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 周囲に生かされている

 人間は一人では生きていけない。衣食住、どれをとってもさまざまな人の仕事により提供されている。間接的にいろいろな人間の影響を受けて、私たちは生きている。

 性善説と性悪説の相反する考えがある。私は性善説を信じたい。仕事に善意がこもっていなくても、その仕事によって助かっている人がいるなら、その行いは善行であるはずだ。人を騙すような悪意のある仕事もないわけではない。それでも、人を直接的でも間接的でも助ける仕事をしていると信じている。

 だが、その恩恵を享受できていることに、日ごろから感謝している人は少ないだろう。ふと、何かをきっかけに思い出して、目に見えない多くの人たちに感謝する。今の私がそうだ。

 今の私は、卒業研究が上手くいっていない。実験に参加してもらう被験者募集が難航している。こういう時に、頼れる友人が少ないのが私の弱点だ。どうしても人数がたりなかったので、長らくあっていない友人に声をかけた。

 人を遊びに誘うのはいいが、遊びに誘われるのは苦手だ。相手に誘われたときに、いの一番に時間がどれだけ拘束されるかを考える。自分が自由に過ごせる時間を大切にしているので、必要以上に人と会いたくない。
 そんな人間性なので、環境が変わると人と関わらなくなってしまう。それでも、案外気まぐれに連絡を取ってみると、仲良く話せたりするものだ。今回のお願いも、全員が良い返事をくれた。

 正直、よく助けてくれるなと思う。私が彼らに返せるものなどないのに、彼らは私を助けてくれる。感謝しかない。そして、それに報いてあげられることが見つからないのが辛いところだ。

 せめて、人に優しくしてもらえただけ、他人に対して優しくなれるようになりたい。

 

 

 

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