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『サマルカンド』

チェス盤もペンも紙もないのに、チェスの素人に対してナイトの駒の動きについて説明しようとすれば、必然的に神の助けが必要となる。そして生きている限りにおいて、人はナイトの働きについての説明を繰り返し求められ続ける。

日が登り朝日が辺りを照らし始めると、目も覚めるような鮮やかな廟の青さが画面に広がっていった。一日の勤務が終わる。ドローンによるレギスタン広場の夜間警備も、もう直ぐ終了する。

早朝の広場でたくさんの猫に餌をやっている一人のおばあさんを見掛けた。

「サラーム」

セーラがオペレーションルームのマイクに向かって言うと、ドローンのスピーカーからは音声変換器によってセーラの肉声よりも美しく柔和で洗練された音声が発せられた。

「サラーム」

モニター画面の向こう側のおばあさんはにっこりと微笑していた。とても清々しい朝だった。年寄りの笑顔によって自分の若々しさを取り戻すのはどこか皮肉めいている。
それからは毎日のようにセーラとそのおばあさんとは挨拶を交わすようになった。セーラはおばあさんと猫の事をステラに何度も話した。ステラはセーラのメイドをしているアンドロイドの事だ。

サマルカンドへの旅路の途中、セーラとステラは小さな町に立ち寄った。買い物と燃料の補給を済ませて車を走らせていると、町の外れに人が集まっていた。お祭りだった。道端に車を停めて、少し見ていく事にした。
20年前に始まったまだ新しいお祭りで、「流砂祭り」と呼ばれるものだった。政府の農業政策の失敗により農作物の収穫が激減し、その事に怒った地元の若者たちが自棄になって始めたのだとか。この土地の住民は長い歴史上、自給自足で生活を営んで来たのだが、政府が税収を当て込んで商品作物の単一栽培を推奨し、地下水の汲み上げが過剰となり、塩害が発生するようになった。元々政府の失策に慣れていた住民は、抗議の形が何故かお祭りになってしまったのだった。
そこは半乾燥地帯で砂地が多く、そこに水を撒いて人工の流砂を作り、13人ずつが流砂に飛び込んで脱出の時間を競い合う。参加者にはワインやチーズやポテトが配られていた。お年寄りも子供も男も女も太った人も痩せた人も、身体中泥塗れになっても実に良い表情で和気あいあいとしながらお祭りを楽しんでいた。毎年参加している80歳近くの小太りのおばあさんもいた。彼女は結局は流砂から自力で抜け出せず皆に助け上げられていたが、それも毎年の事だった。自力で抜け出せない人は大勢いて、特に女性の場合はあからさまに夫や恋人の助けを当てにして苦しそうにもがいたりわざとらしく悲鳴を上げたりするのだった。そしていざ彼女の連れ合いの男性が勇んで助けに入っていっても、必ず二人とも流砂の中でお互いに身動きが取れなくなってしまうので、それがまた観衆の興趣を誘うのだった。
つまりは人生は流砂のようなもの。このお祭りの哲学はそこにあるのだ。流砂にはまり焦ってもがけばもがくほど、体力を消耗して死んでしまう。流砂が人を呑み込んで殺すのではない。間断なく照り付ける太陽の光が、人を死へと追い詰める。実際に流砂にはまって死んでしまった聖人がいたそうだ。そういう伝説がこの土地に残されていた。
お祭りは飛び入り参加も自由に出来て、セーラも泥と格闘しながら久しぶりに全身で喜びを感じたのだった。

町を離れて広大な田園地帯を通り過ぎ、見渡す限りの草原地帯や物寂しい岩石砂漠や山岳地帯の峠を幾つも越えて、セーラとステラの二人はレギスタン広場へと辿り着いた。広場の端にあるバッテリーポートの上には、休暇を取る前までセーラが担当していたドローンが待機して止まっていた。その周りには鳩が集まっていた。猫が鳩に近付いても、鳩は逃げようとしない。慣れているのだ。猫のおばあさんもその近くにいた。セーラの目からはふいに涙が溢れてきた。

「サラーム」



おしまい

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