見出し画像

【少年野球】ベンチの子に「声を出せ」と言う前に

 地域に根ざす普通の少年野球チームの試合では、監督もコーチも親たちも、ベンチで控えている子どもたちに「声を出せ」「応援しろ」とよく言う。それはなぜか。
 
 ベンチにいる子もチームの一員であり、プレーしている子たちを盛り上げたり、励ましたり、情報を伝えたりすることでチームが勝利に近づくからだ。勝てば嬉しいに決まっているから声を出せと当たり前のように言う。

 しかし、ベンチの子どもたちはそれで本当に納得しているだろうか。
 子どもは全員、自分自身が試合に出てプレーしたいと思っている。それを我慢して応援しているのだ。もちろんチームが勝つことは嬉しいが、自分が出たいことにかわりはない。
 結果何が起こるか。
 声を出すことは「監督へのアピール」になってしまう。「こんなにやる気があるから試合に出して欲しい」と、監督をチラチラ見ながら応援するようになる。それも無理だと感じた子はただ怒られたくないから、または義務として声を出すだけになり、試合もちゃんと見ていない。晩ご飯は何かなと考えているぐらいだろう。

 そんな無意味な声出しがあるだろうか。
 子どもたちはそもそも試合にのめり込めば勝手に声を出す。決勝戦であと少しで勝てるとなったら誰に言われなくてもベンチは盛り上がる。それが普段から出来ないのは、大人たちが本当の意味の声出しを引き出していないからだ。子どもたちが「お互い様」を知るチャンスだと、大人自身が分かっていないからだ。

 人生は常に「お互い様」だ。ひとりで生きていける人は誰もいない。失敗したり、人に迷惑をかけたり、お世話になったりして生きていく。そして反対に誰かを助けたり許したりすることもある。

 ベンチにいる子とプレーしている子も、本来は「お互い様」だ。
ベンチの子が試合に出たときは、今グラウンドにいる子がベンチから声をかけ、励まし、応援する。お互いに応援し合う関係のはずだ。
 そもそもチームスポーツとはそういうものだ。

 それを教えることが出来ないのはレギュラーを固定してしまうからだ。
ベンチの子は「お互い様」などとは到底思えない。どんなに応援しても自分は応援してもらえない。それどころか、レギュラーの子に重い荷物を運ばせるな、もっとボールボーイをしっかりやれ、といった明らかな格差を付けられたり粗末に扱われたりする。
 
 「それが嫌なら実力でポジションを奪え」と言う人がいるが、代打一打席程度では公平なジャッジは出来ない。そんな扱いで「奪える」はずがない。

 そして、レギュラーで出続けている子にもベンチにいる控えの気持ちや、他の子を応援する経験をさせる必要がある。それは「勝ちを捨てること」ではなく、ワンチームとして助け合う強いチームを作るためのプロセスだ。1試合も負けたくないという近視眼的な采配は、結局はチーム内の不和を生む。
 チーム内の不和とは、派手なケンカを意味しない。
 自覚以上の「優越感」を持つレギュラーと、そこに入れないベンチの子という格差ができ、その間に見えない壁が出来る。彼らはお弁当を一緒に食べなくなったり、休憩時間に一緒に遊ばなくなったりする。そういう小さなことを見逃してはいけない。そういうところからチームの雰囲気は冷めていく。

 ベンチの子が声を出さない時、ただ「声を出せ」と言う前に、その原因を自分たちでつくっていないか監督もコーチも考える必要がある。
 

 

 

 

 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?