コドモの頃の、胸いっぱいの好奇心♪
『あしたのジョー』と言えば、漫画史上に残る名場面、「燃えた、燃え尽きたぜ、真っ白にな」のエンディングが全てを物語っているのですが、では、「真っ白に燃え尽きる」ってどういうことなのか?
この世に生まれて、「自分のやりたいことが分からない」「好きなことが何もない」というほど淋しいことはないと思います。
逆に言えば、「何か」が見つかった時点で、その人の人生は成功したも同じだし、何もなければ、お金を得ようと、豪邸を建てようと、芯から満たされることはないのではないでしょうか?
そう、負け惜しみではなくて、「何か」の中身はなんでもいいんじゃないかって思っています。
本を読むこと、音楽を聴くこと、映画を観ること、ゲームをすること、歌うこと、絵を描くこと、etc。
好きで好きでたまらないアーティストがいて、その人を追っかけて地球の裏側まで旅するのも一つの生き甲斐だし、どうしても見たい絵があって、その絵を見るためだけに貯金はたいて遠く出掛けていくのも、人生の大きな喜びだと思います。
自分のための「何か」、自分だからこそ出来る「何か」を持っていることって、とても幸せなことですよね(^^)
そのために生きたい、それゆえに生きていける、それほどまでに熱く懸けられる「何か」があれば、妬みや虚しさとはまったく無縁のところで、他人にも世間の価値観にも振り回されることなく、淡々と生きていけるんではないかと思います。
そう「好き」を貫く覚悟はあるかい?
それが、どれだけやりがいに溢れることか、いかに世の中を変える力になるのか、また、どれだけの覚悟が必要であるか。
好きを貫くためには、徹底的に自分の「好き」を見つめ、貫き通すことの大切さもしくは、「けものみち」でたくましく生きることの面白さ、そして、仕事的にも経済的にも自立していくために必要な覚悟が大切です。
「興味はあるけど、必死でやったり、失敗した自分の姿を周りにさらけ出すのがイヤ」という人が増えているのかな、という印象を受けます。
「好きな気持ち」より自分のメンツが大事?とでも言うのでしょうか。
「やるからには、周りがアッと驚くような事をしなければ格好がつかない。何の保証もないところで必死にやるなんてバカらしい。」という感じで、そこから一歩も動こうとしないんですよね。
でもって、目の前にそういう「熱い人(本当は自分がそうなりたい)」が現れると、妬みから敵意を掻き立てられて、重箱の隅をつつくようにして落としたくなる。
そういう傾向もなきにしもあらず、という感じがします。
ところで、『あしたのジョー』の主題歌は、戯曲や詩で有名な寺山修司が作詞したのですが、著書『時速100キロの人生相談』の中で、こんな事を書いています。
「それにしても、きみに限らず、だれもかれもが臆病すぎる。」
カシアス・クレイは、フレイザーと戦う前に、「あなたはどれくらい強いですか」などと手紙を書くだろうか。
「好きな気持ちより自分のメンツが大事」な人は、「あなたはどれくらい強いですか」という手紙をあちこち書きまくっている間に人生を終わってしまうんだろうな、と思います。
何につけても「先は見えている」とポーズを繕って、それがまた「利口の証」と思い込んでいる人は多いですけど、ボクシングに限らず、何でも、実際にやってみないと分からないのではないでしょうか?
最初から無敵のチャンピオンなど皆無だからねぇ。
みんな、恥をかき、失敗し、「それでもやりたい」「どうしたら上手く行く」ってことを考えて、考えて、考え抜いて、今に至るんですよ。
そう、他人を妬んで、悪口言ってるヒマなどないんだぞ、好きなら好きを貫いてみろって感じですね(^^)
「あしたのジョー」でも、ジョーを慕うノリちゃんが、「毎日毎日、薄暗いジムに閉じこもって、縄跳びしたり、サンドバッグを叩いたり、、、。食べたいものも食べず、飲みたいものも飲まず、悲惨だわ」と、ボクシングが全ての生活を送るジョーの青春を嘆きます。
すると、ジョーの答えは・・・・・・「好きだから」、その一言なんです。
まさにそれなんです。
負けてもいい。
何も残らなくてもいい。
まして他人に「スゴイ」と褒められなくてもいい。
「自分が好きだからやる」。
自分の好きなことを貫くのに、それ以外の理由があります?
だから、ジョーは、世界チャンピオンのホセ・メンドゥーサと戦う時も、ホセに「あなたはどれくらい強いですか」なんて手紙を書きません。
ホセが「僕の強さはこれくらいです」と返事をくれて、勝てる見込みがあれば、戦う・・・・・・そんなの、インチキでしょう。
ジョーは、ただ好きだからリングに上がるし、負けたからといって、彼自身の価値がまったく失われるわけでもない。
負けたら負けたなりに、次の勝ちを目指すだけで、終わりもなければ、沈むこともないんですよね。
ただ、淡々と、自分の人生を好きなことに懸ける日々が続いていくだけなのです。
だから、彼の完全燃焼した人生には、燃えかすなんか残らないし、トロフィーも戦利品も何の意味もありません。
ただ、「燃えた、燃え尽きたよ、真っ白にな」という、身体の芯から満たされるような充実感があって、それが天国まで持っていける唯一の幸せなんじゃないでしょうか。
好きな気持ちや興味のあることがあるなら、結果や周りの目を恐れずにやったらいいと思います。
「あなたはどれくらい強いですか」という手紙を書きまくるうちに終わる人生なんて、一度もリングに上がることなく引退した練習生と同じですよね。
負けてもいいから、本気で闘った経験がある人だけが、「俺はボクサーだ」って、胸を張って言えるんじゃありません?
そう、毎日が、100倍楽しく!
本気で闘ってみませんか?(^^)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?