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東大生が思い付きでひとりヒッチハイクしてみた話。1/2


8月上旬、ひとりヒッチハイクに行ってきた。

出発地は東京、目的地は大阪。
旅行したいが費用がなかったこと、普段出会えないような人に話を聴いてみたかったことから、ヒッチハイクをしようと思い至った。

東京⇒大阪間のおよそ500km、36時間に及ぶ旅の間に、8組の方々にお世話になった。
当初の目的にたがわず、おそらく普通に過ごしていては出会えなかったであろう方々とお話する機会を得られたので、特に印象的だったこと、考えたことをここに残しておきたい。


⓪ 自宅⇒用賀


スタート地点は『ヒッチハイクの聖地』と呼ばれる用賀IC。
ここでスケッチブックを掲げ、大阪への第一歩を踏み出すはずの僕は、白い看板を探して見知らぬ町をさまよっていた。


僕の家は、用賀から電車で40分ほど離れた場所にある。朝9時頃、意気揚々と家を出た僕は、景気付けにと入った牛丼屋で、ある異変に気付く。

――スマホがネットに繋がらない。

どうやら料金未払いでスマホの回線を止められたらしい。失態。
なぜにこのタイミングで…と震える手で牛丼を完食し、「まあフリーwifiとか使えば何とかなるだろ」と気を取り直して用賀まで電車移動。

念のため、まさかこの時代に使うことになるとは思ってもみなかった公衆電話でドコモに問い合わせると、ドコモショップでの現金払いで即復旧できるとのこと。
やはり普段通りにネットが使えた方が便利。ましてや初めてのヒッチハイク、余計な不安要素はなるべく取り除きたいところ。
よっしゃドコモショップ行こう!場所どこや!……と思いGoogleを開こうとするも、画面に映るは無情にも「接続できません」の文字のみ。繋がんないの完全に忘れてた。
マックの店員さんや道行く方にドコモショップのありかを尋ね、無事到着。
ネット社会への復帰を遂げた。

人の優しさを実感し、ヒッチハイク開始前から僕の目頭ダムは決壊寸前である。


① 用賀IC(東京)⇒厚木IC(神奈川)


スマホも復旧したところで、いよいよスケッチブックを持って路肩に立つ。
用賀ICの入り口に繋がる道路は環状八号線と交差しており、ほとんどの車がそこから曲がって入ってくる。交差点から入り口までは比較的距離が短く車を停めにくそうだったので、環状八号線沿いでスケッチブックを掲げることにした。

比較的よく運転手の方と目は合うのだが、やはりほとんどの場合、スッと視線を外され無表情で通り過ぎていってしまう。
それでも100台に1人くらいは「ごめん」という顔で会釈してくれて、気持ちだけでもとても嬉しい。「有難うございます」と口を動かすが、伝わっていただろうか。

立ち続けることおよそ15分、目の前で停止する1台の車。静かに窓が開くと、中にはワイシャツを涼しげに着こなすサングラスのおじ様。「乗っていくかい?」とさわやかな笑顔に、夏の陽ざしを照り返す車がつやつやの白馬に見えた。

御年49ながら、建設系ベンチャー企業でエネルギッシュに働かれている方で、「自分の人生を振り返って、なかなか良くやった方だと思う」と胸を張る姿が印象的だった。
学歴とか年収とか、定量的な「一般的に分かりやすい」指標は数あれど、それらは人生の本質ではない。人生は自分で最後に良かったと言えたもん勝ちだ。尊敬。
やりたいことをやり、仕事を楽しいと思えていることが、あふれ出るエネルギーの源泉にあるのだと思う。

大学の話、仕事の話、私生活の話など、話し込んでいるうちに海老名PAを通り過ぎてしまい、厚木ICで高速を下りたところで降ろしていただくことに。
働くことがいっそう楽しみになった1時間だった。


② 厚木IC(神奈川)⇒愛鷹PA(静岡)


1時間半ほどいたずらに肌を焼き続けたのち、静岡から厚木に遊びに来ていたという方に拾っていただく。
朝家を出てふと「今日仕事休むか!」と思い立ち、急遽息を抜くことにしたというツワモノ。リフレッシュして心が菩薩になってなかったら乗せてなかったかもねと笑う姿に頬が緩む。


