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「異質」に成りきる、「異質」を楽しむ

あいつ、どうも気が合わない…めんどくさい……。

人の悩みの多くは人間関係らしい。
中でも、「合う、合わない」は誰もが感じたことのある問題だろう。周りの人が、環境が、なんだか合わない……と、ストレスを抱えて日々消耗している人もいることだろう。

そんな人間の悩みに応えるように、最近は同質の人だけが集まる小さなコミュニティが林立している。近年のインターネットの普及やSNSの発展に伴ってのことだろう。そして今や、そのコミュニティ内から外に出なくとも生きていけるようになった。自分と異質な他者をシャットアウトし、同質の仲間うちだけでやっていけるのが現代だ。

そんな、自分に合った心地よいコミュニティの中に安住することを、決して悪いことだとは思っていない。
むしろこれからの時代、合わない環境を切り捨てることは、楽に生きる上で大切だと思う。


でも、それってちょっともったいなくないか?
「異質なもの」のすべてが、自分と混じり合わないと決めてシャットアウトするのは、何とも早計ではないだろうか?
そもそもシャットアウトしたくてもできない立場の人もいるだろう。
では、自分と異なることを楽しむことはできないものだろうか?


さて、こんなことを考え、書き始めたきっかけは、『別冊カドカワDirecT 13』の、乃木坂46 井上小百合のインタビューに感化されたことだ。
乃木坂46版・舞台『美少女戦士セーラームーン』の本番を前にして、同舞台でW主演を務める井上へのインタビューである。

少しだけ、言葉を引用したい。


「どんなに自分から遠い性格の役でも、自分の人生とリンクさせるのが楽しい」
「その人の人生の目的や生きる意味を考えて、そこに自分との接点を見つけて、なるべく嘘のない芝居をしたい」


自分とは異質な人間でも、その人物像に想像を巡らせ、さらに自分自身の人生と照らし合わせてリンクさせるというのだ。

この発言からみえる、「異質な他者」への想像、そして自分自身との照合というプロセスは、異質なものの中で楽しく生きる上で重要な一つの要素だと思う。

日々を振り返って、これほどまでに他者へ想像を巡らせ、自分自身と照らし合わせるということをしている人がどのくらいいるだろうか。
表面的なものだけを見て、その奥にある意識や感情、背景を想像してみることもなく、異質だと切り捨ててしまっていないだろうか。

異質に直面したとき、いったん深呼吸して、その奥を想像しながら周りを見てみると、どんな人や環境でも意外と楽しめるものである。

一見理解しがたい行動でも、よくよく話を聴いてみると、「ああ、そういう考えがあったのか」と発見があったりする。
例えば腹立たしい言い方で的外れな批判をされても、「なぜそんな言い方をするのか」「なぜそんな解釈になったのか」相手の行為の背景をすこしだけ深掘ってみると、意外と自分の成長に繋がったりする。
そして何より、そういう意識を持つと、周囲に対してイラっとしにくくなる。

理解できないということはそれまでの自分の中にはないということだから、考えを巡らせたその瞬間に世界がひろがる。
意外にも、何事も、探してみればいいところはあるものである。
そして、周囲の「いいところ」が見えてくると、なんだか楽しくなってくる。
「勉強になるなあ」くらいまで思えれば、こっちのものだ。


自分と異なるものを自分と照合し、時には取り入れ、役者として他者に成りきることを楽しめるところは、僕が井上小百合を推す理由の一つだ。


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今、「こいつアイドル好きなんかオタクかよ~何語ってんだよ、ないわ~」みたいなことを思っている方がいるかもしれない。そんなあなたにとって、多分僕は異質だ。

まあまあ、ちょっと待ってください。そこでシャットアウトせずに、ぜひ話を聴いてくれれば、何かしらプラスになれるかもしれない。物は試しって言うし。

……ちょっと考えてみたけど全然そんなことねーわという方は、辛辣なコメントでも何でもください。笑 反省材料にします。

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さて、このインタビューを読んで、「異質な他者と楽しくやっていく方法」を教わったような気がしたので、書かせていただきました。

『別冊カドカワDirecT 13』、乃木坂46の山下美月と井上小百合の表紙で絶賛発売中! 興味があれば、ぜひ。


▼自己紹介です。興味があれば是非!


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