、紫陽花の名所が、数多くあります。

例えば、鎌倉では、明月院と長谷寺が有名ですよね。

明月院のアジサイは、日本古来の「姫アジサイ」です。

姫アジサイの名は、日本の植物学の父と呼ばれれる牧野富太郎博士によるものでしたね。

「大和路の花の寺」とも呼ばれる長谷寺は、四季折々の花々が美しくさくお寺であり、5月下旬頃から6月下旬にかけ、約3000株の紫陽花が山内のあちらこちらに咲き誇り、境内の「嵐の坂」には、多くの鉢植えの紫陽花の荘厳さに、見る人の心を明るくしてくれます。

そのため、紫陽花の見頃には、観光客が詰めかけます。

そう言えば、「紫陽花の長谷寺」は鎌倉、「牡丹の長谷寺」は奈良でしたね。

紀貫之(35番)『古今集』春・42
「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香(か)ににほひける」

この歌の舞台は、「初瀬の長谷寺」、お寺の中には、樹齢100年を越える巨大なしだれ桜がありますので、来年(鬼が笑う?(^^))、立ち寄って、紀貫之の機転と粋でダンディな雰囲気を感じさせてくれるこの歌を思い出してみて下さい。

さて、紫陽花の名所となるお寺は、しばし全国に見られますが、なぜ、お寺に紫陽花が植えられるようになったのでしょうか。

それは、紫陽花が、死者に手向ける花だと考えられたことに由来します。

特に、流行病が発生した地域では、多く植えられたそうです。

時代が進み、流行病で、多数の死者が出ることはなくなりましたが、紫陽花は、増やすのが容易であること、見た目が美しいことから、全国のお寺で植えられるようになったそうです。

そして、今では、観光名所として、地域の集客効果の向上にも、一役買っており、品種改良を加えたいまの紫陽花は、雨を引き立て役にして、梅雨の季節の主役となった観があります。

私たちは、色のうつろいやすさを、不実となじるかわりに、雨にうたれて色を濃くするその姿に、どこか儚い健気さを感じて、憂鬱な季節を慰めてもらっているようです。

もうすぐ、新緑が過ぎ、梅雨前線がやってくる頃、紫陽花の季節が訪れます。

紫陽花には、やっぱり、雨が似合うなあと思うので、いつもなら、少し躊躇う雨も、

「ああ、いいなぁ」

と、道端で、ぼんやり立ち止まってしまいます(^^♪

なんだか、

「しっとり」

しているように感じるのは、私だけでしょうか。

この感情や、感覚や、記憶に結びついた美しさというものがありませんか。

「新雪の降った暁の富士山」

とか、

「雨に濡れた新緑の清々しさ」

とか、誰もが、何となく、

「美しいなあ」

と感じるもの達。

そして、同時に、目尻をキュッと絞られたり、胸つまされるようなもの。

その一方で、人が作る美しさも有ったりと、人によっては、ちっとも、美しさが分からないものだけれど、人によっては、説明のつかないくらい、無性に魅かれてしまうもの達って、みなさんにも、有ったりしませんか。

例えば、私なら、

「無造作に積み上げられた本の山」

とか、かな(^^)

それ以外だと、人工的ではあるけれど、測られた美しさを持つもの達。

例えば、「建築家がデザインしたビル」とか。

他にも、目には見えないその場に醸成される空気の美しさもあるでしょうし、同じ人間か?と思うほどに洗練されたモデルや俳優の容貌、何がなんだかわからないけれど惹きつけられる現代アート、丁寧に作られた竹の籠、文化と誇りを持った民族とその衣装、テレビから不意に流れてきた旋律、食材から空間まで意図された一皿、見返りを求めない見知らぬ人の親切、遠くから聞こえてくる運動会の練習中の子供たちの笑い声、何かに打ち震え堪えきれずに溢れた一粒の泪、等々。

そんな感じで連想して行くと、思わず、

「ああ、世の中はなんと「美しい」であふれているのだろうか」

って感じます。

また、人が美しいと思うものには、記憶と経験が、あるのかもしれないし、自分の何かと、その「美しさ」自体が、お互いの琴線を鳴らし合い、共鳴しているのかもしれませんよね♪

そんな風に考えてみると、

「美しい」

とはなんぞやって感覚に陥り、これを定義することは、とても難しい事の様に感じられます。

たったひとつの答えは、ないのだと思う理由として、ありきたりな答えだけど、なぜなら、

「美しい」

は、人それぞれだからです。

それでも、

「美しさ」

には、それぞれの人がもつ、

「本質」

があるような気がしてなりません。

気がつかぬまに、

「美しい」

なと感じたとき、美しい、と感じた心を愛しく思って欲しいなって、そう思います(^^)

みなさんの大切なものがきっとそこにあって。

みなさんにとっての

「美しい」

とはなんでしょう?