ヒッチハイクの醍醐味の1つは、出発地と目的地の間の行程が偶然に満ちていることだと言われる。
今回のケースも、多くの偶然が重なった結果だ。
運命だとか一期一会という言葉で片づけてしまうのは簡単だが、その「よさ」とは何なのだろうか。
ヒッチハイクでは、車に同乗させていただくという性質上、「出会えてよかった」という気持ちがベースに存在せざるを得ない。何時間もスケッチブックを掲げたのち、ようやく乗せてくれる方に出会えたときは飛び上がるような思いだ。仕事やプライベートのお話を伺うのも、非常に楽しい。
偶然のできごとに対して、この偶然が起こって良かったと思う体験を短期間に繰り返すことができるということが、ひとつの大きなポイントだと思う。

上で偶然性が醍醐味と書いたが、実際はヒッチハイクに限らず、日々の生活は偶然の連続だ。たまたま不快なできごとが起こることも、たまたま良い思いをすることもある。
なのに何故だか人間の心には、たまたま被った不利益の方が圧倒的に心に残りやすい。なんとももったいない話だ。

ヒッチハイクでもたらされる偶然は、おそらく色濃くその人の心に根付く。
そしてその根っこは、日常に戻ったとき、自分が偶然良い思いをしていることへの感度を高める入り口になる。
ヒッチハイクをすることが何らかの成長に繋がるのだとするなら、こういう認識の変化はその一例と呼んでいいのではないだろうか。


つい最近産まれたという愛娘について楽しそうに語る横顔を見ながら、この人に出会えてよかったと思った。


③ 愛鷹PA(静岡)⇒日本坂PA(静岡)


以前「能力」は思想を具現化するためのツールだという文章を書いたが、それは「仕事」についても同じ考えだ。
現在の僕にとって仕事は、それを通じて自分の理想に近付くための手段だ。そして理想に近づくということはとても楽しいので、仕事をするのが今から楽しみだ。

と偉そうなことを考えているが、僕自身実際に社会人として働いたことはないので、この考えで通用するものかどうか、確信はなかった。

今回拾ってくださった方々と仕事の話をして、自分自身の考えに少し自信が持てたように思う。


「兄ちゃん、乗って行くか?」
声のする方を振り返ると、焼けた肌とはだけたシャツのよく似合う強面の男が、後部座席の窓越しにこちらを見ていた。
「ヤク」で始まり「クザ」で終わる例の団体が一瞬頭をよぎったが、その手の人たちが僕ごときに用はないだろう。金品を要求されても、池袋の居酒屋のステーキサービス券ぐらいしか献上できない。
高らかに乗車宣言をして乗り込ませていただくと、「ヤクザかと思った?笑」と一言。メンタリストかもしれない。

乗せてくださったのは、不動産系ベンチャー企業の社長さんと秘書の方だった。土地の視察に静岡を訪れる途中、トイレ休憩にたまたま立ち寄った愛鷹で、退屈しのぎに声をかけてくださったとのこと。

31歳にして社員を束ねる立場にある彼がこれからしたいことは、「自分自身の価値観やノウハウを浸透させ、伝えていくこと」だそうだ。
もしかしたら、年商いくら、とか、社員何人、とか、そういう目標値が飛び出てくるかもしれないと思っていた。そして、できればそうでなければいいなあ、と思いながら尋ねたので、なんだか嬉しかった。

会社ってそういうものだよな、と思う。
はじまりは、誰かが事業を通じて理想を具現化するための手段として創り上げた集団のはずだ。世代が替わり、中にいる人間が代われば、はじめにあった価値観が薄まってしまうこともあるのだろうが、それでも同じような考えを持つ人間が集まってきているはずである。
経営者側からすれば、自分自身と近しい考えや能力を持つ人間が多いほど、理想の実現はラクになる。問題は、実際には同じような考えでない人間も多数いるということだ。なんらかの原因でマッチングにミスがあったということだが、そのあたりの話はここでは置いておく。

そして、雇われる側の人間も同じような感覚を持っていていい。
要するに、「自分のために会社を使っていい」のだ。
労働者は「使われる」立場かもしれないが、別に自分が「使う」感覚でいるのは自由だし、おそらくその方がお互いのプラスにもなると思う。
自分の思想のために仕事、そして会社をツールとして使う、という感覚でいていいんだとお墨付きを得られたことが、とても嬉しかった。


日本坂のメシ、基本なんでもうまいから食ってくといいよと、これまた嬉しいアドバイスを頂いたところで、到着。
悠然と去っていく車は、車の列に混じっても、ひときわ堂々と輝いているように見えた。



以上、東京⇒大阪ひとりヒッチハイクの旅、前半戦でのできごとと、それに対する考えと解釈・前半戦でした。


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