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📒SNSで炎上する人、しない人のたった一つの違い。

今日もまた、SNS上で誰かと誰かがやり合ってる。

意見の交換だけに留めておけばいいのに、気が付けばお互いの人格否定。
周りがやいのやいの入ってきて、瞬く間に大火事。


消火活動なんて間に合いやしない。


そんな様子をみて『明日は我が身』と感じる自分。フォロワー数は銃口の数なんて、誰かがうまいこといっていたっけ。


炎上する人と、そうではない人のたった一つの違い。

相手の意見に耳を傾けられるか否か。


たったそれだけ。


炎上って突発的に起こるものもあれば、そうでないものもある。後者は特に、普段の行い(言動)が鍵を握る。


先日Twitterで書いたこと。結果を残した(成功した)あとの振る舞いが重要であると私は考えている。

時の人となったとき、謙虚さがさらに必要になる。それはなぜか。振る舞いによっては『勘違いした人』と受け取られる。たちが悪いと歯止めがきかない。どんな意見も批判と捉え、耳を傾けなくなる。これが最も危険な状態だ。

全ての意見を「うん、うん、はいはい」と聞けというわけではない。でも、やはり、落ち着いた方がいい。

相手の話を聞かなくなるときは、大抵『地球は自分のために回っている』状態に陥っている。無意識のうちに、己が正しいと過信しているのだ。

そうなってしまうともはや怪物。誰にも止めることなど不可能。火種が山火事となり、消火活動なんて無意味。焼け石に水。

いよいよこうなると、自分に都合のいい意見しか聞き入れなくなる。正しいと持ち上げてくれる人だけにしか心を開かなくなる。その状況は結構まずい。自らを無条件で持ち上げてくれる人は、その後の責任などとってくれやしない。面白がってみている人だっている。みんな無責任なのだ。

以前書いたnoteに模範解答のような言葉がある。

見てくれている人は見てくれているではなく、常に誰かに見られていると思って何事も手を抜くことなく毎日を過ごす。
その姿勢が自分の次の一歩を歩ませてくれて、自分自身の手で道を切り開けると思っています。

5/25noteより引用 猪原隆雅選手の回答の一部

常に誰かに見られているという意識をもつ。これが、発言の内容ひいては炎上の抑止につながる。

SNSは意見を自由に書く場であることは違いないが、人を傷つけていい理由にはならない。また、誰かを陥れるものであってもならない。意見の相違があったとして、揚げ足取りをしても意味がない。人格否定をしあったところで、なにも生まれない。

炎上の多くの原因は、相手の意見をしっかり聞かなかったことによって引き起こされている。謙虚な心をもち、適切な言葉選びをすれば、多くは免れることができる(日本語の意味が通じない場合は一定程度仕方がないが)。

私自身もTwitterとInstagramと合わせてフォロワーが8000人ほどいる。著名人と比べれば多くはないが、銃口の数であることを念頭に置き、言葉には気をつかっている。

やっぱり最後は人間性。どんなときも謙虚の気持ちを忘れずにいることが、自らの人生を豊かにしてくれる。強くそう思った。

先述したが、明日は我が身。自分だって炎上するリスクを持ち合わせているし、可能性は決してゼロではない。だからこそ人の意見をしっかり聞き入れ、言葉の使い方に気を付ける。どんなときも謙虚な人間であれ。


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余談

失礼な連絡を突然もらったときどうするか。
(例:面識がないのにタメ語など)。

そんな連絡をもらった。

最もいい方法は無視すること。それが難しい相手であれば、失礼には丁寧で返す。一貫して敬語を崩さない。私はこれを丁寧の暴力(適切な言葉とは思えないが)とよんでいる。

よほどの人間でない限り、丁寧に接せられると『まずい』と感じ、態度がかわる。それでも改善がみられなければ、残念ながら諦めるしかない。

炎上と言葉遣いは密接であると常々感じる。丁寧であれば失礼な言葉をぶつけていいわけでは決してないが、表現一つで受け取り方が変化することは多々ある。

そんな私もたくさん失敗しての今なので。

誰もが自分を受け入れてくれるなんて、そんな都合のいい世界は存在しないが、人と人とがせっかくかかわるのであれば、気持ちのいいやり取りでありたいと切に願っている。





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