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不登校だった頃が懐かしい

最近読んだ本。

目次(一部)


1章 子どもがのびのびと育つためにできること
・子どもは雑談したがっている
・子どもに提案するときはひと呼吸置く
・子どもは親の笑顔が好き

2章 子どものSOSをキャッチするためにできること
・代表的な5つのSOS
・子どもに率直に聞いて大丈夫
・数日休むと学校に行きたくなる

3章 子どもが学校に行かないときにできること
・「なんで学校へ行けないの?」はNGワード
・勉強はいつでもできると開き直る
・子どもの社会性は家庭で育つ

4章 子どもの将来のためにできること
・不登校経験者の85パーセントは進学する
・弁護士からタレントまでさまざまな職業に


子どものSOSに気づくことができますか?…

親の希望やらエゴや恐れなんかが、
先に出ちゃうだろうからなぁ、
すんなり受け入れる方もいらっしゃるとは思うけど、
なかなか...って方が大半なのかしらねぇ。

わが家の場合、
登校渋りが始まったのは、次女ちゃんが先。

ただ生まれ持った体質(まぁ障がいともいう)のため、
会話のキャッチボールが難しく、
本人も言葉を使ったコミュニケーションがあまりできない。

しかも心の内を語るなんて、
なんとハードルの高いことか。

そういうわけで、
どうなんだろう?どうなんだろう?と思い始めてはいつつも、
徐々に不明瞭な言葉が聴こえるようになり、

2年生の時「●◆×…怒られた」
↑ また何か叱られるようなことしたの?...と思ってた。

3年生の時
「〇〇くん、●◆×…怒られてた」
↑ 確かに怒鳴られてるとこを目撃すること多いし。

4年生の時
「〇〇くん、怒られてた~(号泣)」
↑ 次女が怒られることは余りないようだけど、
 しょっちゅうクラスの子が怒られてるのを見聞きするのって、
 ツライよね…。

よく怒られる子がよく怒る担任と、
キャンプ参加で4日間不在で、
その間、久しぶりに楽しそうに学校生活を送る様子が見られたのですが、
週明けの登校時、
次女ちゃんはまだキャンプだと思ってて、
教室入るなり、
正面奥に担任の姿を見て、
バックギアが入り、
廊下で座り込んで指しゃぶり(不安で)。

それが次女ちゃんの気持ちがハッキリと表現された…
というより、
ようやく私が気づけたというのかね...。

強引に引っ張って、
登校させようとしたこともあったのは、
本当に良くなかったなぁと、のちに反省したり。

次女に続いて、長女が不登校

そんなこともあって、
長女とはコミュニケーションが取れるから、
本人の気持ちはすごくキャッチしやすかった。

ただ、不登校をしたことのない母(私)は、
登校することがベストであるという選択肢(価値観)しかなく、
正義感を振り回したこともあったね( ̄▽ ̄;)。


ほかのみんなと一緒に学ぶことができない恐れだったり、
勉強が遅れるという恐れだったり、
周りの目を気になったりの不安だったり、
結局、子どもの為と称して、親自身の恐れや不安・希望の押し付け。

長女は1歳くらいから、
自分の気持ちを表現する子だったし、
感のいい子だったし、
(子供だましの通じない子で真実を見通すという感じ)

言葉のやり取りから、
どうしてそう思うの?…とか、
それは母さんの経験であって、私とは違うのでは?...とか、
本心を突く鋭い言葉が返ってきたり。

中3の時に、高校自体に興味がないから行かないと言い出した時、
本人の気持ちを重視しようと思っていたつもりだったけど、
受験という期限が迫るにつれて、
やっぱり高校だけは行ってほしいという願いが、
奥の方に追いやられていた願いが、
ムクムクと強く出てきて、

