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オカネカルト⑥ お金は便利なもの?

オカネカルトの国では
オカネが発明されるまでは 物々交換だったという話が
まことしやかに 語られています 

実際のところ 物々交換の村は 古今東西 
地球上のどこの村を探しても
そんな村はひとつも見つかりませんでした。

物々交換の村は 1776年に「国富論」を出版した
経済学の父と呼ばれるアダム・スミスという人が作り出したお話の中に出てくるのですが

240年前にアダムスミスによって作られた「物々交換の村」のお話が
まるで実在したかのように 語られているのです

現実には 地球上に物々交換の村はどこにもありませんでした。

物々交換の村が人類の歴史上実在していたと思い込んだために
「オカネがなかったら、物々交換に戻ってしまう!そんなことになったら大変だ!」と言ってオカネの便利さや大切さを訴える大人もいますが

オカネはほんとうに便利なものなのでしょうか?

確かにオカネがあればなんでも買うことができるのですが
逆にオカネがなければなんにも買うことはできません

パン屋さんにおいしそうなパンがたくさん並んでいても
オカネを持っていなければ買うことはできません
どんなにお腹がへっていたとしても

パン屋さんはおいしいパンをたくさん並べても
パンが売れなければ
たくさんのパンは余って、捨てなければなりません。

パンが食べられなくて死んでしまう人がいる一方で
たくさんのパンが毎日捨てられていることが 
オカネカルトの国では あたりまえになっています。

食べものがたくさん余って捨てられているのに
オカネがないために 人は飢えて死んでしまう

オカネってほんとに便利なものでしょうか?

むしろ 「オカネがない」ことが
必要なモノやサービスの受け渡しをじゃましているように思えます

お金のなりたちや本質をわかりやすく伝えようとする活動は2007年から、2017年からは京都や滋賀県高島市でスペース運営をしています。並行してイラストレーターとしての活動をしています。サポートいただけましたらありがたく有効に活用させていただきます。