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ゲーム機を買ってもらえず育った子供の末路【幼少期〜振り返り】


私の母は物心のついた幼い私にこう言った。


「子供にゲーム機を与えずに育てたらどう育つんか、あんたで実験することに決めたんよ。じゃけえウチはゲーム機は一生買いません。」

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それから小学生になり、歳を重ねるごとに友達との遊びの中にDSやPSPなどのゲーム機が登場する機会は増えるばかりだった。


結論を言う。


たくさんの友達から交代でゲーム機を貸してもらい続けて、私は何不自由なくゲームをみんなと同じだけ楽しんで育つことに成功した。


そして、それと比例して、母が私の一生をかけて検証したかったであろうその実験はあっけなく幕を閉じた。


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中学生にもなると、私以外の友達はみんな当たり前にDSを持っていた。公園や誰かの家に大勢で集まってDSでできるマリオカートやらなんやらで日が暮れるまで対戦するのがお決まりだった。


誰かが言い出したのか、何かきっかけがあったのか、記憶にないが、私の手元にはいつも誰かのDSがあった。

いつの間にか、その日の最初にマリオカートでドベ(最下位)になった子が私に自分のDSを渡してくれて、次にドベになった子が手元にDSがない子に自分のDSを渡して…と永遠にそんなやり取りが当たり前になっていた。

私がその場にいるとみんな自分のDSを使えないのにも関わらず、誰も何も言わずただ当たり前にそういう暗黙のルールが出来ていた。

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たまごっちが流行った時は、色んな友達がたまごっちを貸してくれた。丸1日私にたまごっちを貸してくれた優しい子もいたが、たまごっちの育て方もルールも何も知らない私は、その1日でその子のたまごっちをお墓行きにしてしまった。(たまごっちの中で順調に育っていたキャラクターを死なせてしまい初期化のような感じでゲームオーバーになっていた)その子は何日もかけて大切にたまごっちを育てていたらしく、とてもショックを受けていた。

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思い返す度、本当に環境と友達に恵まれていたなと思う。とてもいい思い出だ。

そんなわけで私は、ゲームと引き換えに優しい友達の存在に気付けたのだった。


もしかすると、これが母のしたかった実験だったのだろうか…

たまに思い返してそんな風に思ったりする。

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余談

ゲーム機がない家でどんな一人遊びをして育ったかと言いますと

折り紙…小4の時に折り鶴にハマりすぎて憑りつかれたように折り鶴を折り続けてたな…授業中も、休憩時間も、放課後も。しかも折り紙を節約したくて1枚の折り紙を4等分してミニチュアバージョンで一心不乱に折ってたな。クラスのみんなの冷ややかな視線が忘れられない。そしてある日突然我に返って今まで折った折り鶴を全部捨てたな…ごめんなさい折り鶴さん…。

あやとり…親からしたらさ、毛糸だけ与えておけば黙々とあやとりし始めるんだから、コスパ最高な娘だよね。我ながらコスパ良すぎるだろ。因みに「毛糸と向き合って私何してるんだろう…」って心境になった回数は数え切れない。

お絵描き…これもさ、紙とそれなりのペンと色鉛筆与えておけば黙々と絵を描き続けてくれるんだから、コスパ最高だよね。私いい子。お陰で美術の評価いつも5(5段階中)だったよ。

オセロ、花札、トランプ…これさ、私ひとりっ子だから休日とか家族3人で楽しんでたんだけど。親が相手してくれない時とか1人2役でやってたからね。凄いつまんないよ、当たり前だけど。お陰で少しばかりの妄想癖がついたよ。ありがとう。

人生のすべてに意味があるんだよ、ってどこかの誰かが言うでしょ。

そうだといいなあ。


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