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相談と理解と寄り添う


相談する意味が分からなくなってしまった

小学1年の2学期から、登校渋りがスタートしましたが、
遅刻しながらも、
学校へ行けば、それなりに楽しむ様子も。

2年生になると、後輩のダウン症の子が入学したこともあってか、
その子が学校で待ってるよと伝えると、
その言葉がキッカケで登校したり。

登校出来て一安心…と思ってました。

それに加えて、
週3回の児童デイサービスも通えてて、
帰宅後も元気いっぱいな様子を見せることが多かったし。

4年生になると、
徐々に登校しぶりがきつくなって、
全身で拒否(車から降車拒否)したりして。

それより前からなのか、
それがキッカケでなのか、分からないけど、
支援学校内にある相談へ。

その頃の自分は、
登校できるようになるのが大事だという価値観でしたが、
話を聞きながら、モヤモヤする感情がありました。
(そんなこと言ったって、現状が嫌がってるのに…とか(;^_^A)

登校できるよう、いろいろアドバイスしてくださったのだけど、
●●してみましょう~…などの提案は、
今の次女ちゃんを変えよう(=今の状態はダメ)という発言が多かった。

それ以外に、
先輩ママから教えてもらった、
総合教育センター内の教育相談に足を運んでみた。

次女ちゃんの困ってること以外に、
通ってる地域の学校(支援学級)の問題点とかも
(担任がよく怒鳴る先生で、怖がってた)
お話したりしたのだけど、
先輩ママの話とは反対で、
特に通ってる学校の様子が変わることもなくて。

児童デイサービスの方たちとか、
友人・知人に機会があれば、悩みを伝えたものの、
変化がなくって。


なんとかしたくて

複数人のヒーラーさんとかのカウンセリングを受けたりもしたけどね、
変わらなかった次女ちゃん(爆)。

相談って、いったい何なんだろう?って思い始めちゃった。

これは私も含めてだけど、
各々の立場(職業や経験)を通して、
その物事を見聞きするから、
みんな、それぞれの意見であって、
答えが一つじゃなかった。

そして、私は混乱しまくったww。


最終的に

次女ちゃん自身、
言葉を使って、自分のことを伝えるのは、
すごく難しくって、
長女のように、お互いを理解するための会話ができない。

なので、様子を見ながら、
それでも、
これが次女ちゃんにとって、
望んでることなのか、
それとも違うことを望んでいるのか、
皆無に等しく、
どれが正しいのか、
これが間違ってるのかさえも、分からない状態でした。

相談を通して、
いろんな方の話を聞いて、
自分がどうしたいか…しかないのかと感じ、
結局、相談って何だろう?って疑問だけが残っちゃった。


孤独感が連なっていく

次女ちゃんが不登校で、
ずっと在宅してると、
家から出られない状態だと私自身も思ってた。

けど、近くなら、
1-2時間くらいの外出はできると気づき、
そのことを伝えても、
以前のように、ランチとかカフェに誘われることはなくなった。

私、実は好かれてはいなかったのかな...(~_~;)。


わが家の状況は、身内ですら、言葉に詰まるようだ。
とどのつまり、
頑張ってね...と最後によく言われた。

私、すごく頑張ってるのだけど、
これ以上頑張れないって、ココロの中がザワついた。

人は何か悩みを打ち明けられたら、
アドバイスしてあげたいと思うのだろうなぁ。

話をしても、
相談した人が重く感じるなら、
話をするのは嫌だなと思って、
どんどん孤独感が増していった。

ただ、話を聴いてほしかっただけ。

寄り添ってほしかっただけ。

ココロに溜まってる辛い思いを表現するだけで、
ぐんと楽になるんだな…と思った。



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