アイデアを生み出すセンサーの話
ゲーム開発の現場では「アイデア」という言葉が良く使われます。
楽しさや面白さを作るお仕事なので、いろんなところにアイデアが必要となる、ということは想像にたやすいとは思うのですが
「アイデア」を出すことが得意、不得意が人によって大きく差があるなぁと感じていたんですね。
ただ、その違いがどこにあるのか?については推察出来ずにいました。
で、最近ふと、点と点が合致した気がしたのでnoteにしたためておこうと書き始めたくらいのライトな記事なので興味のある方は気楽にどうぞ。
アイデアって何なのさ
「アイデア」といっても抽象的だと思うので、少しだけ具体的にしておくならば、ゲームの企画やゲームを作っていくうえで、構成される1つ1つの要素くらいのものとしておきます。
アクションゲームでいえば、レベルデザイン(地形の設計や)やギミックの発案などとしましょう。
スマホゲームでいえば、イベントの立案やバランス設計みたいなものでもよいでしょう。
ここの定義は今回の話であまり関係ないのでさらっと上記くらいのイメージを持っていただくとして
結論的には
多くの知識量と経験値を有していることが一番重要な要素と言ってしまえばそれで終わってしまうのですが、それは前提にしつつ
では、その知識と経験値を得られる状態や点と点をつなぎ合わせアイデアとして醸成するために必要な重要な1つの要素であると感じた
「センサー」の話というのをしてみたいと思います。
書籍「夢を叶えるために脳はある
「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす」
を読みまして
※記事の最後に書籍は紹介してます
たくさん語りたいことはあるのですが何ぶん分厚い本で、興味深い内容だったので、小出しに別で本書をテーマに記事を書くかもしれませんが。
今回はそのなかでも、新たな気づきを得た「センサー」の話がテーマです。
書籍の中にネズミのセンサー実験のお話
※ざっくり記憶してる内容で書いてるので間違えてたらスミマセン。
結論からいうと
ネズミの頭に方角を感知するセンサーを取り付け、脳に電気信号として情報を送ることで、ネズミが方角の能力を得るというものです。
すごい実験ですよね。脳にセンサーを取り付けて電極で信号を送るなんてことできちゃうんですよね。
この実験は、脳が新たな情報をどのように受け取り、適応するかを示すもので、脳の可塑性(脳の構造や機能が経験や環境の変化に応じて変化する能力)の一例ということらしいです。
難しいですよね、噛み砕いて説明していきます。
少し話はそれますがこれって私たち人間(だけでなく動物たちもそうですが)でも同様のことが言えるんですよね。
人間の成長過程でも行われているんです。
脳は電気信号を解釈している
赤ちゃんって、最初は本当に何も知らない分からない状態(表現として語弊あるかもですがニュアンスで)で、知覚する脳や身体がまっさらな状態で、後に視覚情報や筋肉の動きなどを体得していき、脳がそれを学習することで自分自身を認識していくんですよね。
これは、感覚器官から入ってくる情報を脳が処理し、それを学習していくプロセスであり、これによって、自分の体や周囲の環境を理解し、適切に反応することができるようになるわけです。
当たり前のように思っていますが、自分の手も足も身体も自分と思い込んでいるだけなのですよね。
身体は自分以外の何ものでもないわけですが、脳が学習した結果自分のものとして使えるようになった自分だと認識するモノ、みたいなイメージが正しい理解でしょうか。
このプロセスを詳しく見てみると、外部から入ってくる情報をキャッチし、それを処理しているのは脳です。
センサーは、ただの電気刺激や反応を脳に送っているだけであり、言わばハードウェアに過ぎません。
そう、ネズミが実験で方向のハードウェアをくっつけたら、脳が順応して学習できたことと同じなんですよね。
そこで感じた
気づきポイント:ソフトウェアセンサー
脳がその情報を効率よく学習するためには、情報の受け取り方や処理方法、すなわち、受容するための考え方である、ソフトウェアセンサー(勝手にそう呼びました)も重要なのでは?と考えたんです。
ソフトウェアセンサーとは、何を感じ取るか、その情報をどのように考えて処理するかという考え方や能力を指すとしておきます。
例えば、同じ情報を受け取っても、ある人はそれを効率よく学ぶ準備ができている一方で、別の人はそうではないかもしれません。
