母の日の事
本日、母の日
特に何かやったという事はないが、母にラインをした。
大体定期的に連絡することといえば、誕生日と母の日、父の日くらいである。
あとは明日帰るよーとか、息子の写真を送るくらい。
親に連絡するのは、未だにちょっとこっぱずかしい。
僕は広島の中学校から、松江高専に入学したので、15歳で親元を離れることになる。
それまで父は単身赴任で離れる時期はあったのだが、母とは15年間ずっと一緒に生活をしていた。
僕はどちらかと言えば母似で、不器用なところも似ている自覚がある。
そして母といる時間が長かったことや、父は妹を溺愛っていうところもあり、母っ子であった。
小学校の時にバスケを習い始め、毎日送り迎えをしてくれたり、土日もクソ暑い体育館で練習を見学していた。
全国大会行きを決めた、決勝戦の試合後は誰よりも泣いて喜んでくれていた。
中学の時は僕も反抗期突入となり、受験シーズンになると大ゲンカすることがあった。
何が原因だか覚えてはいないが、母の髪を引っ張り畳に叩きつけたことがある。
包丁を持って殺してやると言ったこともあった。
今思えば、かなりヒステリックな状態だ。
入試試験が終わり、正直あまり手ごたえがなかった。
合格発表は現地で確認するわけではなく、インターネット上での発表だった。
自分の受験番号を発見した時は、嗚咽と共に、大量の涙が出てきた。
それを見た母も一緒に泣いて喜んでくれた。
しかし、それは僕が実家を離れる事になるということでもある。
今思えば、その時の涙は、後者の涙だったのかもしれない。
そして4月、松江に出発。
無事入寮し、不安と共に新たな世界が広がる事への期待を胸に秘めていた。
入学式が終わり、家族と別れる際、母から封筒をもらった。
そこには、あなたがいなくなって本当はさみしい。
しかし、夢に向かって頑張ってほしいという旨が書かれていた。
翌朝、目が腫れぼったくなっている自分がいた。
離れて気づく、母の大切さ。
僕にも家族ができ、息子ができた。
母になった妻にも、感謝の気持ちを伝えなければならないのだが、すっかり忘れていた。
寝る前にありがとうと言ってから寝ようと思う。
今日は寝る前のラジオはよしておこう。