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プラスな部分よりもマイナスな部分を褒められたい
良い子が褒められる
小学生の時、帰りのホームルームで先生から褒められる時間があった。
誰かに優しくしたりゴミを拾ったりなど、小さなことでも人の役に立てば良いこととして評価されていた。みんなの前で褒められた後、先生が黒板に花丸をつけていき、貯まった花丸は先生主催のクラスパーティにてお菓子やジュースに変えてもらう仕組みとなっていた。
この花丸システムのように私たちは学生時代に褒められる機会を幾度も経て、「褒められることは嬉しい、嬉しいからいい子で頑張ろう」というマインドが知らぬ間に培われてしまった。
良い子だけじゃつまらない
ところが、大人になった私はただ良いところを褒めらるのが、“つまらない”と思うようになってしまった。こう感じたのは、会社の先輩がべた褒めされているのを聞いている時だった。
彼女は、仕事ができて人当たりも良く、同僚はもちろん上司にも気に入られていて、飲み会では毎回ベタ褒めされるような人だ。周りから褒めちぎられることを彼女がどう思っているかわからないが、聞いている私は正直つまらないと感じてしまった。
誰が見ても花丸をあげたくなるような良いところを褒められるのは、自分の表面上で最も分かりやすいところを称えられるだけで、それ以上も以下もない。プラスな部分を褒められることは、言葉の通り"ただ褒められるだけ"なのだ。
一方で褒められるのはプラス部分に対してだけではない。大きな失敗や、個性的で尖ったところなどのマイナス部分に対しても「(一周回って)お前すごいな」と褒められる?こともある。
これは花丸なんかとは違って、万人共通のすごいではないけれど、受け取る人にとっては、めちゃくちゃプラスに捉えられることもある。
プラスの部分を褒められたいか、マイナスな部分を褒められたいかは人によると思う。少なくとも私は、一定数の人にこいつやべえなと思われる方が最高の褒め言葉だなと、先輩が褒められている姿を見て確信した。
さいごに
会社の先輩が気に入られてるからって負け惜しみなんじゃないかとか、自分捻くれてんじゃねえかとか、書いてる間に不安になって投稿するのも正直迷ったところはある。
でも、このnoteは花丸を貰いたくて書いているわけじゃない。第三者にどう評価されようが、この文章が私なんだという自信はある。
万人受けの花丸がいらないんだったと気づいたら、公開ボタンなんて簡単に押せた。
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