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心と書いてウラとも読みます。

日本の古語では「心」のことも「うら」と呼んでたんですね。

心はまさに隠されたもの、背後にあって人を動かすものだからなんでしょうね。

人間に心があるように、生きて動き、変化していくものには、自然にせよ、四季にせよ、すべて秘められた心があると言えるのかも。

世界そのものに隠された心があり、裏があると、古代人は考えたのかな?

けれども普通の人間には、世界の心は読みたくても読めないし、その声は聞こえない。

心悲しい、心淋しい、心思い、というときのウラは、意識の内奥、すなわち表に見えない心中の微妙な機微にかかわる音=ことばなんでしょうね。

そうそう、「心ない」と書いて「うらない」と読むそうです。

占いの語源らしいです。

「心(うら)=表に出さない裏の心」

・・・・・・なるほどなぁ。

そう言えば、ゲーテは、「「悪いこと」と呼んでいる事柄は「良いこと」の裏面にすぎない。」と言っていましたが、確かに、物の見方は、視点を変えることで、良くも悪くもどちらにでも傾きます。

同じ出来事を、良い方向から見れるように練習していかないと、ね!

事実は変えられなくても、見方を変えることで、未来のイメージは変わるから(^^)

この点、社会心理学者であるマリリン・ファーガソンも「すべての人は堅くガードされた「心の変化の扉」を持っており、その扉は自分で中からしか開けられない。説得や感情に訴えることによっても、その扉を他人が外から開くことはできない。」と言っており、説得され義務的にすることと、自分から自発的にすることは、全く違う意味を持つため、人からどう言われたかではなく、自分がどうしたいかを考え、自発的にしたくなるような、きっかけになることを見つけてみることを推奨していました、ね。

また、徳冨蘆花は、「欠点は常に裏から見た長所である。」と言っていましたが、同じものを表現する場合でも、言葉を変えるだけで、プラス側の解釈に転換できます。

否定的ではなく肯定的に物事をとらえるように、視点と考え方を変えていかないと、ね!

欠点や失敗は、逆の発想に切り替えて考えれば、長所とチャンスに変えられるから(^^)

最後に、本田宗一郎は、「ありふれたことだが失敗と成功は裏腹になっている。みんな失敗を恐れるから成功のチャンスも少ない。」と言っていましたが、失敗ではなく、成功するための検証作業の一つだと考えて、多くのことを試してみることが大切だと考えています。

そのために、仮説と検証を繰り返していく!

そこからいろんなヒントが見えてくる筈だから(^^)

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