この時間は今しかないと思い、
その気持ちを長女に伝えた。

高校卒業の資格がないと、
就職するのが大変だと、私の弟の話もしつつ、
高校の卒業資格は取っておいた方がいいのでは?...と。

こうなるから…など、先に先に言うことに対して、
長女がこれから体験することに対して、
『その体験を取らないで…』と。

そして、
『私のことが信じられないの?』と大手。

ガッツリ迫られた感いっぱい(~_~;)、
まさに真髄をえぐられたような感じで、
言葉を失いました。

信じられない...なんて言えない。

信頼してると偽りなく即答できない自分はいたけど、
信じてやりたい…という気持ちは存在してたので、
信じてるよ...と。

デモクラティックスクールとの出会い

中学2年の2学期の途中から、完全な不登校になった長女。
(放課後に担任と話をする、部活だけ参加の後)

ある方から、ある親子の存在を教えてもらいました。
↓↓↓
オヤトコ発信所 – 小・中・高校に通わずに大学へ行った話と、これからの「学び」の話 (ai-am.net)



デモクラティックスクールのことを長女は調べていて、
一宮市にあるまんじぇの説明会に参加。

まんじぇに行き始めた頃、
よっぴー&まりんちゃんの講演会がたまたま名古屋であり、
私と長女で参加し、
私の価値観の変化もさらに進みました。
(書籍も読ませてもらいました)


まんじぇは通うのが大変だったし、
自分より年上の生徒が居なかったこと、
ほかにやりたいことなどの理由で、
短い期間でしたが、まんじぇでお世話になりました

その後は、ホームスクーリングに興味を持ち、
今も自宅で、
気になる学びがあると、オンライン参加したり、
絵を描くことや、読書したり、
編み物したり、
今は定価になるのを待ってようやく手に入れた、
任天堂switchのどうぶつの森に夢中のようだ。

わが家はこんな感じ。

凄く共感した部分


上記の本は、
そうそう、そうだったなぁとか、
そういう風にしてたなぁとか、
不登校時代を懐かしく感じてた。

私の傷ついた部分を癒してくれた言葉がありました。

学校へ行かないと、人間関係の学びができないと、
学校の先生だけでなく、
親や周囲の人たちの意見を耳にすることがあって、
その度に、私はダメな親なんだなぁと、
自分に対して、ダメ親烙印を繰り返し、押してた。

この本には、社会性のベースは家庭であると書かれていて、
学校生活の中で、
あの子に物を言うと、仕返しが怖いから、
何も言わないでおこうみたいな忖度がある学校生活では、
社会性は育たないと。
(教育・保育学が専門の東京大学名誉教授・汐見稔幸氏との対談より)

もう、すごくスッキリしましたよ、有難いことに。

N高を創設した角川ドワンゴ学園理事の川上量生氏との対談で、
N高を創った話が、すごく面白くて、
それなら、楽しい学校生活を送れそうだわと思った。

長女もびっくり

そうそう、長女も納得してたのが、
学校へ行きたくない症状の一つに、不眠ってのがあった。

小学5・6年時は、眠れない眠れないと毎日。

ここ一年位で聞いた話。
実は小学校へ入って間もないころから、
学校へ行きたくないって思ってたと。
休む理由を探したりしてたともww。
(何度か仮病を試みたと😅)

そうそうもう一つ思い出したのが、
デモクラティックスクールの説明会で、
いじめで不登校になったわけではなく、
学校へ行かないキッカケが欲しかったみたいなことを言ってたなぁ。

帰宅して、確認したら、
いじめが無くても、
そのあと、学校へ行けなくなってただろう…とな。

今の学校制度が
ツマラナイ?合わない?ってことかな。

デモクラティックスクールみたいな学び方とか、デンマークみたいな異年齢の学び方がいいらしい。


子どもを見守る

今の私でもっても、
残念ながら、
安心して子どもを見守るってことが、100%ではない( ̄▽ ̄;)。

時々、このままでいいのだろうか?と
不安を作り出しちゃったりしてしまうのだけど、
その度に、娘に言われた言葉を思い出し、
リセットしてる。

もっと大きな器の母になりたいものです。

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