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我慢は毒

我慢は身体に毒という言葉がある。
またまたゼミの先生のエピソードになるけど、バイト先の嫌な人についての話題になった時だった。
先生曰く我慢は罪悪だ。俺は人生で1秒たりとも我慢した事は無い。嫌な職場だったらすぐ辞める。
みんなも我慢は美徳だとか思わない方がいい。我慢したって碌な事が無い。との事だった。

我慢を続けていると、自分の感じた不快感を無視する事が普通になって来る。
どんどん身体のセンサーが鈍って来て、危険が察知出来ずにブラック企業を選んでしまったり詐欺にあったりする。
不快や痛みに蓋をするのが日常になると、いつかそれが大きな病気になって発覚が遅れる。
また、自分がこんなに我慢しているのに、他人が楽しそうに仕事しているのは許せないという心理状態になって、他人にも我慢を強いるようになる。そんなに嫌なら辞めたらいいのにと周りから思われてるのに絶対辞めない。そんな嫌われ者になる。

という話だったと思う。
自分さえ我慢すれば、というのは一見良い人みたいだけど、我慢し続けた結果が大病とか嫌われ者だなんて最悪だ。

私のおじいちゃんも嫌われてはないが、優しい良い人と言われていて早くに亡くなった。
裏を返せば我慢しがちな性格で、病気が発覚した時には手遅れだったそうだ。

「いい人」は病みがちな割に得るものが少ない。
なんで自分ばっかりと辛くなるし、周りの人も別に頼んでない。
ただ良い点を考えるなら、頭が良い人なのだと思う。その頭の使い方を変えたら良い。

頭の使い方で思い出したけど、昔工場のライン作業のバイトをした事がある。
頭を使わず黙々と手を動かすって楽しいんじゃないかなと思ってやってみたら、単純作業過ぎておかしくなりそうだった。
誇張でなく、5分が1時間に感じる無限地獄だった。
ロボットなら何時間も同じ単純作業をしても、何も考えないから辛くない。人間は考えてしまうのに、機械のような事をさせたら発狂してしまう。
しかも、人間よりロボットの方が大事にされる奇妙な世界だった。
あの時は、人間の仕事が無くなってでも全てロボット化すべきだと思った。

話し相手がいれば違っていたのかも知れないし、私の友人にも工場のライン作業の方が好きだという人がいるので、工場で働く人を否定するつもりはない。
人それぞれ自分に合った頭の使い方が出来る仕事を選ばないと、頭が空回りして病んでしまうなと思った。

我慢する人は、我慢した分その先に何か良い見返りが待っていると期待して我慢する。
何か良い事があっても、苦労していないと不安になる。
努力や根性が、必ず不快感とセットになる訳じゃない。
しんどければしんどいほど、正しい道を歩んでいると思い込むのは危険だ。

不快がベースになると選択を間違える。しなくていい苦労をしたり、明らかに怪しい人を選んでしまう。
前に気持ち良さについて書いたけど、生き物は穏やかな快感をベースにしておいた方がいい。
修行の道も本当は楽しいはずなのだ。
病気したり、何かネガティブを感じたなら、何か身体が伝えようとしている。周りに気を遣ってその感覚に蓋をするというのは、周りも別に望んでない。そういう身体の信号をひとつひとつ拾って頭を使って読み解く。
我慢を感じたら我慢をなくす方向に調整し続ける。

主に仕事と我慢について書いたけど、お金と仕事とかについてもまた別の記事に分けて書こうかなと思う。


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