これは、ハードウェアというよりは、脳側の思考訓練によって制御出来る範囲のソフトウェアセンサーの有無やその成熟度の違いに起因するのではと考えたわけです。
書籍を通じて改めて感じたのは私たちの脳の学習能力というのは刺激による脳の学習であり、知覚の信号とレスポンスがあれば、脳はただ情報を受け取るだけではなく、それを効果的に処理し、自分の一部として統合する能力を持ってるわけです。
ただの信号を、方向感覚として捉えたり、あるいは目から入る視覚情報の電気信号をビジュアルとして再生したり、変換して適応してくれているわけですよね、本当にすごい。
当たり前になりすぎていて、この仕組みを実感することすら難しいのですが。
電気信号としてインプット出来る機能があれば、人間(動物も)は脳が適応し、感覚器として取り込むことが出来るということ。
現実的にはまだそこまで身体を拡張する機能は実現してないですが、割と早くに実現する未来は来ているのかもしれません。
脳に電極指すみたいなレベル感でなくとも、感覚として脳に学習させられる刺激を身体的に実装可能なものであれば近いうちに何か実現出来るのかもしれません。
いや、すでにスマホがそうなのかもしれませんね。。(私達はスマホのアテンションに反応し動いている…とかとか
話が脱線してしまいましたが、ソフトウェアセンサーというのは
電気刺激をハードウェア的に拡張するということではなくとも
ソフトウェアセンサー、「考え方」を意識し、自分が日々生きていく中でいかに受動について能動的なセンサーを働かせているか、感受性を豊かに準備出来ているか、が学習の鍵なのかなと考えました。
冒頭の話に戻りますが、良いアイデアを出すことが出来る出来ないの差というのはこのソフトウェアセンサーの差というのが割と大きな影響を及ぼしているのではないかと。
センサーが学習、脳の最適化にとって非常に大事なことであるこということは、いかにソフトウェア的にも感覚を受動出来ているかが学習のキモだということ、だと。
結論に入ります
残念ながら、じゃ、どういうアクションを取ればよいのか?
までは解に到達できませんでしたが、、
少なくとも
1.センサーが働かない生活習慣になっていないかどうか。
要は、外界に対して問いが働かない、脳が慣れっこになるような生活をおくるだけになっていないか。
2.センサーのことを考えられているか。
どうやって外界の刺激に対して、受容しようとしているのかを事前に考え、それを使える、キャッチできる訓練が出来ているのか。
1が脳がセンサーを感じにくい生活をしていないか。
2が自らセンサーを作り出して受容する訓練をしているかどうか。
最低限この2つは意識して生活することが
アイデアを出せる人、出せない人を分けている重要な要素な気がしています。
そしてこれは、一朝一夕で出来ることではない、故に長年かけて差がどんどん開いていきます。
少なくともクリエイティブなお仕事をしている方々は重要な考え方なのではないかと感じた次第です。
まとめると
外界からの刺激に対して感受性を高める、ありとあらゆるモノに対して興味を持とう!ということに対して真面目に取り組もう!ということ
です。
割と言ってることは普通。。
あとがき
人生ウン十年と活きてくると保守的にもなるし、新しい体験や刺激というものを感じること自体も少なくなるし、多くのことが今まで経験したことの組み合わせやパターンとして処理しがちになり、歳をとることでセンサーが弱ってくるんですよね。
だからといって、二十歳前後の感受性を持って今を生きることが出来るかと言うとそれは不可逆で‥刺激として強いものを摂取しようにもそんな起伏の激しい生活は現実的ではなく。
エネルギーの消費を抑えようとするのが脳なので歳を取るイコール、それは当然ではあるのですが。
なのでソフトウェアセンサーをいかに研ぎ澄ませ、感受性を高めて日々を生きることが出来るかの技術の大事さを感じるのでした。
若かりし頃の感覚は宝物。
きっと歳を重ねると分かるようになるので若い方がもし読んでくださっていたら、今を存分に堪能してくださいね!
では、この記事を書くきっかけとなった書籍、改めて紹介しておきます。
池谷裕二さん著
ちょっと難しい話も出てきますが、それでも分かりやすく書いてくださっている脳科学の本。めちゃくちゃ面白いのでぜひ。めちゃ分厚いですが!
この書籍は著者の集大成と言えるような書籍ですが、初期に書かれた「進化しすぎた脳」も今読んでも十分面白いので脳科学初心者の方はそちらから読むのもオススメです。
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