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人と比べて落ち込むときは

なかなか抜け出せない考え方のクセの一つ、それは、人と比べて落ち込むこと。

例えば、このような思いを持ってしまった時・・・・・・

「・・・・・・自分ひとりの時はすごく穏やかな心でいられますが、例えば自分がコンプレックスを感じるような同性が近くにいたりすると、自分がその才能や性格を持っていないことに落ち込んだり、その人に対してマイナスの感情を持ってしまいます。人と比べても仕方がないし、自分は自分で、いいところも悪いところもあるのだと頭では分かっているのですが。常に勝ちたいと思っているからなのでしょうか・・・・・・・?」

こうした気持ちに共感する方は多いはず。

そもそも自分を誰かと比較して、落ち込んだ経験がまったくない人なんて、いないのではないでしょうか。

比べること、比べられることはあまりに日常的で、自然にやっていることのひとつになっています。

なので、比べなくてもいいとわかっているのに比べている自分がいるときは、逆にその自分を認めてみるのもひとつかもしれません。

あ、また人と比べているな、私、と見つめてみることで、ちょっとだけ客観的になれます。

そこで、比べてもしょうがないのに、と落ち込む代わりに、比べて私は何をしようとしているんだっけ?と思い出してみます。

何かやるからには、必ず目的があるはずです。

だから、人と比べるからには、その比べてみることによって「得ている感情や気持ち」があるのです。

その目的を探ってみましょう。

たとえば、比べて落ち込みたい、とか。

人には、落ち込みたいときがあって、そうしたときは意識的に、または無意識に、自分が落ち込みそうなものを見たり、聞いたり、します。

落ち込んで得られるものといえば自己嫌悪とか自分が小さく見えることなので、自分が大したことない、と証明したいのかも。

証明したい、というと変ですが、人は自分が持っている考えが正しいと証明したいのです。

だから、たとえば自分に対するセルフイメージがマイナスなものだと、無意識にそれを証明してみせようとそのイメージに沿った言動・行動をするようになります。

自分の考えていることが現実になる、だから自分の意識から始めよう、というのはそういう意味なのです。

それから、常に勝ちたいと思っているからなのかも、という点。

もちろん負けるより勝つほうが気分はいいですが、じゃあ、勝ちたい理由は、勝って得ようとしているもの(感情など)は何でしょう。

表面の何かしたいということだけでなく、その目的がわかったら、その目的を達成する手立てはもっとほかにもあるかもしれない、と可能性を広げることができます。

でも、その理由や目的をはっきりさせずに「勝ちたい」だといつしか「勝つ」ことが目的に摩り替わって、一体何のためにやっているんだろう?となってしまいます。

勝って手に入れたい気持ちとは、勝ったら自分が大事な存在だと自分でわかる、とか、勝って認められたい、とか、もしかしたらそういうものなのかも。

自分が大事な存在だと知るには、勝つことだけじゃないですし、認められるのも別に勝つことでしか得られないものでもありません。

比べている自分がいたら、一度それを認めて、自分の中にあるその目的を一度洗ってみてはどうでしょう。

その上で、別に誰かと比べてなくてもいいんだよね、ともう一度自分に声をかけてあげればいいのです。

どちらにしても、社会に「比べる」構造がある以上、これからも比べられるし、自分で誰かと比べることもあるでしょう。

そのときに、落ち込まない仕組み、または、落ち込んでもすぐ元に戻す仕組みを持っていればいいだけです。

落ち込んだときは空を見上げて、大きく深呼吸。 

あとすこしだけ、頑張ろう。

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