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【個性的な作曲家がいっぱい】聴覚を失った作曲家

視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚などの感覚は、それを失ったときのことを考えると、どれだけ、不便で、困ることか、いや、苦痛に悩まされることか。

想像するだけで、胸が痛むものです。

ましてや、それが、職業に、必要な道具・武器になっているような場合。

画家にとっての視覚。

音楽家にとっての聴覚。

このような病、これはもう、悲惨としかいいようがありません。

そんな状態に陥ったときの彼らは、一体、どんな気持ちで、仕事を考えるのだろうかと、暗い気分になってしまうのですが、それにしても、音楽の世界に、そんな人がいたのだろうかというと、実は、いるのです。

その代表は、ご存じの方も多いと思う、何といっても、あのルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンです。

愛らしいピアノ曲「エリーゼのために」や、

重厚壮大な「英雄」交響曲、

幻想的な「月光」ソナタ、

等で知られる古典派時代の大作曲家です。

耳に異常を感じるようになったのは、26歳頃。

独立し、ウィーンへ出て4年後のことです。

しかし、売出したばかりの彼にとって、それを知られることは、ライバルたちに、足を引っぱられることと同義でした。

知られる前に、治してしまおうと決意した彼は、ひそかに、冷水浴やら、温水浴、強 壮剤、果実油等による、さまざまな治療を試みたそうです。

しかし、結果的には、かえって悪化させてしまい、独自に作らせた補聴管などを使ったりした末に、1815年からは、まったく聴こえなくなった不便さから、筆談帖(相手の言葉を書いてもらい、それを見て口で答える)というのを、持ち歩くことになったのでした。

耳疾の原因については、当時流行していた梅毒によるもの、耳硬化症、内耳疾患、幼い頃のチフスと、その後の胃腸病・肝障害などの合併による等、色々な説があるものの、これといった確証はないそうです。

おそらくは、それらのいくつかの合併症と、ベートーヴェン自身によるいじり過ぎ、無茶な生活等が、拍車をかけたのではないか、と専門家たちには見られているそうです。

しかし、実は、ベートーヴェンの傑作の大半は、この耳が悪くなってからの作曲なのです。

不自由な聴覚と戦いながら、厳しい競争社会を生きぬいた彼の努力を思うと、その不屈さには、頭が下がる思いです。

もう一人は、「モルダウ」という交響詩で親しまれるベドルジヒ・スメタナです。

彼の場合は、50歳のときであるから、ベートーヴェンよりは、ずっと年令をとってから。

既に、オペラ「売られた花嫁」他、いくつかの作品によって国民的な作曲家にはなっていたのですが、「モルダウ」を含む連作交響詩「わが祖国」を書き始めた時期のことで、「モルダウ」は、まったく聞こえない暗黒の中での作曲だったそうです。

以後、そうした状況の中で、オペラを四作も書くのですが、最後は、脳障害を併発して躁暴状態に。

ついには、1884年4月 精神病院に収容されて、そのまゝ回復することなく狂死したそうです。

ドヴォルザークらに先立つ、チェコ国民音楽の先駆者といわれる作曲家でした。

そのほか、歌曲の分野で、独特の個性を発揮したロベルト・フランツも、ベートーヴェンと同じ年頃から異常をきたし、53歳で、聴覚を完全喪失。

J ・シベリウスやM・ファリャも、一時期、あるいは、最晩年に、聴覚を失っています。

こういう作曲家は、よく探すと、他にも、まだいるかもしれません。

なお、以上の人達とは反対に、難聴に悩まされ、あれこれと、転職を重ねているうちに、35歳頃から聴こえるようになり、それから作曲家になったという変り種もいましたね、

フランスのポール・デュパン、その人は、一般には、ほとんど知られていないのではないでしょうか。

オペラ「マルセル」の他、室内楽曲、ピアノーソナタなどを書いたと記録されています。

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