そんな問いを自分に課してみて、さて、曇り空の下で鮮やかに咲く紫陽花が、人の心を惹き、雨に濡れて咲く姿には、情緒があって、近代、現代短歌でも、多くの歌人が題材にして、色んな視点で詠われている、その様な短歌表現を、少しの時間、読んでみることで思いに耽って(追体験して)みる。

そこで、紫陽花に関する色んな短歌表現を紹介しておきますので、お時間が有れば、紫陽花の花と共に、読んでみて下さい(^^)

■紫陽花をテーマにした短歌

「紫陽花も花櫛したる頭をばうち傾けてなげくゆふぐれ」
(与謝野晶子)

「昨日より色のかはれる紫陽花の瓶をへだてて二人かたらず」
(石川啄木)

「留まらむとして紫陽花の球に触りし蝶逸れつつ月の光に上る」
(北原白秋)

「病監の窓の下びに紫陽花が咲き、折をり風は吹きに行きにけり」
(斎藤茂吉)

「あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼」
(佐藤佐太郎)

「紫陽花のはな傾きて降る雨によごれし笊(ざる)をうたせつつをり」
(津田治子)

「光なき玻璃窓一めんにあぢさゐの青のうつろふ夕ぐれを居り」
(五味保義)

「色変えてゆく紫陽花の開花期に触れながら触れがたきもの確かめる」
(岸上大作)

「あぢさゐのおもむろにして色移るおほかたの日数雨に過ぎつれ」
(吉野秀雄)

「あじさいはあわれほのあかく移りゆく変化(へんげ)の花と人のすぎゆき」
(坪野哲久)

「あぢさゐの花をおほひて降る雨の花のめぐりはほの明かりすも」
(上田三四二)

「紫陽花の木(ぼく)のうへなる藍いろとみどりまじはりがたく明るむ」
(小中英之)

「廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり」
(小池光)

「球形(たまがた)のまとまりくれば梅雨の花あぢさゐは移る群青の色に」
(宇都野研)

「あじさいに降る六月の雨暗くジョジョーよ後はお前が歌え」
(福島泰樹)

「戦争が(どの戦争が?)終わつたら紫陽花を見にゆくつもりです」
(荻原裕幸)

「紫陽花の首をはねつつこれがかの男ならばと思うてならじ」
(大下一真)

「夏至の日のながき日暮にゆく道の額紫陽花は雨に鮮(あたら)し」
(上田三四二)

「あぢさゐの濃きは淡きにたぐへつつ死へ一すぢの過密花あはれ」
(岡井隆)

「思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花」
(俵万智)

「ほほえみの裾がめくれて退屈な紫陽花が見ゆ陽にふくれつつ」
(吉川宏志)

「過ぎゆくは紺の歳月 紫陽花のめぐりの闇のなまあたたかし」
(小野興二郎)

「エミリといふ名にあこがれし少女期あり紫陽花濡るる石段くだる」
(栗木京子)

「紫陽花といふ名は誰が名づけけむ雨季を彩る三字の名詩」
(熊沢雅晴)

「嘘いくついいわけいくつ吐きて来しくちびるに花花は紫陽花」
(藤原龍一郎)

「極楽へ行く人の乗る紫の雲の色なるあじさいの花」
(行其)

「梅雨ぐもりただに物うきのみならず紫陽花の花は色濃かりけり」
(岡麓)

「夕立のはるる跡より月もりて又色かふる紫陽花の花」
(正岡子規『竹の里歌』より)

「まひる日にさいなまれつつ匂ひけりやや赤ばめる紫陽花のはな」
(古泉千樫『屋上の土より』)

「あぢさゐの花のよひらにもる月を影もさながら折る身ともがな」
(源俊頼『散木奇歌集』より)

「夏もなほ心はつきぬあぢさゐのよひらの露に月もすみけり」
(藤原俊成『千五百番歌合』より)

「あぢさゐの下葉にすだく蛍をば四ひらの数の添ふかとぞ見る」
(藤原定家『拾遺愚草』より)

