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大学退学を選ぶ僕の生き方

僕は大学を中退した。
それも3年生を半分終えたところで。

成績が悪かったからじゃない。
学費が払えなかったわけでもない。

このままここに居てはいけないと心のどこかで感じたからだ。

小さい頃から僕はいわゆる「良い子」だった。
学校で問題を起こすこともなく、
お勉強もそれなりにできた。

まあ、大学受験のときは目標の点数から大幅に低い点数を叩き出し、
消去法で沖縄の大学を選んだわけだが…。笑

そんな消極的な理由で行った大学でも真面目に勉強はしていたしやっぱり「良い子」だった。

そんな良い子ちゃんの僕がなぜ大学退学を選んだのか…。

旅との出会い

大学入ってからの大きな出会い。
それは旅だ。

ある日、バイト先の先輩が世界一周の夢を語るコンテストに参加した。
参加者はそれぞれの世界一周の夢をプレゼンする。
お茶を広める旅、ラジオ体操を広める旅、自分のヒーローを見つける旅…。
いろんなテーマの人たちがいた。

そのコンテストのプレゼンを見に行ったことが僕の旅との出会い。
参加者たちが語る夢は、これまで学校の枠から出たことのない僕にとってとてもキラキラして見えた。

もっと自由で良いんだ。
もっと生きることを楽しんで良いんだ。
そう思わせてくれた。

それから、僕は大学の外の世界の人たちと関わることが増えた。

そして、僕自身も旅に出ることを夢見始めていた。

休学して日本一周

旅がしたいなと夢を膨らませていた頃、あのコロナウィルスがやってきた。
海外への旅は断念せざるを得なく、しばらくオンライン大学生活となる。

しかし、諦めたらそこで旅終了。
海外へ行けなくたって、国内があるじゃないか!

それにバイクの免許を取得中で、近々バイクに乗る予定。
となればバイクで日本一周ができる!!

こんな思いつきで日本一周をすることにした。
もちろん大学は休学だ。

対馬の神社にて

2021年5月~2022年2月までバイクであちこち走った。

旅で出会ったたくさんの人たちは、
僕に知らない景色をたくさん見せてくれた。

中卒でも人生楽しく生きていけること、
年齢を決めているのは自分自身であること、
ヒッチハイクはボードを使わなくても良いこと、
自分探しの旅なんて言うけれど、自分なんて一生見つからないこと、
などなど、思い出していったらきりがないくらいだ。

日本国内だけでも自由に生きている人がこんなにいるんだ。
気張らずに、自然体で、自分を生きている人たちがいる。
自分を生きる人たちがカッコよく見えてたまらなかった。

「僕は果たして自分を生きているのだろうか?」
と、いつしか自分に問いかけていた。

福岡のゲストハウスにて

大学退学を決意

日本一周を終えて大学に復学した僕はいろんなことをした。

大学サークルの代表、
Podcastの配信、
マルシェ出店、
ミツロウラップワークショップ…。

そのどれもが楽しかったし、
このまま好きなことをして生きたいとどれだけ思ったことだろう。

ヨガイベントを開催した


そんな中、あることに気がついた。

「このまま大学に通っていても就活する気がないのなら、
      今とやってることは変わらないのではないか?」

復学し3年生となった僕の周りには就活をしている人がポツポツと現れた。

「就活」

この言葉にはなぜかずっと嫌悪感があった。

自分を取り繕って行きたくもない企業に入って、自分を殺しながら生きる。
そんな人が多いように思えたからだ。

今までずっと「良い子」で生きてきたけど、
それを続けてこの就活の波に乗ってしまったら、
もう後戻りできなくなる。

そう直感的に思っていた。

就活をしないのであれば、大学を卒業しても辞めてしまっても同じこと。
それに、大学卒業の肩書が必要な生き方もどうやらしそうにない。

大学を卒業するとか、辞めるとか、
そんなのはどっちでも良くて、
大事なのは自分が人生を振り返ったときに胸張れるかどうか。

僕は胸張って笑って生きる人生にしたいと思っている。
いつ死ぬか分からない人生。
どこで区切っても悔いなく、胸張って笑って死にたい。

自分の人生を生きてくれるのは自分だけ。

それを思ったらこのまま惰性で大学にいるよりも、
自分を生きる方を選んだ方がよっぽど胸張れる。
そう思った。

そうして大学退学を決意し、退学届を提出した。
22歳にしてようやく自分の人生を自分で動かした気がした。

そして歩き遍路へ

大学を退学し、これからどうしようか。
まずは自分と向き合う時間になるからと四国のお遍路に行くことにした。

四国にある88ヶ所のお寺を巡るお遍路。
最初は修行としてお坊さんたちが歩いて周っていたけど、
最近は観光的に車で周る人が増えているそう。

歩き遍路をすることで自分自身と向き合い、
これからの生き方が見えてくるかもしれないと思ったのだ。

最後にお礼参りで訪れた1番札所にて

お遍路した期間は2023年3月~4月の44日間。
歩き遍路さんはそれなりにいたが、
野宿の歩き遍路は僕以外にはほとんどいなかった。笑

お遍路ではとにかくいろんな人たちに助けられた。
食べ物を分けて頂いたり、お家に泊めて頂いたりというものもあれば、
遍路道が整備されていたり、お寺が整備されていたりと、
相手の顔が直接見えないところでの助けを感じた。

このお遍路は自分1人では決して成り立たなく、
全ての人や物といった存在の関係の中で成り立っていた。

たくさんの人たちに優しくされた分、
自分も人に分かち合える人間になりたい。

分かち合うということは、
自分を犠牲にせず、自分の余力分を他の人に分けること。

「自分も相手も大事にしたこの生き方をしていきたい」
という気づきをこのお遍路で得ることができた。

各お寺に必ずある弘法大師像


これからどう生きるか

日本一周をし、大学退学して、歩き遍路して、
そんな盛りだくさんな人生を歩んできた僕はこれからどう生きるのか。
それは僕にも分からない。

でも、

「胸張って笑って生きる」

これだけは大事にしていたい。

どうしたら胸張れるか?を考えると自ずと答えは見えてくる気がする。
自分の中での胸張れる基準、笑える基準。
これがあれば迷うことも少なくなる。

この感度を高くしていくために日々があるし、
その先により胸張れる人生が待っているような気がする。

人生は常に幸せで最高だけど、
どうせ生きるならより良くするために生きる方が楽しい。

あなたもどんな生き方がしたいのか
自分に問いかけてみてほしい。

自分の人生は自分しか生きれないのだから。

ここまで読んでくれてありがとうございました!
僕は今日もどこかで胸張って笑って生きる人生を送ってることでしょう!

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