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高校球児に今伝えたいこと

甲子園大会やインターハイなどの全国大会が中止された今、高校3年生を始め、学生に伝えたいことをお話します。

まず始めに、一人の日本国民の大人として皆さんに謝罪します。
本当に申し訳ありませんでした。
大会中止を決断したのは各大会組織委員ですが、そのような決定に至ったこと、感染拡大に歯止めが効かなかったことは、我々日本国民一人ひとりの責任です。平時に準備を怠り、他国の状況を対岸の火事と思い重視してこなかったのは、あなたの保護者を含めた大人たちです。政府に対して、対策を求める力が弱いのも有権者である成人の責任です。予測が難しかったのは確かですし、現在の日本の状況をみると、他国に比べて政府の対応が圧倒的に劣っているとは思いませんが、もっと真剣に考え、早期に取り組むべきであったと思います。

大会中止が決定した今、皆さんに対して何か出来ることはないか、日々考えていますが、残念ながらそう多くのことは出来ません。
皆さんの悲しさ、辛さ、怒りなど様々な思いに対して、私が解消することなど到底出来ません。ですが、多少でも何かの力になればと思い、私の経験を踏まえた考えや思いを伝えたいと思います。

皆さんは、甲子園やインターハイといった大会および予選大会に出場することは叶いませんでしたが、甲子園やインターハイに向けて戦ってきた時間に変わりはありません。

私は高校を卒業してから10年ほどが経ちますが、今でも年に1回くらいは野球部の同期で集まり、忘年会などを行っています。
その時に話す話題は、実は大会の事はほとんどありません。それまでの練習や帰りに寄り道したくだらない話なんかをしています。もちろん甲子園などかすりもしなかったから、というのもありますが、本当の理由は試合当日はたった数人の思い出だからです。試合に出場しているのはたった9人でベンチ入りするのは県予選で20人です。スタンドと一緒になって戦ったといっても、やはり見ている風景、感情など打席に立った当事者と周囲の人の思いは異なります。試合の記憶は個人的な思い出にはなりますが、仲間と集まった時に話すのは、そんな個人的な思い出ではなく、共感出来る思い出です。辛い練習を共に乗り越えたこと、共にサボったこと、意見が割れて対立したこと、ライバルとして競い合ったこと。こういった共感できる事しか話題になりません。そして私がより大切に思っているのも、仲間との思い出です。試合で結果を出せたこと、応援に来てくれている人が喜んでくれたこと、というのも個人の思い出としては非常に良い思い出ではあります。しかし、それ以上に共感出来る思い出というのは大切だと感じています。そして、この共感できる思い出については、甲子園やインターハイが無くなってしまった皆さんも同じだけ持っているはずです。それどころか、休校や部活自粛が続く中で日々切磋琢磨してきた皆さんの思い出は我々以上の物となっているはずです。

今はこれからの代替大会の実施を模索しているところであり、引退したわけではないので、思い出の話をするのも見当違いとも考えたのですが、もし、目標を失い、全てが無駄になったと感じ、代替大会への気力が失われている人がいるとしたら、非常にもったいない事をしているかもしれないと思ったので、私の思いを書きました。

以上は私の思い、部外者の考えであり、皆さんの今の気持ちからすると受け入れられないかもしれません。私はあなたではありませんし、甲子園が無くなった状況を想像してみても、みなさんの気持ちを100%理解することなどできません。絶対に代替大会の準備に全力で望まないといけない、とも思いません。全てはあなたが決めることです。急に目標が無くなり、気持ちの整理が難しいかもしれませんが、時は待ってくれません。仲間や周囲の人と話し合い、自分自身でよく考え、決断して下さい。

一瞬にして目標を失った気持ちは、皆さんにしか分かりません。その思いを是非、今後同じ悲劇を起こさないための原動力として頂けると幸いです。
私の祖父母の時代には、日本はまだ戦争をしていました。祖父母達の世代はその辛い経験から、絶対に戦争を起こしてはいけないと心に決め、今の戦争のない日本を作り、守っています。正直、我々の世代には戦争の実感はなく、祖父母ほどの強い思いは持っていないと思います。彼らの強い思いがなければ、今の戦争のない日本は無かったかもしれません。
同じように、当事者の皆さんの思いは、我々のようなOB・OGの世代や後輩の世代の何倍も強いはずです。祖父母の世代が恒久的な平和をリードしてきたように、皆さんこそが恒久的な感染症対策をリードしていくと信じています。

感染症への戦いはまだ始まったばかりです。数年で新型コロナウイルスが収まったとしても、次の感染症がいつ発生するか分かりません。10年後か100年後か分かりません。そうなると、当事者でない人々は、次第に関心が薄れて行きます。戦争も震災も、どんなに大きな被害をもたらしても、人々の記憶は薄れ、関心が無くなり、対策は疎かになります。そこで必要になるのが、恒久的な対策です。人々の関心が薄れても、システムとして対策を維持していくことが必要になります。

そして、強い意志を持ってそれを実行できるのは、当事者の皆さんであると思います。それを実行するには、猛勉強が必要になるかもしれません。理不尽な社会に立ち向かって行く必要もあるでしょう。それに折れない心は、当事者でないとなかなか持っていないと思います。
大会が無くなって本当に悔しいと思い、二度とこんな思いをさせてはいけないと強く思った人のみが、最後までやり遂げることが出来ます。

正直、勉強は辛いです。やらされている野球の練習なんて、楽に思えるほど辛いです。体力的に頑張っていれば、いつか終わりがあるのがどんなに楽か、思い知るかもしれません。そして、社会に出ると、どんなに勉強が楽か思い知ります。時間を掛けて勉強すれば、着実に結果が伸びる勉強は、なんて楽だったんだろうと思うかもしれません。これは他人の芝が青く見えるといったことではなく、事実であると思います。

みなさんが生物学者を目指す必要も、政治家を目指す必要も、企業をする必要もありません。それぞれの判断で進みたい道に進んで行けば良いと思います。ただ、皆さんの中から数々の困難に打ち勝ち、感染症対策に貢献してくれる人が出てくると期待しています。逆に、途中で挫折してしまうようであれば、あなたの甲子園への思いやインターハイへの思いはその程度だったというだけのことです。口では諦めきれないと言っていても、実際には感染症対策に、勉強に、社会の理不尽に、諦めてしまう程度の思いというだけです。別にそれが悪いことではありません。今後もあなたにとって、大切なことはいっぱい出てきます。甲子園が全てではないと気づきます。インターハイが人生ではないと分かるはずです。それはそれで良いことだと思います。その中でごく一部の変人が、やっぱり甲子園への思い、インターハイへの思いが強く、諦めきれず、他の人に、後輩達にこんな思いはさせたくないとやり遂げてくれるのではないかと、部外者として勝手に期待しているだけです。

心より一日も早い終息と、恒久的な対策を望みます。

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