「雨ふくみ頭(づ)を傾ける紫陽花の地中にひかる納骨堂は」
(楠誓英『薄明穹』より)

「亡き犬のクローンはつか夢見たるわれを罰せむ立枯れ紫陽花」
(水原紫苑『快楽』より)

「末枯れ咲く紫陽花の毬を剪りてゆく からまわりするせかいのまひる」
(池田裕美子『時間グラス』より)

「どんぶりで飲む馬乳酒のこくこくと今を誰かが黒き紫陽花」
(大森静佳『カミーユ』より)

「六月の雨かも知れぬ打たれたる肩に紫陽花色の痣あり」
(黒田和美『六月挽歌』より)

「雨の日に荷物が多い恋人を待つ紫陽花の咲く公園に」
(小林幹也『裸子植物』より)

「死に鳥の墓標となりて紫陽花のその身を赤く変じてゆけり」
(伊津野重美『紙ピアノ』より)

「紫陽花の葉うらにいたる少さき蜘蛛すばやく降りぬわが眼前を」
(花山多佳子『楕円の実』より)

「色薄き頬に手を寄せ我が系(すじ)とのたまう母の遠き紫陽花」
(吉野亜矢『滴る木』より)

「聴きつつ睡るラジオの底の夏祭りそこ曲がり紫陽花を傷むるな」
(魚村晋太郎『銀耳』より)

「紫陽花を捧げ持ちつつ小さくて冷たい君の頭蓋を思う」
(松野志保『モイラの裔』より)

「森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし」
(寺山修司『空には本』より)

「あぢさゐは過去世の花ときめしよりあの日の深き藍を畏るる」
(廣庭由利子『ぬるく匂へる』より)

「あじさいがまえにのめって集団で土下座をしとるようにも見える」
(吉岡太朗『ひだりききの機械』より)

「あぢさゐもばらも知らない受刑者は妻と三歳のむすめを詠ふ」
(小島熱子『ぽんの不思議の』より)

「濃く匂ふ百合と匂はぬ紫陽花のあはひにはつか臭(しう)あるわれが」
(福井和子『花虻』より)

「紫陽花の花を見てゐる雨の日は肉親のこゑやさしすぎてきこゆ」
(前川佐美雄『大和』より)

「遠目には宇宙のようで紫陽花は死後の僕たちにもわかる花」
(笹川諒『水の聖歌隊』より)

「義母のよそうご飯かと思い振り向けば紫陽花白く低く咲きおり」
(佐伯裕子『感傷生活』より)

「コピー機の足りない色に紫陽花はかすんでここに海があったの?」
(吉田竜宇「pure bomb」(京大短歌17号)より)

「汗香る髪はいつしか雨となる雨のむかうに灯る紫陽花」
(高島裕『雨を聴く』より)

「雨垂れの音飲むやうにふたつぶのあぢさゐ色の錠剤を飲む」
(木下こう『体温と雨』より)

「アナベルと小さく呼べば紫陽花の薄水色の花鞠ゆらぐ」
(秋山佐和子『豊旗雲』より)

「紫陽花と喋っただけの週末はハリガネムシになりたいや嘘」
(鍋倉悠那「いくじなし」(「九大短歌」第8号)より)

「けふもまた明けゆく道に少年の脳(なづき)のやうな紫陽花が咲く」
(飯田彩乃『リヴァーサイド』より)

「紫陽花の青ふかき花に向かひゐしゆゑにか青き死にを夢みぬ」
(北沢郁子『夢違』より)

「七月の雨をからだに容いれるから紫陽花の藍色は濃くなる」
(尾崎まゆみ『綺麗な指』より)

「あぢさゐの藍(あゐ)のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼」
(佐藤佐太郎『帰潮』より)

「みづからの雨のしたたりにあぢさゐの花は揺るるにおのおのにして」
(岡部文夫『雪天』より)

「家族には告げないことも濃緑(こみどり)のあじさいの葉の固さのごとし」
(吉野裕之『ざわめく卵』より)

「もっともっとさみしくなるとガラス窓にあじさいは頭を押しつけてくる」
(松野広美『二月の兎』より)

「妹をさがしゆく夕 どの貌も妹に似てあぢさゐなりき」
(岡部史『海の琥珀』より)

「夏の野はさきすさびたるあぢさゐの花に心を慰めよとや」
(俊恵法師『林葉集』より)

「飛ぶほたる日かげみえ行く夕暮になほ色まさる庭のあぢさゐ」
(衣笠家良『夫木和歌抄』より)

