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夏の甲子園大会も中止?

高野連はこれから会議することで、まだ決定していないと言っていますが、夏の甲子園大会も中止となる可能性が高まってきました。これらの動きについて、高校球児や関係者がどのようにすべきかについて、私なりの考えを綴ります。

現状、新型コロナウイルスの感染者数は減少傾向にあり、地域によっては緊急事態宣言が解除されるなど、一時の半強制自粛状態から変わりつつあります。しかし、飲食店の営業については様々な制限があったり、ジムなどの施設は自粛要請継続などとなっています。残念ながら、afterコロナではなく、withコロナもしくはニューノーマルという状態が続くと考えられます。つまり、自粛期間を経て、前の状態に戻るのではなく、新しい生活様式に移っていくというのがメインシナリオとなっています。これは、インフルエンザ並の治療薬やワクチンが開発されるか、半数近くの人が免疫を獲得するまで続く見込みです。そしてこれらは楽観的に見ても、最速で2021年秋頃となるでしょう。数十年の知識の蓄積があるインフルエンザですら、ワクチンの効果がその年によって不安定ですから、その性能と同等のワクチンや治療薬を数年で作るのは現実的に難しいと考えられます。

それでは、このニューノーマルの時代が始まったばかりの今、甲子園大会を開催可能か考えると、難しいと言わざるを得ません。開催することが正しいか間違っているかは誰にもわかりません。もしかしたら、夏に対策をとって野球の試合をするだけであれば、感染のリスクは一般生活より低い可能性もあります。しかし、それはまだ誰にも分かりません。南半球や東南アジアの例はあっても、まだ本格的に日本の夏にコロナを体験したことはありません。ウイルスは高温多湿に弱いですが、冷房の影響や接触感染のリスクがどのように変化するかは未知数です。日本独自の風習によって夏に感染者が増加しないとは言い切れません。

分からないことが多い以上、球児の命を高野連が負うことは難しいと思います。高校年代の発症率や重症化率は低いと言われていますので、データを正確に出すことができれば、開催も可能かもしれませんが、高野連が決断できるほどの確実なデータとは言えないでしょう。

高野連の決断について、どうなるかはまだ分かりませんが、どんな決定であっても仕方がありません。別に私が高野連のジジイ達の肩を持ちたくて言っているのではありません。今の状況を考えて、予算内で完璧な対策をすることが困難であると論理的に判断される可能性は十分あると言っているのです。

来年には世界中の今夏のデータが整理され、甲子園程度であれば開催は全く問題ないと言われるかもしれません。それは後から言えることであって、今言えることは、ほとんどありません。

様々な大会が中止され、学生は辛い状況にあると思います。正直、私だったら絶望に打ちひしがれ、何も手につかないかもしれません。それでは、どうすればよいのでしょうか。

まず、あなたがコントロールできることに集中して下さい。
あなたがコロナの感染者数をコントロールすることは、ほぼ不可能です。天気が晴れて欲しいと思っても、どうすることもできないのと一緒です。大会が開催されるか否かもコントロールは難しいです。それでは、あなたがコントロールすることができるのは何でしょうか。あなたの目標に対して、コントロールできることを始めて見て下さい。

では、あなたの目標がコロナによって無くなってしまったり、変わってしまったらどうすれば良いでしょうか?
目標も変化に合わせて変えるしかありません。例えば、甲子園が目標だったとしましょう。甲子園大会が無くなるかもしれない今の状況では、まだ甲子園に向けての準備をするのも良いと思います。無駄になるかもしれないと考えるかもしれませんが、それも含めてあなたの決断です。開催か中止かはあなたのコントロール下では無いなら、どうすることもできません。コントロールできない事を目標にしてしまった以上、それについての責任も自分自身にあります。あなたが最後まで諦められないのであれば、中止が発表されるその時まで、努力を続けるしか無いでしょう。同時に、冷静に考え、中止になった場合のことも考える必要があります。次の目標はどうするのか。まさか、あなたが甲子園で優勝することが目標だったとはいえ、優勝した瞬間や負けた瞬間に自ら命を断つ予定であった訳では無いでしょう。そこまで明確に固まっていなかったとしても、何らかの目標はあるはずです。

今後も野球を続けたい人もいるでしょうし、野球はやめて勉強に専念する人や就職する人もいるでしょう。大会が中止されたことで、野球をやめるつもりだったが、続けてたいと目標が変わった人もいるでしょう。

そして、その目標に向かって、コントロールできる事をやっていくしかありません。目標を勉強に変えても、今年の冬に受験があるかは分かりません。もしかしたら、受験の制度が変わり、これまでの学校の成績が重視されるようになるかもしれません。先のことは予想はできても、コントロールすることは困難です。それでも、目標とするならコントロールできることをするしかありません。

ここまで、コントロールが難しいことも多くあると言ってきましたが、難しいのと出来ないのは違います。例えば、大会が決定しても、抗議の署名活動を行い提出することで、大会が開催される可能性もあります(正しいかはわかりませんが)。自分たちで予算を集め、甲子園を借りて、大会を自主開催することも可能かもしれません。難しいのと、できないのは違います。できるのと正しいのも違います。その時の最善の判断と後から判明した結果も違います。全ての人に言えることですが、できるのは、その時の最善の判断しかありません。あなたにとっての最善の判断が他人と同じとは限りません。知っている知識やデータも違えば、感情も異なります。あなたは、あらゆるリソースを最大限活用し、決断するしかありません。

最後に、目標や大会が無くなったからと言って、全てが無駄になるとは限りません。もちろん、野球をやめる人にとっては、技術的なスキルは今後一切使うことは無いでしょう。勉強に専念する人にとっては、過剰な体力すら意味は無いかもしれません。はっきり言って、無駄と思えることは非常に多いです。それでも全てが無駄になる訳ではありません。そのためには、無駄にしないようにしようとする考えが必要です。先程、あなたにできることはあらゆるリソースを最大限活用し、決断することだと言いましたが、そのリソースとはまさにこのことです。関係なさそうだから意味は無いと考えるのか、関係が薄いことでも決断のための材料として活用できるかはあなた次第です。

例えば、社会にでれば古文の単語の意味なんて必要ありません。高校数学の計算も文系の就職先ではほとんど使わないでしょう。それでは、なぜ勉強するのか、よく考えて見て下さい。今後活かすことができるのは、嫌いなことを学ぶ際の姿勢かもしれませんし、授業中に分からないことを当てられた時の対処法かもしれません。分からない事を先生や友人に教えてもらう時のコミュニケーションの仕方や、自習する時の調べ方かもしれません。

それぞれの意味なんて後々どのように役立つかはその人次第です。同じ授業を受けても、それぞれ違う人生を進みます。あなたはあなたなりの人生を歩めば良いと思います。

今は状況が目まぐるしく変わり、あまり余裕がなく、辛いかもしれません。それでもあなた自身で考え、決断するしかありません。
コントロールできないことで悩むより、コントロールできることをどうするかで悩んで下さい。

それでは今日も良いNew normal lifeをお送りください。


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