「宮人の夏のよそひの二藍にかよふもすずしあぢさゐの花」
(加藤千蔭『うけらが花』より)

「夕月夜ほの見えそめしあぢさゐの花もまどかに咲きみちにけり」
(加納諸平『柿園詠草』より)

「なほ生きむわれのいのちの薄き濃き強ひてなげかじあぢさゐのはな」
(斎藤史『魚歌』より)

「紫陽花あぢさゐはほつかり咲いて青むともひとよたやすくほほゑむなかれ」
(今野寿美『若夏記』より)

「どの家も紫陽花ばかりが生き生きと貧しき軒を突き上げて咲く」
(長谷川愛子)

「あじさいにバイロン卿の目の色の宿りはじめる季節と呼ばむ」
(大滝和子)

「あじさいの色づく速さかなしみて吾のかたえに立ちたまえかし」
(大滝和子)

「戸口戸口あぢさゐ満てりふさふさと貧の序列を陽に消さむため」
(浜田到)

「このごろの日暮れおもえば遠天を あじさいいろのふねながれゆく」
(浜田到『架橋』より)

「紫陽花のまだとゝのはぬうてなに、花の紫は色立ちにけり 」
(釈迢空)

「をとめ子は をとめさびせよ。紫陽花の 花のいろひは、さびしけれども」
(釈迢空『近代悲傷集』より)

「家のうち机のうへの紫陽花のうすら青みのつのる真昼日」
(若山牧水)

「紫陽花のその水いろのかなしみの滴るゆふべ蜩(かなかな)のなく」
(若山牧水『別離』より)

「紫陽花の花をぞおもふ藍ふくむ濃きむらさきの花のこひさし」
(若山牧水『黒松』より)

「紫陽花にひねもす眠りゆふまぐれ猫は水色の眸(まなこ)を瞠く」
(小島ゆかり)

「雨に濡れあぢさゐを剪(き)りてゐる女(ひと)の素足にほそく静脈浮けり」
(小島ゆかり)

「影もたぬ妖(あやかし)われは歩み来て雨中に昏きあぢさゐ覗く」
(小島ゆかり)

「ものぐらく花塊(かたま)れるあぢさゐを過りて杳(とほ)し死までの歩み」
(小島ゆかり)

「観る人のまなざし青みあぢさゐのまへうしろなきうすあゐの球(たま)」
(高野公彦)

「天ふかく陽(ひ)の道ありぬあぢさゐの露けき青の花群(はなむら)のうへ」
(高野公彦)

「みづいろのあぢさゐに淡き紅さして雨ふれり雨のかなたの死者よ」
(高野公彦)

「あぢさゐの毬寄り合ひて色づけり鬼(もの)籠(こ)もらする如きしづけさ」
(高野公彦)

「あぢさゐの花の花間(はなま)にやはらかく雨ふりしづむ 夕雨夜雨」
(高野公彦)

「斑らなるひかり散りゐて紫陽花はつめたき熱の嚢とぞなる」
(葛原妙子)

「紫陽花のむらがる窓に重なり大き地球儀の球は冷えゐつ」
(葛原妙子)

「止血鉗子光れる棚の硝子戸にあぢさゐの花の薄き輪郭」
(葛原妙子『葡萄木立』より)

「美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり」
(葛原妙子『葡萄木立』より)

「昼の視力まぶしむしばし 紫陽花の球に白き嬰児ゐる」
(葛原妙子『原牛』より)

■おまけ(その1)

傘ささないと濡れるし、空は暗いし洗濯物は乾かないし、髪の毛ぐりんぐりんだし、カビは生えやすいし、料理や食材は、すぐ傷むし。

それでも、なくてはならない梅雨。

「ハピバスデイ梅雨(ツーユー)」

雨模様に、心が、ジメジメしそうになったら、

「ハピバスデイ梅雨(ツーユー)」

って叫んでみる(^^♪

私もできるだけ、カラッとした心持ちで、梅雨時期を、過ごして行きたいと思います。

もうすぐ、紫陽花の季節だね。

「梅雨に入りしその日駄洒落ハピバスデイ梅雨(ツーユー)と言ふ窓に向かいて」
(菊池孝彦)

■おまけ(その2)

雨のクラシック【Rainy day Classical】

今日のクラシッ句・リターンズ(2015年6月11日)

今日のクラシッ句・リターンズ(2016年6月16日)


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